記憶の記録:ニジンスキー
タイトル画像は、QUEEN ”I want to break free” のMVで、ニジンスキーの「牧神」のポーズをとるフレディー・マーキュリー
はじめに・経緯
この稿を書き始めるに至った経緯を少し説明しておきます。
ぼくは、関心を持ち始めると、たいがい、「ここ掘れワンワン」と深堀し始めるのですが、ところが脇見歩きが性分で、探索を始めると、棚から牡丹餅というか、本題と関係ないようなことに気をひかれて、脇道に入ってしまうことしばしばです。ところが、どこかで最初の本題との関連が、つまり本道へ戻る小道が見えてくるのです。
前々回の「歴史の断層と交流:年末恒例ベートーベンの第九」で引用した「ぼんやりとした不安の近代日本―大東亜戦争の本当の理由」のなかで、大正時代の社会の精神的雰囲気を描いた小説として、梶井基次郎の短編小説「檸檬(レモン)」(1925年大正14年発表)が挙げられていました。
前々回の稿を'note'に投稿して、次の『ベートーベンの第九「歓喜の歌」の周辺』を書き始めた頃に、この小説「檸檬」(短編小説集)を近くの小さな本屋で探したところ、文庫本の棚、日本文学の作家の「か行」のコーナーにありました。買い求めようとしたのですが、その隣に「かげはら史帆」の「ベートーベン捏造」を見つけたのです。
おやっ、これは今書こうとしてることにぴったりの本や、と「檸檬」は次回に回して、こちらを購入した次第です。
ニジンスキー関連本
さて、著者「かげはら史帆」の著作を調べると、去年5月に「ニジンスキーは銀橋で踊らない」(河出書房新社)を出しておられます。
ここでまた、おやっ、「ニジンスキー」は一時期、気になって買い求めた本があったな、と倉庫から探し出してきました。
なぜ僕がニジンスキーに関心を持っていたか。
僕の蔵書のニジンスキー関連の本の出版年を見ると、1970年代後半。
このころ、コリン・ウィルスンの著作「アウトサイダー」とかをあれこれ読んでました。
メチャクチャ大雑把に言うと、アウトサイダーというのは、天才と狂気は紙一重、という領域の人々です。彼らは、知的、芸術的、肉体的、社会的、その他いろいろな特定領域での活動に至高体験、身体的精神的な高揚感、「俺にはこれを成し遂げられる超人的なパワーがある」という体験をする人々です。
これらの人々の中に、「ニジンスキー」が出てくるわけです。
もう一つ、「人間の手の物語」(ウォルター・ソーレル 筑摩書房 1973)。残念ながら、これはもう売却して手元にありません。手の形を含む「手相」関連の本なのですが、占いの本ではなく、昔の偉人の「手型」や、写真に写っている手の形、手を使ったジェスチャー、などを分析して、天才的な人々、歴史に名を遺す人々の「手」についての研究書です。
この本にも、ニジンスキーが取り上げられていました。
というわけで、僕の蔵書に三冊もニジンスキーの本があるわけです。
さっそく、わざわざ紀伊国屋書店まで足を運んで「ニジンスキーは銀橋で踊らない」を買わせてもらいました。(僕は、ネットでの購入は最後の手段で、自分の足で探し回るのが趣味です。子供のころから、書店を探し回って読みたい本を見つける楽しみが身についてしまっています)
今読んでいますが、ニジンスキーの妻ロモラを主人公とした小説です。ニジンスキー没後の日本での活動などに及び、どこまでロモラの心情、心境をとらえらえているか、どこまでが史実なのか、とか考えてしまいますが、実は白状すると、僕はニジンスキーの3冊の蔵書をほとんど読んでいなくて「そーだったのか・・・」満載で、大変興味深く読んでいます。
も一つ白状すると、蔵書の断捨離で、そういうダンサーがいたという知識だけで、読むことはないか、と、売り払うことまで考えていたところなのです。手元に置いておいて、3冊とも読むことにします。
ニジンスキーの映画
さて、僕の思い出の暗がりの中に、僕のニジンスキー蔵書の購入時期、つまり1980年頃に、「ヌレエフがニジンスキーを演じている映画」を確かに見た、という映像&音楽の記憶があるのです。
一番記憶が鮮明なのは「薔薇の精」。このバレエは、ウェーバーの「舞踏への勧誘」に振り付けたものです。「舞踏への勧誘」が流れる中、ヌレエフ(ニジンスキー)演じる薔薇の精が、独りの乙女が椅子でうたた寝している部屋の窓からジャンプして入ってきて、乙女の夢の中で一緒に踊って、また窓を飛び越えて出ていきます。
このころは、最初の会社での仕事がすごく忙しかったのですが、社員の皆さん、週末は必ず飲みに行ってストレスを発散していました。僕はたぶん、新聞の地方版に乗っていた上映タイトルと上映時間を頭に入れて、酔い覚ましに最終回に映画館に入ったのだと思います。最初はなんだか眠気半分でうとうとしながら見ていたと思うのですが、「薔薇の精」で目が覚めました。そのあとの「牧神の午後」も、ちゃんと見た記憶があります。
ここ10日ほど、ネット空間にその映画の情報がないか、探し回っていたのですが、なかなか見つからないのです。「ヌレエフ ニジンスキー 映画」などの検索語で検索しても出てきません。
「ニジンスキーの映画」で検索すると、ハーバート・ロス監督1979年製作のイギリス映画(1982年公開)がありますが、ニジンスキー役のダンサーはジョルジュ・デ・ラ・ぺーニャで、この映画ではないし、この映画を見た記憶もない。
こういうときは、しょうがないので日本語を交えず原語のみで、海外サイトに当たるしかありません。一時間ほどネットをあさってみました。
そうすると、そのものずばりの映画がユーチューブに上がっていました。
観たのはこれに間違いありません。
引用サイトは、画質改善版となっていますが、5か月前にアプロードされたものをたまたまみつけたもので、大変ラッキーでした。
”Nureyev & The Joffrey Ballet Tribute to Nijinsky 1980”で検索すると、オリジナル映像がヒットします。内容は同じです。
「薔薇の精」は最初から43分頃より、「牧神の午後」は59分頃より。
ネット空間に、半世紀近く前の記憶をよみがえらせてくれる映像が残っていて公開されている、というのは、凄いですねー。
自分の記憶が、夢、妄想ではなくて現実だったことで、ほっとしました。
ちなみに、MS Bing AI の「Nureyev & The Joffrey Ballet Tribute to Nijinsky の日本での上映」にたいする回答は次のようなものでした。
ちょうど1980年代に入って、VHSによるホームビデオが普及しはじめ、1990年代にレンタルショップが展開して、ミニシアターがどんどん減っていったので、1980年ころのミニシアターでの上映情報は消えてしまったのだろうと思う。