根本なんて変わってないという認識

某所で時々書いていて…そこからの抜粋です。
私はイエローマジックオーケストラが音楽の起点でもあり、相当ハマったのは事実ですが、ある時期から世間のファンの意固地な様子が心地よくなくて、距離を置きました。や、とても好きなんですけどね。相次ぐ訃報でまた戻らなくちゃ、と感じるこの頃です。多少修正を交えた抜粋をこちらにものせてみます。。

先日のアナザーストーリー、イエローの番組を観ました。
分析とか、考察とか、それに準じるものは恐らくいくらでもあるし、できるし、きりがないというのもあると思う。私なりの削ぎ落とした思う事。。

教授がどこかの映像で言っていた、音楽とテクノロジーの融和、だったかな。これに尽きるとは思う。ただよくある誤解が、コンピューターから産まれる~みたいな理解度。 意外と多いのではないかと。
いずれ、ちゃんとまとめたいと思っているデジタル(コンピューター)の事でも、恐らくいの一番に書くことだけど、コンピューターってのは、当たり前だが、指示を与えなければただの箱。まっっったく何もしないただの箱。ガラクタといってもいいw
実際大昔、家にあった8ビットのPCはそうだった。。。

楽曲、アイデア、あと、音色、、、はあの方々の音楽人としてのそれまでの蓄積、努力、経験、ありとあらゆる積み重ねてきた物から産まれるもので、そこに人間が苦手、というかできない、機械しかできない演奏手法というより手段を、ほぼ先駆けて、うまく利用した、、、アナログシンセに関しては、それこそ使い倒した、、てのがエポックメイキングなのだと思う。逆に言えばそこだけだとも言えるのかもしれない。 ただ機械を利用する事で表現手段は恐ろしく拡がることを示してくれたのはあまりにも大きかった。そんなこんなを含めて、
優れていたのは結局人間力なのだと思う。まあ当たり前の話でもある、、、

著書を大昔読んだ事があるけれど、皆、その世界中の音楽への造詣の深さに舌を巻いた事は今でも覚えている。特に細野さんの地平線の階段だったか…とてつもない世界中のありとあらゆる音楽の知見、許容する心。すごい事だと思う。
イエローのコンセプトも実に綿密に考えられたもの。。
一方でメンバー皆、演奏技術もさすがだ。
亡くなられたユキヒロさんついては、実はもう少しフィジカル面で頑張ってほしかったというのは今でもあるけれど。。きっと周囲のスーパードラマーと同じ土俵では無理だろうと思われたのだと思う。それは実によくわかるんだけど。  (僕のその後の行動において、非常に参考にさせてもらったのはあるし、逆にあの方が憧れてはいたけどある種諦めた事を、私がやってみようか、という事であえて肉体派ドラマーに挑んだ訳だ)

マツタケ氏がメインで出ておられた。でかいタンスが今日も印象的な映像だったけれど、あの方の価値は実は『アナログ』シーケンサーのデータ作成、テンキー入力につきるかもしれない(暴言、、、でもあれがとてつもなく当時は大変な作業だったのは知ってるし、それなくして創作は現実的に不可能だったはず)
結局、今でも。
指示をいかにどうやって装置に与えるかで、技術研究、革新が続いているわけで。
身近で言えばOSの革新なども、その一つにすぎない。

コンピューターの基本は、その昔から、変わってないし、変わるわけもない。。
指図するのは100%人間。人次第。
一から十まで教えたらんと、なにもしやがらないのがパソコン。たった一文字でも間違えたらウンともスンとも言わない。
そういう意味では実はコンピューターはバカでもある。 
8ビットクラスのパソコンでベーシック程度で見よう見まねでシコシコプログラムを入力した経験がある方ならわかると思う。
なんて融通きかないバカなんだと。

最近、もやってるのは、ひょっとしてだけど、そこの認識がおろそかな人が、思ったより多くないだろうかという、推論。あくまで推論です。

最近とみに思う事。音楽でも、テクノロジーでも、政治でも。全てのことは連綿と積み重なってきた結果なので、できたら過去へのリスペクト、振り返りをするべきだと思う。目の前の便利なもの、事、の見え方が、だいぶ僕なんかとはだいぶ違うと思うんだなぁ。それが誤った使い方を生む要因だと思う。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?