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きっかけだけど、憧れではない

仕事の原稿ばかり書いていたら、段々と息苦しくなってきて。たまには、もう誰にも頼まれていない、ごく私的なテキストでも書き散らしてみたいと思うようになった。なので、この原稿は清書もしないし(気づいたら、こっそり誤字は直す)、オチも考えない。

なんとなく頭に浮かんだのは作家の椎名誠だ。おそらく、私が編集やモノを書く仕事というベクトルに意識を向けるきっかけとなったのが、この椎名誠なのだ。本を読むことは小学生ぐらいの頃からずっと好きだったが、自分も本の仕事に関わりたいと思うまでには至らなかった。

きっかけはよく覚えている。家から自転車で10分ほど走ったところに、大きなブックオフがあった。たぶん、中学生か高校生になったばかりの頃かな。百円均一の文庫コーナーを眺めていたら、椎名誠のコーナーにぶちあった。たぶん、知った作家ではなかったけど、なぜか私はその中の一冊を手に取った。その本が『あやしい探検隊バリ島横恋慕』だったことははっきり覚えている。いまから考えると、椎名誠入門編のセレクトとしてはマニアックすぎるのだが、何も予備知識がなかったのだから仕方がない。ただ、家に帰ってその本を読んだ私は、よほど面白かったのだろうか、おそらくさほど日を空けずに、またブックオフに行って、椎名本を買い求めたに違いない。そこら辺の詳細な記憶は曖昧なのだが、失礼な話、多作な作家であったので、百円で変える本はたくさんあった。片っ端から、椎名誠コーナーの本を読み漁っていった。

その後の経緯などは全部書くと長くなりすぎるので、色々はしょって、いま私はフリーライターとして仕事をしている。椎名誠に対するリスペクトはいまに薄れることはないし、冒頭にも書いた通り、現在の仕事に通ずる入口となったのは椎名誠の本だった。しかし、椎名誠に影響を受けたと思ったことは一度もない。正直なところ、憧れたこともない。あんな面白い文章が自分に書けるはずもないからだ。

若い頃の、ノリに乗ったシーナマコトの文章を読んでみるがいい。よくもまあ、あんなフレーズが浮かび、あのような曲芸的な流れで、組み立てることができるたものだ。誰が見ても「これは椎名誠のテキストだ」とわかってしまう、オリジナルティあふれる文体。十分に評価されてきた大作家なのだから、いまさら私がこんな風に絶賛するのもバカバカしいと思うのだが、ともかく、凄まじい作家なのだ。

老いぼれて、仕事もなくなって、こんな文章を書くとしかないくらい暇になったら、あるいは「俺も椎名誠みたいなコラムを書こう」と血迷って思いだすかもしれないが。やっぱり、いまだに『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』なんかを再読すると、身の丈を知らされる。そして、ああまたこんなどうでもいい文章を気まぐれに書いてしまったと、自己嫌悪に襲われるのであった。

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