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毒娘ビーチェ

 吐息だけで人を殺す女を探してほしい。そんな依頼だった。そいつのせいで俺は今、路地裏で背中をグッサリやられている。
 
「捕らえるのはこちらがやる。お前がやることは、『捜す』『見つけたら連絡する』。それだけだ。それ以外は何もするな」
 『博士』と名乗った男はそれだけ言って通話を切った。指定されたロッカーの中にあったのは写真だけで、予想と違い平凡な女が写っていた。しかし、『俺』に依頼してきた時点で、何かワケありってことだけは確かだ。
 俺は女のことを調べた。綿密に、入念に、それこそ必要以上にだ。情報というのは知られたくないことほど価値がある。ついでに依頼者の弱みを握れたら上々で、それが俺のやり方だった。
 
 だが、『博士』の研究室に忍び込んだのは良くなかった。バレちまってこのザマだ。体の中は燃えるようなのに、手足は急速に冷えていく。息を止めて、肘を振り下ろす。素早く肘鉄を避けた男は、後ろに下がると同時にナイフを引き抜いた。吹き出した血が、男の顔にかかるのが見えた。力が抜け、ついに地面に膝をつく。男が一歩、こちらに踏み出すのが見えて、死を覚悟した。その時だった。

 ナイフの落ちる硬質な音がした。見上げると、男の顔は斑に腫れていっていた。瞬く間に斑点は増えていく。見るからに動揺し、身を翻して逃げるように走り始めた。
 男が向かう先に目をやると、いつのまにか、小柄な人影が路地裏の出口にあった。構わず男はそのまま走り抜けようとする。人影が吐く息が白く見えた。ただ、それだけだった。
 唐突に、男は倒れた。数度強く痙攣したが、そのまま動かなくなった。死んだ、と思った。
 死体を踏み越えて、人影はゆっくりと近づいてくる。フードの下の顔を見て、思わず息を吸い込んだ。俺が捜していた、写真の女だった。
 女は俺を覗き込む。瞳をひたりと俺の上に据えて、口を開く。
「アンタ、早くしないと人間じゃなくなるよ」
 女の白い息が俺にかかる。

【続く】

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