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人生2回目のフルマラソン挑戦 ~2012年3月「第34回大阪42.195kmフルマラソン大会」

【人生2回目のフルマラソン】
2012年3月。高校3年生(18歳)。
「第34回大阪42.195kmフルマラソン大会」
再び長居公園のスタートラインに立った。

あんなけ走らないって決めたのに…
時間と共に苦しさは忘れていき、
人生の充実感と後悔の念が増大。
昨年は4位。1位とは約5分差。
練習したらいけるんじゃない??
優勝したい。そう願った。

【初フルマラソン挑戦】


【初フル挑戦 直後】

高校2年で初フルマラソンに挑戦。
その直後から走り方を忘れてしまい
追い込んで走る感覚を忘れてしまい
まったく出力が上げて走れない日々。
練習の積み重ねで疲労感を感じない。
まだいける!腹8分目な練習が増えた。
これまで燃え尽きてこそ練習!!から
余力ある状態で翌日も走れる感覚で
練習を終えるスタイルが定着した。

【3人目の顧問の先生】
サッカー部の顧問が陸上部に転籍。
当時58歳くらいだったと思う。
神戸に住む市民ランナーはよく知る
あの方が顧問の先生として着任した。
それまで夏は中距離、冬は長距離…
走る距離がマチマチだったところ、
その顧問の先生が着任してからは、
ジョギングの距離が長くなっていき
追い込んで走る頻度も増えていった。

走る感覚を忘れていたけども
徐々に感覚を取り戻していった。
まず練習では走れるようになり、
少しずつでも実力が伸びているのは
身をもって実感があるほどでした。

【高校3年生の夏】
夏場は進路選択に悩みに悩み、
大スランプが訪れてしまった。
工業高校だったので就職が当たり前。
高校1年生の時から担任の先生には
・大阪大学の研究所に就職し、更に
・京都工芸繊維大学の夜間校に進学
という道を歩むよう薦められており
自分自身もその気で過ごしてきた為
将来設計を何もせず漠然としていた。

なので、いざ!という場面になって
「自分の人生これで良いのか?」
と自問自答をするようになった。

受験のタイミングが駅伝と重なり
定年まで約40年安泰の道へ進むか、
1度きり高校3年の駅伝に出場するのか、
二者択一。まさに人生の分岐点でした。

両親も親戚一同もビックリしたと思う。
生涯安泰より、駅伝を選択した。

そして就職する道を選んだのだが
どんな会社があるのか?知らない。
進路相談室に通い詰めると…
1, 関西電力
2, 三菱重工
3, 住友金属 (現:日本製鐵)
進路相談担当の先生の提案が3社。
さて、どれにする??

イメージだけで良さそう‼️と感じ
選択した道は、住友金属でした。
(経営統合があり住金としては
 最後の新入社員として入社した)

【高校3年生の秋】
8月中旬に進路を選択して
9月中旬には面接試験があり
内定通知が届き、一安心。
全力で高校LIFEを楽しもう!!

当時付き合っていた彼女とは
就職する道を選んだことを伝え
お別れをした。失うものは何もない。

スランプだった走力は徐々に復活。
当時の練習メニューは
月曜 3km or 6km TT
火曜 3km or 6km TT
水曜 400m or 1000mインターバル走
木曜 10kmペース走(高低差50m)
金曜 8kmジョギング
土曜 短距離チームと合同練習
日曜 休暇

薄底、低反発シューズの当時で
5000m 15分39秒
(3000m9分30秒通過で)
まで一気に記録を伸ばせた。

それまで16分20秒とかで
くすぶっていたのは何だったのか?
走ることが最高に楽しくなった瞬間。
己のエネルギーが解放された気持ち。

【高校3年生の冬】
駅伝大会と共に現役引退。
これまで顧問に言われたメニューを
淡々とやるスタイルだったのが、
この時期から自分で考えて組んで
自分で管理する形になっていった。
目標は人生2回目のフルマラソン。
初めて走った時に抱いた恐怖心…
30kmを越えたら潰れる!という幻想。
練習で潰れる訳にはいかない。

地元・住吉川での走り込みは25kmまで。
時折、部活動に参加してスピード練習。
距離に対する耐性強化を中心に捉えて、
少しだけスピードを補うスタイルにした。

【1ヶ月前のハーフマラソン】
人生2回目のハーフマラソンは
初レースと同じポートアイランド。
神戸バレンタインラブランに出場。

初レースは1時間16分でゴールして
初フルが2時間55分51秒という成績。
2回目のレースの結果は1時間14分!!
さて本番はどうなるだろう??

【人生2回目のフルマラソン】
2012年3月。高校3年生(18歳)。
「第34回大阪42.195kmフルマラソン大会」
再び長居公園のスタートラインに立った。

あんなけ走らないって決めたのに…
時間と共に苦しさは忘れていき、
人生の充実感と後悔の念が増大。
昨年は4位。1位とは約5分差。
練習はできる限りを費やした。
優勝したい。優勝できるかも。
希望と期待感を持ってスタートした。

最初から先頭集団に付いた。
ちょっと緩い感覚のジョギング。
そうそう!これこれ。こんな感じ。
1年ぶりの感覚は何か心地良さがあった。

…でも再び記憶喪失が起きている。
スタート直後から、ゴール直前まで
ほとんど記憶がない。

ゴール直前。ラスト1周回。

【諦めなければ奇跡は起きる】
練習での最長は25km。
それでも走れる自信があった。
そして、このフルマラソンをもって
現役引退をする覚悟で挑んでいた。
なぜか。もう走りたくない。
もうキツいことは、もういい。
これが最後。これが最後の試合。
ラストラン。もう走らないから。

だから後悔なく終わろう。

何度も「諦めたい」という悪魔が
頭の中を駆け巡り、戦った。
その度に、これが最後だぞ!!
それでいいのか?それで満足か?
もう脚がどうなってもいいから。
命限界まで尽くせ。
最後の最後まで諦めるな。

なぜだか、踏み留まることができた。
めちゃキツい。脚も動かなくなる。
けど最後まで走り切るんだ!!と。

11周目(2813m×11周)あたりから
今年も失速が始まりましたが、
なんとか耐えに耐えてる走り。
この時点で3位。まだいける。

ラスト2周(14周目)で1人抜いた。
もしかして苦しいのはみんな同じ??
だとすれば、諦めなければチャンス有り?
もしかしたら、いけるかもしれない。
苦しさの中に、希望の光が見えた瞬間。
苦しいんだけど、気持ちは前を向いた。

ラスト1周回(15周目)。
なんと先頭を走る選手の背中が遠くに見えた。いける。いけるぞ。あそこまでいくぞ。でも、少しでも調子に乗ると、身体は悲鳴をあげる。そんなん無理やって。筋肉がはち切れそうになる。けど、あの前までいきたい!!諦めるな。

ラスト1周回を通過して1kmを過ぎると、先頭を走る選手の背中が次第に大きくなっていく。いける。いける。大きくなるペースが早まっていく。いける。いける。射程圏内。いける。いける。

【ラスト1kmの奇跡】
フルマラソンは42.195km。
41km走ってきて奇跡は起きた。

先頭の選手の横に並んだ瞬間、
「ウソやろ!?」って顔をされた。
心は1つ。優勝したい。
もはや引退など頭に無かった。
ただ最後まで走り切って優勝したい。
一心不乱。

ラスト1kmから猛チャージ。
けど筋肉は限界に突入している。
何度も攣りかけ、転倒寸前。
転んだら終わり。立てなくなる。
ゴールテープを通過するまで耐えろ。
もう必死。

そして訪れた念願の瞬間。

人生初優勝
第34回大阪42.195kmフルマラソン大会
in 長居公園
記録 2時間47分31秒
(8分20秒 自己ベスト更新)

もう最高の瞬間。
初めて手にするトロフィーに感動。
初めて両親の目の前でカッコ良い走り。
初めて両親に親孝行できたと思った。

そして、これで引退できる~
という安堵感を感じていましたが
心のどこかで、止まらない胸騒ぎ。
またここに戻ってくるんだろうなー。

そして迎えた高校卒業。
社会人1年目のスタート。
新しい一歩を歩み出した。

人生5回目のフルマラソン
それは第2回神戸マラソン2012
これもまた人生の分岐点となった大会。
引退したはずなのに??
あれ、3回目、4回目はどこへ??

続きは次回、投稿します。


松井一矢





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