見出し画像

親子二代で地域の文化を記録し続けた小さな楽器店の物語〜岐阜県郡上市「白鳥おどり」レコード誕生秘話〜

昔からの文化を未来に伝えていく、その担い手は誰になるのだろうか。全国各地を旅したり、古い文献を読んでいると、どの地域にも必ず一人は地元の文化について深く掘り起こし、詳細な記録を残している人がいることに気づく。それも大学教授だとか、役所の職員だとか、そういう特別な人ではなく、ごくごく普通の一般的な生活者である。そんな探求者たちの仕事があったからこそ、私たちは地域のかつての暮らしぶりや、文化を知ることができるのだ。しかし、彼ら/彼女らは、その仕事を通じて何を果たそうとしたのだろうか。

盆踊りが好きで、ここ何年も全国の古い盆踊りを追いかけている。とりわけ、岐阜県郡上市の奥美濃といわれる地域の盆踊りは大好物だ。郡上市には日本三大盆踊りに数えられる「郡上おどり」があるが、負けず劣らずに毎年熱気を帯びているのが同じ郡上市の白鳥町にて、毎年お盆に開催される「白鳥おどり」だ。

市街の中心地でヤグラを囲って盛大に行われる”町おどり”と、各部落のお宮の拝殿で踊り子たち自身が唄を出し合いながら踊る昔ながらの素朴な”拝殿おどり”、この2つの顔つきを持つ奥深い唄と踊りの文化が、一部の人間を熱烈に魅了している。

拝殿おどり......神社の拝殿で踊られる盆踊りのこと。特定の音頭取りがおらず、踊り子たちが節に合わせて、順番に唄を出していく。太鼓は三味線がなく、板の間に響く下駄の音と、踊り子たちの唄を頼りに踊りが続いていく。町中で盛大に行われる「町おどり」以前は、この拝殿おどりの形式が、盆踊りの形だった。

画像1

画像2

画像3

長良川鉄道の終着駅にも近い「美濃白鳥駅」。駅舎を出ると、すぐ目の前に見えてくる楽器屋さんがある。名前は上田楽器店。

画像4

いま私たちが普通に手に入れることができる白鳥おどりの音源の多くを、制作・販売しているお店だ。とはいえ上の写真を見てわかるように、その見た目も、実態も、日本中どこにでもある楽器屋さん、音楽教室、CD屋さんとほとんど変わりはない。

実は、各地域の古い民謡の記録を担っているのが、こういった町の普通のCD・レコード屋さんであるというケースは珍しいものではない。古い民謡のレコードを裏返してみると、「●●楽器店」「●●音楽教室」というクレジットに出くわすのはよくある話だ。上田楽器店は、そのようなお店の中の1つというわけだ。

画像5

画像6

私が初めて白鳥おどりのCDを買ったのも上田楽器店だ。最初の1枚は、確かホームページからメールで注文して手に入れた。それから、毎年夏にこの地を訪れるたびに上田楽器店さんに立ち寄って、1つずつ音源を買い集めていった。

自然に、お店のカウンターに立つ、永子さんとも顔なじみになって、言葉を交わすようになった。笑い声がチャーミングで、おしゃれで、時にハッと胸を打つ哲学的な言葉で話し相手を魅了する。永子さんは息子さんご夫妻とこのお店を切り盛りしていた。

話すうちに、ここで販売されている音源は、13〜14年ほど前に他界された旦那様の上田浩己さんが作られていたということが窺い知れた。数年前には、旦那様のお父さんが個人的に収集してきた民芸品を見せてもらった。

画像7

撮影=小野和哉

画像8

撮影=小野和哉

画像9

撮影=小野和哉

お店から少し歩いた川沿いにある倉庫に、まるで地域の民族博物館のように、古い民具がたくさん保管されていた。中には、おじいさまが自ら筆をとって書かれたという資料もあった。明治時代からの風俗の変遷を可愛らしい絵で綴った絵巻、地元の民謡や方言を書き連ねて丁寧に綴じられた冊子。手づかずの宝物を見つけたような、静かな興奮を覚えた。

同時に、これは何のために作られたのだろうか、という疑問も湧いた。聞くところによると、保管されていた大量の民芸品も一般に公開されていたわけでもなく、こういった書き物の存在も、永子さんが倉庫を掃除する中で、偶然に見つけたことで日の目を見たらしい。知り合いにでも見せて話のタネにしたのであろうか、あるいは本として出版・販売する計画があったのだろうか。

何か心に引っかかるものがありながらも、その日はその場を後にした。

画像10

あれから数年経ったが、相変わらず僕は白鳥の地に通っているし、もっとたくさんのことを知りたいと界隈をうろちょろしたり、いつか白鳥おどりを東京に呼ぼうと、東京で仲間たちとイベントを開催したりもしている。初めて白鳥おどりに出会った時に味わった興奮はいまだ薄れてないし、ここ最近になって一段階ギアを変えて、白鳥おどりという文化に向き合ってみようと思った。

そんな時に、真っ先に頭に浮かんだのが、この上田楽器店だった。レコードの制作・販売で白鳥という土地の民俗芸能の保存・伝承に大きく寄与し、かつ「文化の記録」を親子二代に渡って担っているということ、さらに僕にとっては精神的な意味で内部と外部のハブとなっている永子さんという存在。

画像11

いつものカウンター越しの立ち話ではなくて、一度真正面から話を伺ってみたいと思った。その結果が、これから展開されるインタビューである。

なお、「取材」にあたっては、僕が白鳥おどりにハマった初期から踊りや唄、当地での作法を教えてくれたり、地元の人と繋げてくれたり、永子さんと同じくらい僕にとっては「ハブ的」な存在であり、多方面でお世話になっている、岐阜県可児郡在住の西田さん(と、お父さんに負けず劣らず白鳥おどりが好きな息子さん)にもご同行頂いた。この貴重な機会に、ぜひ立ち会ってもらいたいと思ったのだ。足りない知識は西田さんに頼ってしまおうという、そんな下心もありながらも。

取材・文=小野和哉
撮影=渡辺 葉(注釈のあるものは、筆者が撮影)

※インタビュー中に出てくる固有名詞などは、実際のインタビューに出て来た内容を尊重して、ほぼそのままの表記で掲載しています。

ーーーーーーーーーーーーー

全然興味なかったけど、
なんかいいもんやなと気になったんや

上田 前にあれやったかな。上で、長い書き物を……。

ー見せてもらいました。方言とかまとめられた資料とか。

上田 あれ見てもらったんやったな。

ーあれもすごいですよね。

画像12

画像13

画像14

画像15

画像16

上田 うん、まあすごいと思う人もあるし。興味のない人もあるんや。

ー全然、ピンとこない人もいるんですか?

上田 いるいる。興味のある人はあるし、ない人はない。そういうもんやよ。私はつくづくあれを人に見せとって(そう思う)。上にあるから、後でまた見てください。あれは、あの部屋で見ると余計いいんやなあ。

ーあの資料はおじいさま(永子さんの義父の上田正美さん)が書かれたものだと思うんですが、そもそもどういう経緯で出てきた資料なんですか?

上田 偶然見つけたで。5年くらい前に部屋を掃除している時に「なんや、これ?」なんて。私、最初は本当に興味なかったんや。

ー興味なかったんですか?

上田 全然(笑)。なかったけど、なんかいいもんやなと気になったんや。だからちゃんと置いておいて。そして(人前で)広げたら、みんな感動しなさるもんで。石徹白洋品店の平野さんが機織りの機械が欲しいと言って見えた時に、「こんなもんあったよ」と見せたら「うわあ、すごい!」って言われるんや(笑)。それで、私もびっくりした。

石徹白洋品店......白鳥の中心地よりさらに北上した福井県の県境に位置する白鳥町石徹白にて、伝統的な野良着をベースにした服作りをされている大変素敵なお店。ちなみに石徹白にも、ユニークで魅力的な盆踊りがあります。

ー見つけた時に、捨てないでよかったですね(笑)

上田 うん。でも、なんか気にとめたってことは、それに縁があったんやな。そういうことってあるんやで。物とか人とか、これも本当に一期一会の世界というか。(今、この瞬間も)これがもう二度とない、この日付で、秋で、こうやって出会えるということは、ないんやもう一生に。私この歳になってやっとその意味がわかった、一期一会って。今まではお茶の世界でどうのこうのって言っとったけども、今は段々年とってきたら、もうこのことは一回しかないと現実に思えてきた(笑)。そうやんねえ。

働きながら絵を描かれたおじいさん
どういう思いやったんやろう

ーもともと、上田さんは何屋さんだったんですか? 昔から楽器屋さん?

上田 おじいちゃん、おばあちゃん(永子さんの義父母)は切立。そこでよろず屋というか、お酒とか塩とかそういう色々なものを売ってた。

切立......岐阜県郡上市高鷲町切立。高鷲町は白鳥町に隣接する地域で、飛騨市や高山市へと連なる。

画像17

画像18

撮影=小野和哉

でも、だんだんああいう商売はダメになってきたね。だからこっち(切立のお店)を売って、それでここ(白鳥)におじいちゃんが大きな家を建てて、そこに住まわれて。そのときに、古いものをいっぱい、集めて。どうしようかと思うくらい……(笑)

それで主人は音楽が好きやったもんでね。白鳥のあそこに(上田楽器店のお店を)買って、おじいちゃんが。レコード店みたいなのやって。

ーそれはよろず屋を売られた後ですか?

上田 両方やっとったが。私たち(旦那さんと永子さん)は楽器店をやって、おじいちゃんおばあちゃんは高鷲で商売やってて、初めのうちは。ほいで、途中からここ(白鳥)に見えたんやけど。

ーお母さんは別の場所から嫁いできたんですか?

上田 うん。私は牛道っていうか、あっちから嫁いで。近いよ。

牛道......白鳥の中心地から東側に位置する地域。かつては牛道村。現在でも、盛んに拝殿おどりが行われている。

ーいつ、こっちに来られたんですか? 結婚されたというか。

上田 ふふ。まあ、あれやわ。……忘れた(笑)。

一同 ええ〜、嘘?(笑)

ー前に見せてもらった時に、昔のお店の看板みたいなものがありましたよね。

上田 そうそうそう。お酒、塩とか、タバコ、野菜みたいなのから、糸みたいなものから。よろず屋やね。昔、ああいうお店があったんやね。だんだん、時代が変わって(なくなってしまったけど)。本当に変わってきたでな。

ースーパーマーケットができたとか。

上田 そうそうそう。全て、世の中が変わってきた……。

ーそれで、あの博物館のようなものは、おじいさまが自分で集めたもので作ったんですか?

画像19

画像20

上田 そうそう。おじいちゃんが全部集めて(笑)

ーいつのまに集めてたんですかね?

上田 昔からコツコツ。好きやったんやなあ。

ー一般の人には公開してたんですか?

上田 いや、何にもしない!

ー立派な看板があるのに。

画像21

上田 (建物の中)ぐしゃぐしゃやったよ。ほんで、町の方が欲しいって言われて、半分くらい持って行かれたもんで、ちょっと二階がすっきりしただけで。ぐっしゃぐしゃ。まあ、見る人によればゴミかもわからんけど。どうしようすもないな。私も好きやけど、どうしようすもないって。

ーでも、ちゃんとあれだけちゃんと描いてた絵を綴じて。おじいさんは、何かしようとしてたんじゃないですかね。

上田 うん、私も(そう思う)。それ50くらいの年やわ、おじいさん。数えてみると。それでおじいさんは働きながら描かれたんやと思うよ。でも、なんで描かれたんやわからん私。どういう思いやったんやと思う?

ー旦那さんも知らなかったんですか?

上田 おそらく。あ、知っていたかもしれないけど、(おじいさんは)それほど人に見せることはなかったかもね。

ウィーンの酒場で知り合った人が
ラクセンブルグの市長だった

上田 主人は昔から音楽が好きやから、テナーサックスを吹いたり作曲をしたり。『越美南線』という曲、しいの実さんの唄でCDになっとる。DAMに入っているけど。そして主人は外国が好きなんや。外国にいっぱい友達がいて、言葉あまり喋れんのに。一番仲が良かったのは、オーストリアのウィーンのヒップナーさん。

主人がオーストリアに旅行で行った時に、居酒屋でちょうどその人と一緒になって、ワインを乾杯して友達になろうなんて言って。それから18年、文通しとったんや。

ー言葉ができないのに文通って……。

上田 まあ、クリスマスカードくらい。で、その人は実はハプスブルグ家に関係のある人なんやわ(笑)。ラクセングルブの市長を30年やってみえた。偶然こんな偉い人と友達になれて18年間。

ークリスマスカードだけで18年間、繋がれてたんですね(笑)

上田 それが人間の出会いっていうものよ。それが面白いんよ。ヒップナーさんが市長やってた頃か知らんけど、ベートーベンの頭髪を譲り受けたんや。どんなもんやと思ったらさあ、主人がこんだけ1cmくらいよ、1本。その頃の(白鳥町の)町長さんが1本と、国際交流協会が1本で。ベートーベンやよ(笑)。

画像22

画像23

ーまさかベートーベンの頭髪がこの町に来るとは……。すごい縁ですね。

上田 ヒップナーさんが頭髪を日本へ持っていくって言ったら、地域の人が反対したらしいわ。外に持ち出すなって(笑)

スタジオにみんなに来てもらって
一番初めの白鳥おどりのアルバムを吹き込んだ

ーご主人は昔から音楽が好きだったんですか?

上田 そうそう。子供の頃から。

ーなんの楽器をやってたんですか?

上田 アルトとクラ。中学校の時代からな。そしてバンド組んで、ここら辺でもやってた。

ーバンドはどんなバンドですか?

上田 名前は『クレイジーボーイズ』。

一同 (笑)

上田 ジャズとか演歌とか、そういうの。クリスマスなんかに演奏に行ったり。ほいで、その時に白鳥おどりのレコードを作ったり、カセットを作ったり。私が全然興味なかったもんで、主人はやりやすかったんや、多分。私が関係してたら、口出すで。スタジオにみんなに来てもらって、吹き込んで、白鳥おどりの一番初めのアルバムを吹き込んだり。いくつか作ったんや。

画像24

ー最初から上田楽器店にはスタジオはあったんですか? 録音できる環境というか。

上田 初めからではなかった。3階にちょっと雨戸みたいにして音漏れんようにして。そして、そこの中で、オープンリールで入れたんや。

画像25

ーたぶん、最初はレコードですよね。

上田 そうや。

画像29

撮影=小野和哉

最初のレコード......テイチクレコードから「白鳥民謡」という6曲入りの7inch EPが出ている。発売年度は不明だが、平成9年「白鳥踊り保存会五十年史」(五十年史編集部会 編)の年表によれば、昭和50年6月6日に「テープ吹き込み。白鳥おどり 神代・シッチョイ・八ッ坂・老坂(正者) 源助・猫の子(三輪)」とあり、おそらくこの録音が永子さん言うところの「白鳥おどりの一番初めのアルバム」だと思われる。

ーなんで、そういった地元の民謡などの音源を作ったんですかね、最初。もともと地元の古い歌に興味あったんですかね、ご主人は。

上田 多分、(白鳥おどりの)保存会の人たちと関係があって作ってとか言われたり、そしたら石徹白も作ろうか、白川に行って白川民謡のレコードを作ろうかとかなったんやない? 主人も好きやし。

白川......岐阜県大野郡白川村。富山県と石川県の県境に位置する。世界遺産にも登録された、合掌造り集落が有名。

ーあのCDとかカセットって在庫限りなんですか? まだ作ってたりするんですか?

上田 あー、作らん作らん、在庫限りや。500枚とかよお、1000枚とかたくさん作ると安くなるんや。

ー売り切れないんですか?

上田 売れん。

ー東京では売れるかもしれませんよ。

上田 でも、どうやろうねえ。インターネットで息子が(通販を)やってるかもわからんけど。

中西にも行ったし、白鳥にも行ったし
私、結局踊りが好きなんやって

ーお母さんが拝殿おどりに初めて行ったのはいつですか?

上田 子供の時、行ったや。恩地って知っとる? お宮の隣が私のうちなんよ。昔は拝殿おどりってさ、人がいっぱい来たんやよ。ほして、いっぱいいっぱい拝殿に……、(拝殿の)外で休んでいる人もおるし。すごい大勢やったよ。昔は夜店も出たんやわ。

恩地......当地の三輪神社にて、近年になり拝殿おどりが復活した。

ー何月にやったんですか? やっぱりお盆くらいですか?

上田 縁日だから、お盆のちょっとあと。縁日っていうと地区の人はみんなはじめはお酒を飲んで、そのあとに踊る。

ーその様子を子供の頃から見てたんですか?

上田 見てた。そこで恋愛というか、あれもな。夜の。出会いがないもんでさ。

ーへ〜。出会いはなかったんですか?

上田 ははは。そういうところしか、なかったんじゃないのかな。昔は。

ー祭りに来たのは、地元の人だけですよね。

上田 それはもう六ノ里から白鳥から、来てたよ。好きな人は。そして、もちろん歌いながら。あの、エッサッサ〜♪っていうのは拝殿おどりやな。”エッサッサ”とか、全然違うんや。ここら辺(白鳥)で踊るのと歌詞が。

六ノ里......かつては六ノ里村。六つの村が合併したこの名前になったそう。地元の人の活動で、近年新たに拝殿おどりが行われている。

ーその時は踊ってたんですか? 輪の中で。

上田 ま、たまには踊ったよ。私、好きやったもん踊り。中西のおどり行ったりさ、白鳥にも行ったりさ。

中西......白鳥町中西。中西三輪神社では、現在も拝殿おどりが行われている。

ーいろんなところに行ってたんですか?

上田 うん。好きやった。うっふっふ(笑)。結局、好きなんやって。

ー好きなんですね。あまり興味ないのかと思った(笑)。

上田 いや、好きなんやって。ずっと。親は心配するけどね。夜出て行くから。

ー拝殿おどりじゃなくて、白鳥の町中で踊る、町おどりはどうでした?

上田 それは大きくなってからや。踊り好きなんやって、ちっちゃい頃から。ほんで日舞を20年やったんやて。西川流の。

ーえ、ちゃんとした踊りじゃないですか!

上田 あっはっは。そう。それは小さい時から習いたい習いたいと思っとって、まあうち(の実家)は経済的にダメだったか知らんけど、習えなんで。そしたら、ここに来てから出会えたんや。うちへ先生が見えて。

ー日舞の先生が上田楽器店に来たんですか?

上田 うん。うちの三階に舞台があるでしょう。先生が三階貸してくださいって見えとったもんで、ああ私もやろうって……。それから二十年。んふふ。

ーお茶もやれているようですし、色々やられてますね。

画像26

画像27

上田 嬉しかった。人生でそんな思いができたってことが。思うってことは、そっちに(運命を)向けるわけや。なってくんやって。だから悪いことは思わない方がいい。ふふふ。

ー強く想い続けると叶うかもしれない。

上田 叶うんやよ。現実に私の人生も思ったことが次から次へとできてきた。カラオケできなんだよ、私。楽器店やけど。歌なんや、やらなかったんや。それも歌いたいと思っとったらまた先生が見えて、習って15年になるんやけど、全然上手にならん(笑)

みんなモノを手に入れることに飽いてきた
手にできんのは自然の昔からのものや

ー東京で白鳥おどり好きが増えてきて、上田楽器店さんにもCDを買いにいろんな人が来ると思うんですけど、地元の人から見るとそういう状況はどう思います?

上田 若い人すごいと思う。ってことは、いつも言うように、今は買うものはなんでも買えるの。どこにおってもインターネットで新しいものは。そういうのは飽いてきたんや。ものを手に入れるってことは。ほうすると、やっぱり手にできんものは、こういう(民謡のような)自然の昔からのものや。そう言う風に目覚めてきたんや、みんなも。賢い人は。

ー賢い人(笑)

上田 賢い人や、みんな。あっはっは。本当にそうやよ。こういうものはすごいことなんや、踊りは。そこにみなさんが目覚めたって言うか、もっと知りたいもっと知りたいって開拓していく。それが面白いやない? たまたまそれが白鳥おどりだったんや。

ーーーーーーーーーーーーー

お話を伺っている最中、「大昔の話やんなあ……」と永子さんが目を細めて遠くを見つめる瞬間が何度かあり、その度に自分も胸が詰まるような気持ちになった。

実はインタビュー後にも、上田正美さんの資料を見ながら色々と面白い話を伺うことができた。正美さんが実は絵描きを目指していて挫折をしたというお話、そして結婚した当時は名古屋の時計店で働いていて、戦争を期に地元に戻ってきたというエピソードも伺えた。住んでいた土地を離れ、外部の視点を獲得したことが、その後の郷土史づくりにも影響を与えていたのかもしれない。

上田家のおじいさま、おとうさまがどのようなことを考えながら郷土史をまとめ、そして郷里のレコードを作ったのか、その真意をうかがい知ることはできなかったが、彼らが生前に残し、そして今現在永子さんが受け継いでいる上田楽器店の資産は、人々をつなぐ「交流点」として時代と空間を超え機能し続けている。例えば白鳥おどりはおろか、盆踊りすら興味のなかった自分が、いつのまにか導かれるようにこの土地にいて、永子さんのお話を聞いている。「縁」という言葉が出るまでもなく、この時間の不思議さを自分も感じずにはいられなかった。

画像28

上田楽器店
住所:岐阜県郡上市白鳥町白鳥151
【お知らせ】
「ドッコイサ白鳥」
という名前で、東京から白鳥おどりを盛り上げ、ゆくゆくは白鳥おどりを東京に呼びたい!という活動を行っています。ぜひ、チェックして見てください。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?