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健康と文明病 ⑬(狩猟採集と人類社会)

発汗による体温調節

 では、我々の祖先はどのような狩猟法を編み出したのでしょうか。それが、獲物が疲労困憊して走れなくなるまで執拗に追い詰めると言う、人類の特性を活かした独自の「持久狩猟」だったのです。意外な事ですが、野生動物は人類の様に長時間走り続ける事が出来ません。我々は、身体から発生する熱の大部分を、発汗によって発散させています。しかし、イヌが口を開け長い舌を垂らしてハーハーと激しく呼吸している様子を見ても分かる様に、毛皮で覆われた四足動物は呼吸を利用して体温を発散させています。つまり体温調節システムが、肺という呼吸器官に依存した非効率なものになっているのです。この結果、野生動物は全力疾走するとすぐに体温が上昇し、走り続ける事が出来なくなってしまうのです。

 ハーバード大学では、チーターの直腸に体温計を挿入して、トレッドミルの上を走らせるという実験を行なっています。それによると、体温が40.5°に上昇するとチーターは足を止め、それ以上走ろうとしなくなると言います。体内に蓄積された熱を、呼吸では吐き出し切れなくなった時点が走る限界になっているのです。実際、チーターが全力疾走できるのは、通常は300メートル未満と言われます。

図102)汗腺(Sweat gland)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 一方、ヒトは汗の蒸発によって体温を下げる事ができます。身体中に数百万という桁外れに多くの汗腺を持つ人間は、汗をかき続ける限り走り続ける事が可能なのです。人類は進化史上、最高の体温調節機能を獲得した哺乳類とも言えます。かつて、動物学者のデズモンド・モリスは、人間を「裸のサル」と呼びましたが、我々人類が哺乳類の特徴とも言える毛皮を失ったのは、汗を効率良く乾燥させる事が目的だったのです。獲得した水冷の体温調節機構の能力を最高に発揮させるには、厚い毛皮を脱ぎ捨てる必要が有った訳です。このことから、人類が毛皮を失ったのは本格的に走り始めた時、即ち約200万年前にランニングに適した全身骨格を獲得したホモ・エレクトスが登場した時だったと考えられます。 

 四足動物は獲物を捕える為、あるいは捕食者から逃れる為に、スピード重視の短距離走者になったと言う事が出来ます。それに対してスピードこそ劣りますが、人類は最高の水冷システムを得た事で、優れた長距離走者となったのです。例えば、馬は全力疾走で7.7m/秒のスピードが出せますが、それを持続できるのは約10分程度に過ぎません。その後は、5.8m/秒に減速する必要が有るのです。一方、一流のマラソン選手なら、6m/秒で何時間でもジョギングする事が出来ます。つまり、スタート・ダッシュで馬に引き離されたとしても、充分な距離さえあれば差を詰める事は可能なのです。実際、アメリカのアリゾナ州プレスコットで毎年ヒトと馬の50マイル(約80km)レースが開催されますが、途中の急斜面で馬を逆転して人間のランナーが優勝しているのです。つまり、長距離走では馬より人間の方が優れているとも言えるのです。

 またヒトの直立二足歩行は、意外にエネルギー効率が良い事が分かっています。 二足歩行では、体の重心移動が重要な働きをしています。左右への重心移動だけではなく、前方へ重心移動する事で足が自然に前に振り出され、少ないエネルギーで前進する事が可能です。更に、足の土踏まずのアーチやアキレス腱は、着地時にバネのように伸びてエネルギーを貯め、それが地面を蹴りだす時に再利用されます。アリゾナ大学でのウォーキングマシンを使った研究では、 ヒトの二足歩行時のエネルギー消費は、チンパンジーの四足歩行時の1/4に過ぎないと言います。ちなみに、チンパンジーの二足歩行と四足歩行では、エネルギー消費に差は無かったそうです。直立二足歩行の起源については長らく議論が続けられて来ましたが、 森からサバンナへ進出し、草原を長距離移動する必要に迫られた人類の祖先が、よりエネルギー効率の良い直立二足歩行を採用したという簡単な話だったのです。つまり、人類は樹から降りて草原を効率良く歩き回る必要から、直立する様になった訳なのです。


ブッシュマンの効率的な持久狩猟

 こうして優れた長距離走者となった人類は、スピードで優る四足動物を体温が上昇して動けなくなるまで、休ませずに追い詰めるて狩る「持久狩猟」が可能になったのです。計算の上では、レイヨウを脅して全力で10 ~15 km程走らせる事が出来れば、体温が異常に上昇して倒れ込むはずなのです。実際、持久狩猟の言い伝えが、アメリカ西部のゴシウト族とパパゴ族、ボツワナのカラハリ・ブッシュマン、 オーストラリアのアボリジニ、ケニアのマサイ戦士、メキシコのセリ・インディアンとタマラウマラ・インディアンなど、世界中の狩猟採集民に伝わっていると言います。現在では持久狩猟を行っている狩猟採集民はほとんど残っていませんが、わずかに持久狩猟の伝統を残していたブッシュマンは、獲物が倒れるまで3~5時間走り続けたと言います。 そして驚いた事に、持久狩猟は弓矢による狩猟よりずっと効率が良かったのです。

 ブッシュマンの弓矢による猟では、1m程度の灌木や草が疎らに茂っているだけの見通しの良いカラハリ砂漠で、獲物に気づかれないように20mぐらいまで近寄って、毒矢を命中させなければなりません。何とか矢が命中したなら、逃げた方向と足跡の特徴を覚えて一旦キャンプに引き返します。実際の追跡は翌朝からで、まだ薄暗いうちからキャンプの数名で追い始め、毒が回って獲物が動けなくなるまで何日も追跡して止めをさすのです。大型カモシカの狩猟では、普通3~4日を要すると言います。 これだけの労力が必要とされる弓矢猟にも拘らず、毒の効きが悪くて獲物に逃げられたり、追跡の途中でライオンやヒョウなどの肉食獣に獲物を横取りされる事もあります。弓矢による狩猟は、労力が掛かる割には成功率はそれほど高くないのです。狩りの日数が同じなら、肉の収量は持久狩猟の方がはるかに多いと言います。

図103)ブッシュマンの弓矢猟 

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

(注)ブッシュマンは近年は「サン」と呼ばれますが、これは「牛泥棒」という意味で、周辺の農耕牧畜民が侮蔑を込めて付けた蔑称です。「ブッシュマン」も元々はヨーロッパ人が付けた蔑称ですが、現在では彼等自身が英語で「ブッシュマン」と名乗っています。残念な事ですが、現在はボツワナ政府から狩猟を禁止され、 ダイヤモンド採掘の為に保護区内からは強制的に立ち退かされ、かつての狩猟採集生活をしていた自由で誇り高いブッシュマンは最早存在しないと言えます。

 持久狩猟では、獲物を追い続けてオーバーヒートさせる事が鍵になる訳ですから、当然狩りは体温の上がり易い暑い日中に行われます。一方、ライオン・ヒョウ・ハイエナなどの肉食獣が狩りをするのは夜間です。つまり、カラハリのブッシュマンは真昼の太陽の下で狩りをする事で、他の捕食動物や清掃動物(スカベンジャー)と重ならない特別な生態的地位(ニッチ)を獲得する事に成功したのです。野生動物のテレビ番組では、良くライオンが物憂げに木陰で寝そべっている様子が映し出されますが、これは百獣の王が怠惰なのではなく、太陽が照り付ける日中は木陰で暑さを凌ぐ休憩時間だからです。そして、狩りの行われる日没後や夜明け前には、精悍な肉食獣に一変するのです。一方、草食動物にとっても、夜間は何時肉食獣に襲われるか分からない緊張を強いられる時間帯ですが、日中はのんびり草を食む事の出来る時間のはずです。つまり、人間は肉食獣が狩りをせずに休息している時間帯、そして草食動物も警戒を解いて草を食んでいる時間帯に狩りをするという、優利な立場に立つ事になったのです。

  体温の上昇を抑えるという事が動物の生存にとって如何に重要かが分かりますが、実は前々回取り上げた恐竜の気嚢システムは、体を冷やす体温調節システムとしても機能しています。 気嚢は内臓を取り囲み、骨の内部にまで入り込んで肺の容積を何倍にも拡張しました。この気嚢システム内を一方向に流れる空気が、内臓から熱を効率的に奪う働きをしているのです。つまり気嚢システムは、体を冷やす空冷システムとしても機能した訳です。酸素濃度が低い一方で二酸化炭素濃度は高く、気温も高かった中生代の暑い気候の中で、放熱面で不利になる巨大な恐竜が繁栄できたのは、優れた呼吸システムであると同時に体温調節システムとしても働いた、気嚢システムを持っていたからなのです。高温・低酸素の中生代の環境下では、気嚢システムを進化させた恐竜に対し、哺乳類が太刀打ち出来ようはずは無かったのです。こうして中生代の哺乳類は、放熱効率の高い小型種ばかりになっていました。


高度な狩りの技術と仲間の連携

 この様に見て来ると、長距離走さえ出来れば持久狩猟は簡単な事の様に思えます。ところが実際には、獲物を休ませずに走り続けさせるのは思いのほか困難で、高度な狩りの技術と仲間との連携プレーが不可欠なのです。実は、持久狩猟仮説を証明するために、研究者自らレイヨウを脅しながら追う実験を行っています。ワイオミング州の荒原で、3頭のレイヨウを2人で追ったのです。レイヨウは、高速で短距離走ると立ち止まって追っ手の方を見つめ、追いつくと再び走り出します。しかし、レイヨウは落ち着き払って、全く心配している様子が見られません。3頭のレイヨウは俄か狩人の思惑を見透かす様に、息が切れると引き返して群れの中に紛れ込み、研究者はどのレイヨウが追跡で疲れているか見分けが付かなくなってしまうのです。こうして彼等は混じり合い、位置を入れ替えながら、一塊となって荒原を移動して行ったのです。追跡開始のほんの2時間後には、350kgのレイヨウの肉が手に入ると皮算用して張り切っていた研究者は、期待を裏切られる事になったのです。つまり持久狩猟を成功させる為には、特定の個体を群れから引き離して、休む間を与えずに追い続けなければならない訳です。我々よりスピードがずっと早い獲物を、群れの中や灌木に逃げ込ませない様に追い立てるのは、生半可な事では出来ないのです。

 ブッシュマンは、標的と決めた1頭の後ろに回り込み群れから孤立させ、休もうとすれば木立から追い出し、見失ったら足跡を調べて追跡対象を絞り直し、地面に残る痕跡から獲物の行動を読み取りながら何時間も追跡して行きます。ブッシュマンは、足跡の特徴や糞の形から、追っている特定の個体を識別する技能を持っているのです。腸内の隆起や溝によって、排泄物に固有のパターンが残るのだと言います。こうして数人のハンターが、狙った1頭の獲物が力尽きて倒れ込むまで、連携プレーで追い詰めて行きます。ここには、動物の習性に関する深い知識と高度な狩猟テクニック、そして仲間との緊密な連携が不可欠です。さらに、仕留めた獲物はその場で直ぐに解体され、各人が肉片を背負ってキャンプまで運ばなければなりません。200kgの獲物を解体して150kgの肉を持ち帰る場合、5人で担ぐとしても1人当たり30kgにもなります。それを焼け付く様なカラハリ砂漠で、15~30kmも運搬しなければならない訳です。このように、大型の野生動物を狩ろうとすれば、仲間の協力・連携プレーが絶対に必要なのです。


ブッシュマンの平等社会

 人類は、ホモ・エレクトス以来、こうした狩猟生活を約200万年間も続けて来ました。それに比べて、文明を生んだ農耕牧畜は約12000年前に始まったに過ぎません。実に、人類の歴史の99%以上が狩猟採集によって営まれて来たのです。そして、仲間で協力し合っての狩猟が、今日の人類と社会の在り方を決定づけてきたのです。

図104)紀元前 2000年頃の人類社会(黄:狩猟採集民、紫:遊牧民、緑:単純農耕社会、橙:複雑農耕社会、青:古代国家)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 狩猟採集生活を続けてきたブッシュマンの社会は、争いの少ない平等主義的な社会だった事が知られています。社会を統率するような首長も居なければ、専門家も存在せず、個々人の意思と良識に基づいて社会生活が営まれていたのです。柔和な彼らは争いごとを好まず、他人の物を盗む事もほとんど有りません。問題が発生すると、キャンプの誰もが自由に参加出来る話し合いで決着が図られます。「ブッシュマンは盗みを良くないものと見做し、暴力によってではなく平和的に物事を解決しようとするので、盗みや暴力事件はめったに起こらない」(『ブッシュマン』田中二郎著)と言われます。

 そして、根っから朗らかな性格の持ち主で友好的なブッシュマンは、絶えず冗談を言い、笑い転げて楽しんでいます。こうしたおしゃべりの他、歌と踊りが大好きで、おしゃべりの合間などにしょっちゅう歌を口ずさみ、さらには手拍子、足踏みして踊り始めます。夕方になると、決まって子供達の小さな輪が出来上がり、はりあげた歌に合わせて踊りが始まります。特に、狩猟が成功して大量の肉が手に入った時などは、一晩中踊り明かす事になります。 

 原始共産制社会を彷彿とさせる様な、平等主義の原理によって成り立つブッシュマン社会ですが、その基盤となっているのが分配と共同の原則です。そして、これは家族を超えて、キャンプに居合わせた全ての人々の間で実行されます。分配は食物の他、採集狩猟具・世帯道具・衣類・装身具など様々な品物で行われますが、最も重要でかつ頻繁に行われるのが食物の分配です。食料が常に手に入るとは限らない、カラハリ砂漠の厳しい環境下で生き残る為には、常に食料を分け合い、互い協力して生存を保障し合う社会システムが決定的に重要だったのです。こうしてブッシュマン社会では、食料の分配が半ば強制されてでもいるかの様に、徹底して行われる事になったのです。

図105)ブッシュマン

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 男たちが協力して狩ってきた、キリンやカモシカなど大型動物の肉は、原則としてキャンプに居合わせた全ての人々に分配されます。キャンプに運ばれた肉は、まず狩猟に参加した数人の間で第一次の分配が行われ、肉塊の山を中心に取り囲んで座り込んだ男たちの間で、それぞれの家族の取り分が振り分けられます。こうして分配された肉は、各家族ごとに親戚や友人・訪問客へと第二次の分配が行われ、さらに第三次・第四次と細分化されて行くのです。 大きな肉塊の分配を受けた家族は、それぞれ料理して数個の容器に盛って他の家族の小屋に運んだり、あるいは自分達の小屋に招待して一緒に食べたりします。こうして肉はあちらに行ったり、こちらに来たりしながら、最後にはキャンプの全員に行き渡る事になるのです。

 ブッシュマン社会では、食物以外にも分配が広範かつ頻繁に見られますが、彼らに私有財産や所有の概念が無い訳では有りません。 衣類の毛皮・装身具、毒矢・槍などの狩猟具、ナベ・コップなどの日用品に至るまで、所有権ははっきりしています。ブッシュマンの間で盗みが無いのも、所有権が明確だからこそなのです。それにも拘らず、彼等は頻繁に他人に物を貸したり与えたりしています。つまり、こうした分配は所有権の有するものを与える一種の贈り物であり、日常的に贈答品を交換し合う事で、社会の靱帯を強固にしているのです。

 また肉の分配に於いても、矢の射手が背中の肉など特定部分を得るなどは有りますが、概ね平等に分けられます。おしゃべりの延長のような話し合いでも、誰もが自由に参加し発言する事ができます。こうしてブッシュマンの社会では、平等を維持し貧富の格差や政治的なリーダー・権力者が生まれない様な仕組みを作っているのです。 そして、この平等社会の基礎の上で、大型動物の狩猟の他、 カモシカの毛皮の加工、キャンプ地での小屋の設置など、様々な共同作業に気軽に参加して互いに助け合っているのです。


狩猟採集生活が人類社会のあり方を決定づけた

 こうした平等社会は、人類の祖先が約200万年前に植物食から肉食に転換した事と深く関係しています。植物食であれば個々に採食すれば良い訳で、食糧の獲得に特別な協力が必要な訳では有りません。ところが肉食、特に大型動物の狩猟では集団の緊密な協力が不可欠です。足も遅く、牙の様な強力な武器も持たないヒトは、仲間同志で協力する事しか有効な方法が無かったのです。こうして、ホモ・エレクトスが本格的な狩猟による肉食を開始して以来、人類は200万年もの長きに亘って協力し助け合いながら、ブッシュマンの様な平等な社会を形成して生き延びてきたのです。そしてこの事こそが、人類社会を他の動物の群れとは全く異質な独自なものにしているのです。人々のこの緊密な協力関係こそが、人類の複雑で高度な社会を生み出した基盤になっているのです。

図106)ホモ・エレクトスが狩猟していた直牙のゾウ

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 ホモ・エレクトスのサイトは、ゾウ・サイ・カバ・ウシ・イノシシなど中型から大型の獲物と関連している事が良くあると言います。また、レバントからのホモ・エレクトスの消失は、真っ直ぐな牙のゾウの局所的な絶滅と相関しているとも言います。つまりホモ・エレクトスは、こうした大型動物を狩猟していた可能性が高いのです。植物では、イスラエルで 55 種類の果物・野菜・種子・ナッツ・塊茎を採集して食べていた事も分かっています。つまりホモ・エレクトスこそが、最初の狩猟採集民だったのです。

 アフリカ以外で発見されたホモ属の最古の化石は、185 万年前のジョージア(旧グルジア)のドマニシ原人でした。つまり、約200万年前に誕生したホモ・エレクトスは、その直後にアフリカを出てヨーロッパ・中東・アジアへと進出し始めていた事を示しています。これが可能だったのは、ホモ・エレクトスが最初の狩猟採集民だったからなのです。狩猟採集では、広大なテリトリーの中を獲物を求めて長距離移動する遊動生活が基本になります。 ブッシュマンのハンター達は、獲物を求めて1日に20kmも歩き回る事もしばしばと言います。 この様な、長距離移動に適応した狩猟採集生活が、ホモ・エレクトスにホモ属として最初のアフリカ脱出を可能にしたのです。 

図107)ケニア、イレレト近くのホモ・エレクトスの足跡化石(約150万年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 図107)は、ケニアの遺跡に残された約150万年前のホモ・エレクトスの足跡化石です。この足跡は、20人ほどのグループが一方向に歩いていた事を示しています。しかも足跡のサイズから、ほとんどが男性のグループだったと言います。これは、このグループが何らかの意図を持って移動していた事を示唆しています。ブッシュマンでは、男達はグループを作って狩りに出かけ、女達は植物採集と役割分担が明確に決まっています。この足跡は、遠い昔に獲物を追っていたハンターのグループを彷彿とさせます。


性的二型と人間家族の出現

 人類誕生は、それまでの直立二足歩行する類人猿に過ぎなかった猿人のアウストラロピテクス類から、真にヒトらしい骨格を進化させたホモ・エレクトスの登場する約200万年前を画期とすると繰り返し述べてきました。同時に、ホモ・エレクトスが初めて厚い毛皮を脱ぎ捨てた可能性も指摘しました。しかし、ヒトの生物としての進化だけではなく、人間社会の観点から見た場合も、約200万年前は大きな画期となっていた可能性が高いのです。

図108)コウライキジの性的二型(右:オス)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 実は、猿人のアウストラロピテクス類は、大きな性的二型を持っていた可能性が有るのです。 例えば、ルーシーで有名な A・アファレンシスの標本は広範囲の変異を示しますが、これはオスがメスよりもはるかに大きい、顕著な性的二形性の結果と考えられています。 ある推定では、オスの身長151cmに対しメス105cm、体重はオス44.6kg、メス29.3kgと、オスの方がメスより約50%も大きくなっています。ところが、ホモ・エレクトスではオス・メスはほぼ同サイズで、性的二型はほとんど無かったと考えられているのです。 

 この性的二型は、繁殖システムと深く関係している事が知られています。一夫多妻制の哺乳類ではオスがメスよりずっと大きくなる一方で、一夫一妻制では性的二形が不明瞭になっています。一夫多妻制では、メスをめぐるオス間の闘争が激しくなり、オスの身体が大きくなるのだと思われます。つまり、ホモ・エレクトスに性的二型が無いとすると、猿人のアウストラロピテクス類からホモ・エレクトスが進化して来る中で、一夫多妻制から一夫一妻制に変わったと考えられるのです。一夫一妻制を基礎にした人間家族は、約200万年前のホモ・エレクトスの登場とほぼ同時に出現した可能性が高いのです。

 つまり、約200万年前にホモ・エレクトスが始めた狩猟採集生活が人々の間の協力関係を発達させ、複雑な人間社会を生み出すと同時に、一夫一妻制の人間家族も同時期に誕生していたと考えられるのです。

図109)ヒトの脳容積の進化(横軸:100万年前)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 また、脳容積の急拡大が始まるのも、ホモ・エレクトスの登場する約200万年前以降の事です。図109)を見ると、約200万年前以降に脳容積が急拡大しているのが分かります。実は、脳組織の50~60%は脂質から構成されており、大きな脳を作るには脂質を豊富に含む肉食が不可欠なのです。そのうえ、人間の脳は体重の2%程度にも拘らず、眠っている時でさえ全身のエネルギーの約20%を消費する、エネルギー多消費型の器官です。この大量のエネルギーを賄う為にも、カロリーの高い肉を大量に摂取する必要が有るのです。つまり脳容積の急拡大は、ホモ・エレクトスの始めた本格的な肉食と深く関係していた訳です。

 また、右の図は過去10万年間を拡大したものですが、1万年前辺りから変異が大きくなると共に、脳容積が急激に減少している様に見えます。1万年前と言うと農耕が始まり、食事が肉食から穀物食に急転換した時期に当たります。この農耕革命によって糖質の摂取量が急拡大して、狩猟採集時代の1日10~125g程度が、現在は1日250~400gになっているのです。この糖質に過度に依存した食事により栄養状態が悪化し、脳容積の減少を引き起こした可能性が考えられます。実際、農耕の開始によって、身長は減少し、骨粗しょう症・虫歯が増えたと言われます。

 以上の様に、ホモ・エレクトスの登場した200万年前は、人類誕生・狩猟の開始・家族と人間社会の誕生・出アフリカ・脳容積の急拡大・体毛の喪失など、様々な変化が一挙に起こり、その後の人間の有り方・社会を決定づけた革命的進化の時代だったのです。

(つづく)



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