見出し画像

健康と文明病 ⓾(猿人からヒトへ)

猿人とヒトの骨格

 話がだいぶ横道に逸れてしまいました。人類が誕生した約200万年前に話を戻す事にしましょう。これまで述べてきた様に、約200万年前、人類の祖先が狩猟の獲物を追ってサバンナに走り出した事が、二足歩行する類人猿に過ぎなかった猿人を真の人類に進化させた訳です。これによって、類人猿の特徴を色濃く残した骨格を持つアウストラロピテクスから、現代人とほとんど変わらない骨格のホモ・エレクトスが誕生したのです。次の図81)と図82)を見比べれば、この変化が如何に大きかったか理解できると思います。そしてこの大きな変化は、更新世の氷河時代に入り寒冷化と乾燥化が進展する環境変化の中で、植物食から肉食への生活の糧の大転換、生き残りを賭けた新たな生態系の地位への進出が生み出したものだったのです。

図81)ヒトとゴリラの骨格

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

図82)アウストラロピテクス・セディバ(約 198 万年前、左右)とルーシー(318万年前、中央)の復元骨格

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 この異なる生態的地位(ニッチ)への適応が、その骨格の違いに反映されています。図81)と図82)を比較して一目で分かる目立った違いは胸郭の形状です。ヒトが前後に扁平な樽型なのに対し、アウストラロピテクスでは上部が極端に狭まった円錐形になっています。そして、ヒトでは鎖骨が水平で撫で肩になっているのに対し、アウストラロピテクスでは鎖骨が釣り上がった怒り肩で、首も短く肩をすくめた様な形になっています。その上、上腕骨頭部が関節する肩甲骨外側の肩のソケット(関節窩)が上向きで、腕を上方向に伸ばす事を容易にしています。これらは腕が長い事と合わせて、図82)のゴリラに見られる様に大型類人猿と共通する特徴で、枝にぶら下がったり、腕渡りへの適応と考えられます。腕でぶら下がる生活への適応で肩甲骨が上方向に回転して怒り肩となり、さらにぶら下がった時の体のバランスを良くする為に胸郭上部を狭めて肩幅を縮め、身体を支える腕の位置を重心に近づけています。

 一方、アウストラロピテクスの骨盤や下肢は類人猿とは大きく異なり、ヒトと良く似ている事が分かります。縦長で板状の類人猿の骨盤に対して、ヒトとアウストラロピテクスでは、内臓を下から支える様にお椀型の高さの低い骨盤になっています。また、大腿骨が内側に傾斜して脚の位置を重心に近づけ、二足歩行時のバランスを良くしています。

 つまり、猿人のアウストラロピテクス類は上半身が類人猿に似る一方で、下半身はヒトに似ていると言う、樹上生活への適応を示す上半身と二足歩行に適応した下半身を持つ、キマイラ(キメラ)の様な不思議な生物だったのです。私が、猿人は直立二足歩行する類人猿だと述べて来た理由がご理解頂けると思います。恐らく、彼等はサバンナや森林の入り組んだ環境に棲み、サバンナでは直立二足歩行で移動し、森林では樹上に登って食糧を獲得していたのでしょう。 


ランニングへの適応がヒトを誕生させた

図83)ラエトリの足跡(約370 万年前、タンザニア)

(出典:ウィキメディア・コモンズ)

 直立二足歩行の最古の証拠は、タンザニアのラエトリ遺跡に残る足跡です。約370万年前、タンザニアのサディマン火山が噴火して火山灰を積もらせた直後に雨が降り、積もった火山灰をきめ細かなセメント状の泥に変え、そこをゾウ・キリン・レイヨウ・ホロホロチョウなどの動物が歩いて足跡を残したのです。その中に、ルーシーの仲間のアウストラロピテクス・アファレンシスと思われる3人が、27mにわたって二足歩行する足跡が残されていたのです。

 こうして約400万年前頃には、直立二足歩行がほぼ完成していた事が明らかになったのですが、これは人類が誕生する200万年も前の事です。従来、直立二足歩行こそが人類の証しと考えられて来た訳ですが、直立二足歩行を完成させたのは類人猿の上半身とヒトの下半身が合体した様なキメラ動物で、文字通りの猿人だったのです。そして、この直立二足歩行する類人猿に過ぎなかった猿人を、真のヒトに進化させたのが獲物を追ってのランニングなのです。彼等は森を捨て、サバンナで捕食者として生きる道を選択し、それに合わせて樹上生活とも完全に縁を切る事になります。

 その結果、猿人からヒトへの進化は、樹上生活に適応した類人猿の上半身を、サバンナでの狩猟生活に適したものに変える事が主な仕事になったのです。樹上生活を捨てれば、肩をすくめて肩幅を狭める必要も無くなります。ランニングでは、脚の動きと反対方向に腕を強く振ってバランスを取る必要が有りますが、図82)のアウストラロピテクスが広い胸郭を避けて腕を左右に広げている事からも分かる様に、この狭い肩幅では肋骨が邪魔をして腕を自由に振る事が出来ません。この問題を解決して勢い良く腕を振ってランニングする為に、尖った胸郭の上部を左右に広げ、鎖骨を水平にして肩幅を広げる事にした訳です。

 こうして尖った胸郭上部を左右に広げる事で、ここに肺を入れる新たなスペースが生まれます。アウストラロピテクスのスカート状に広がった円錐型の胸郭は、狭い胸郭上部による肺を入れるスペースの不足と、植物食者の長い腸を入れる必要から生まれたものと思われます。ともかく、内臓を入れるスペースの問題が解決した事で、ヒトでは胸郭下部を狭めて樽型にする事が可能になったのです。

 図81)と図82)を比較して気付くのは、ヒトがくびれたスマートな腰を持っているのに対し、アウストラロピテクスでは、円錐型に大きく広がった胸郭の肋骨の下端が同じ幅の骨盤に覆いかぶさる様に接近して、腰のくびれが全く無い点です。しかし、この類人猿の様な太鼓腹ではランニングは難しかったはずです。ランニングでは、腕と一緒に上半身も脚と反対方向に捩じってバランスを取る必要が有りますが、アウストラロピテクスでは肝心の腰の部分の胸郭が最も太くなっている訳で、これでは腰を捻って上半身を回転させる事は困難だったでしょう。

 一方、肉食によって腸を短縮できたヒトは、胸郭をコンパクトな樽型に変え、ランニングに適したほっそりとした柔軟な腰を手に入れたのです。図81)を見ると、頑丈でごっつい感じのゴリラに対して、ヒトの骨格が異様に華奢でスマートなのが分かります。誕生したばかりの人類が、サバンナを長い脚を活かして軽快に走っていた様子がしのばれます。こうして、アウストラロピテクス類から進化した最初の人類のホモ・エレクトスは、サバンナの捕食者、走る狩人として新たな生態的地位(ニッチ)を確立して行ったのです。

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?