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ごまめのごたく:庚申信仰と妙見信仰

(タイトル画像は、Google Earth よりスクリーンショット:
伊丹市西野付近(昆陽池西方約1km)の上空から北東方向)  

探索地域から妙見山を臨む

 探索地域をうろうろしながら、建物の隙間から妙見山が見える地点がないか探しましたが、今の世の中、邪魔物が多すぎてなかなか見れません。
 
 あれがそうかと思いながらも、確信が持てず、歯がゆいことこの上ない。

 結局、伊丹昆陽イオンモールの屋上駐車場から、タイトル画像のGoogle Earth で妙見山が確認できる景色が撮影出来ました。

伊丹昆陽イオンモールの屋上より能勢妙見山を臨む
中央左側の山並みの頂上付近

 

能勢妙見菩薩と弘法大師

 前々回、前回記事「脇見歩きのつぶやき:」の「星の宮」と「妙見信仰と源満仲」の探索は2022年ですから、この頃に「妙見信仰」に対する好奇心が芽生えました。

 前回記事「脇見歩きのつぶやき:庚申信仰(2)」で、青面金剛祭所や庚申さんの石碑があちこちにあることに気が付き、それらの探索中に、小さな庚申祭所のすぐ前に、常夜灯と「妙見講中」と刻まれたノッポの石柱を見つけて、庚申信仰と妙見信仰が重なっているような印象を受けました。

 前回の記事を書きながら、妙見菩薩や関連事項を調べてみました。妙見菩薩像として多くの種類があるようですが、能勢妙見菩薩はその中でも異例の像容で、右手に剣を掲げた次の写真のようなものだ、と説明されています。

埼玉県飯能(はんのう)市 真言宗智山派円泉寺のHPより
能勢妙見菩薩像

それで思い出したのです。
昨年一月に、近くの名もない小さな広場に鳥居と二つの祠を見つけました。

左側の祠には穏やかな顔つきの仏様が収められていました。

 右側の祠には、まさしく、今調べた能勢妙見菩薩像が収められていたのです。とはいえ、ここを訪れたときは、「なんだろう?この像は?神社名も、由緒書きもないので全く分からん」、ということで、調べもしなかったのですが。

 この小さな広場の所有者が亡くなられるかしたあとに、残された家宝をお祀りしたのかも知れないな・・・
と思って、その時はそのまま放っておいたのですが・・・

 この記事を書きながら、気になって、これがどこだったか思い出そうとしますが、なかなか思い出せません。
 頭を悩ませること三日、思い出しました。武庫之荘の磐長姫神社を探しに行く途中で見つけたのでした。

 磐長姫神社がなぜ武庫之荘にあるのか、もまた興味あるところです。

左の祠の仏様は、画像検索で「弘法大師座像」であることが分かりました。

弘法大師と妙見信仰の関連については、いまだ納得できていませんが、この付近は、以下に見るように、分布が重なり合っているようです。

日蓮宗なら直接関連があるわけですが・・・

妙見宮 妙見大菩薩

 グーグルマップで、今探索している範囲の「妙見」を調べてみると、ニ、三ありました。 

伊丹市寺本の妙見宮

 国道171号と県道42号(尼宝線)交差点の南東から小路(西国街道)を少し東に入ったところの、マンションの壁際にありました。
 妙見宮と書かれた塚ですね。

左の菩薩像が刻まれた塚の下部、赤帯がまかれてい見えませんが、確認すると、
「左 中山 妙見」とありました。新しい礎石に埋め込まれていてその下にも字があるようです。推測するとたぶん・・・「左 中山寺 妙見講」ではないでしょうか。 

 

JR伊丹駅西の妙見大菩薩

 JR伊丹駅の西口すぐに有岡城跡があり、その南側を西に向かう表通りに面しています。

日蓮宗 本泉寺HPより: 元は境内内地に安置していたものを、より多くの皆様にご縁をもって頂けるように納骨堂「和音」の北の表通り沿いに移転しました。

 この南に、日蓮宗本泉寺があり、もともと本泉寺境内に安置されていた、とのこと。

広済寺境内 妙見大菩薩

 前々回記事「脇見歩きのつぶやき:妙見信仰と源満仲」で、矢文石の碑があった、久々知須佐之男神社の南隣に広済寺がありました。昔、神仏分離令以前は同じ境内だったのでしょう。

 その時撮影した写真を見直してみました。
久々知妙見祠というのは、江戸時代には、広済寺と久々知スサノオ神社を含む大きな敷地内にあったわけです。

広済寺正門



広済寺正門左側の石碑
一行目~二行目を何とか書き出してみる;
久々知広済寺妙見堂大鳥居*在大阪街道神崎河*面寺有近松巣林子墓・・・

電子辞書の広辞苑第六版より
こうさい‐じ【広済寺】
尼崎市久々知にある日蓮宗の寺。九五七年(天徳一)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建したと伝え、のち荒廃。一七一四年(正徳四)日昌が堂宇を建立。近松門左衛門の墓がある。俗称、近松寺。

 広済寺のホームページに、妙見宮についての良くまとまった解説があります。


庚申信仰と妙見信仰の接点

 元に戻って、庚申さんの石碑が、このあたりでは妙見山が臨まれる地域に点在している、という印象には、歴史的な接点、根拠があるのでしょうか。

 この記事の最初に述べた、鳥居のある小さな名もない公園にあった二つの祠に納められていた、弘法大師座像と能勢妙見菩薩像を手掛かりに、弘法大師と妙見信仰の関係がどこかにないか、あれこれ考えて調べてみました。

天台宗と庚申信仰

 関連記事で何度か引用している「庚申信仰 庶民宗教の実像」の結論部分を紹介します。

 その前に確認。
 弘法大師空海の諡号(しごう;死後に贈られるおくりな)であって、真言宗の開祖。
 これに対して、伝教大師最澄の諡号で、天台宗の開祖。

 著者 飯田道夫氏は前掲書の最終章「おわりに――庚申と天台」で、次のように述べて、庚申信仰と天台宗との強いかかわりを指摘されています。

 庚申信仰を積極的に唱道し、その普及に一役も、二役も買ったのが天台であったことは、これまで述べてきたことによって明らかであろう。重複するが、まとめの意味で要点を拾ってみると――
 まず、主な庚申堂がすべて天台派である、という事実がある。
・・・・・・・・・・・・
 信仰の指南書である「庚申縁起」の作者は天台僧であったと考えられる。少なくとも「縁起」の異本、『青面金剛垂下記』が天台関係者の手になることは百パーセント確実である。
 「縁起」種本である「庚申教」も知証大師の秘宝と伝えられ・・・やはり天台関係者の手になるものとみるのが妥当であろう。
・・・・・・・・・・・・
 青面金剛も庚申の主神であるが、正体は大黒天であるとみられ、これは伝教大師の”三面大黒”として名高いものである。大黒天は変じて七福神の”大黒さん”になる。七福神の”七”は山王七社の”七”に通じ、比叡天台の発案とみてよさそうである。

「庚申信仰 庶民宗教の実像」最終章より

真言宗、天台宗、日蓮宗の分布

 ということで、これでは弘法大師と庚申信仰とのかかわりは見られません。

 しかし、です。
 私が、庚申の石碑を見出した地域を散策していると、お寺の棟札や広告の看板に、「真言宗・・寺」をよく見かけるのです。

 そこで、グーグルマップで、京阪神地域における寺院の宗派別分布をざっと見てみました。

まず、現在の能勢妙見さんの日蓮宗から

日蓮宗寺院の分布
中央左上に能勢妙見山の寺院マークが見える

次は、庚申信仰を広めたという天台宗

天台宗寺院の分布

最後に、空海開祖の真言宗

真言宗寺院の分布

 やはり、私の受けたイメージ通り、真言宗は、私が庚申さんを探索している範囲に集中しています。

 何故なのでしょう???
 武庫川の西側、夙川付近にも分布していますが、まだ探索できていません。 やはり現場に足を運ばないと・・・・ネットだけではresearch(再び(re)探し求める(search))した気にならない。宿題です。

 庚申、妙見、天台、空海、日蓮、何やかやがもつれて渦を巻き、解きほぐすのに時間がかかりそうです。

P.S.:私のアカウントネームにつけている、CRESTは、
   CREate-RESearch-ESTablish
という一応私の性分を表しているつもりです。