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歴史の断層と交流:めぐりあう時間たち



映画「めぐりあう時間たち」

 数年前、「めぐりあう時間たち(The Hours)」をWOWOWで見た。(妻がドラマ好きのおかげで、随分前にWOWOWを契約し、家では、そのおこぼれで映画を見てます)DVDに落として三回くらい観た。

2002年アメリカ映画。
 ヴァージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」の主人公である、クラリッサ・ダロウェイ風の人々の群像劇。

・ 1923年の英国、リッチモンドでのヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)の1日、
・ 1951年のロサンゼルスでのローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)の1日
・ 2001年のニューヨーク・マンハッタンでのクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)の1日

が交錯して展開します

 第75回アカデミー賞で9部門にノミネートされ、特殊メイクを施しヴァージニア・ウルフを演じたニコール・キッドマンがアカデミー主演女優賞を受賞。
 第53回ベルリン国際映画祭ではジュリアン・ムーア、メリル・ストリープを含む3人が銀熊賞 (女優賞)を共同受賞

ピュリツァー賞受賞歴のある作曲家ケヴィン・プッツが楽曲を手掛けてオペラ化され、2022年12月にメトロポリタン歌劇場で世界初演を飾りました。昨年9月に「METビューイング」として映画配給されたようですが、目につきませんでした。2002年の映画はWOWOWで最近また放映してました。

 どの時代の主人公たちも、ヴァージニア・ウルフもしくは「ダロウェイ夫人」風の悩み、苦悩を抱えています。
 映画は、ヴァージニア・ウルフが入水自殺(1941年のことです)するシーンから始まります。

 ヴァージニアウルフはこのころ精神を病んでいて田舎で療養中ですが、小説「ダロウェイ夫人」の構想を練っています。

<印象に残った一シーン>
 そして、物語の展開から、登場人物の誰かが死なねばならない、どういう死に方がいいか、と模索しています。
 そういう悲劇的な展開の構想を練っている時のウルフはうつろな顔つきで外界が目に入らず、甥っ子たちがキョトンとして不審げに彼女を見つめます。
 ここで、映画のシーンが1951年のローラが、自殺しようと考え始めるシーンに切り替わります。
 暗い展開ですが、ついついじっくりと見入ってしまいます。

 音楽が、物語の雰囲気、時間の流れの中に漂う苦悩、をうまく伝えてくれていて、すごくMysterious で、魂が、時の流れの中で浮遊して漂っているような感覚が伝わってきます。

ヴァージニア・ウルフ

 とはいえ、ヴァージニア・ウルフは、名前だけは知っているものの、著作を読んだことも、どういう作家かも、この映画を観るまでは知らなかった。

 最初にこの映画を見ながら、「バージニアウルフなんて怖くない」というフレイズが、記憶の底から浮かんできた。確かそういうフレイズを昔、どこかで、間違いなく聞いたことがある。小説だろうか、なにかを表現する当時のはやり言葉?
 そのときはそれ以上追求しなかった。

ニジンスキーは銀橋で踊らない

 さて・・・前回の「記憶の記録:ニジンスキー」で登場した、かげはら史帆さんの「ニジンスキーは銀橋で踊らない」は、ヴァージニア・ウルフの引用から始まります。

“1910年12月に、あるいはその頃に、人間の性質が変わった”
 ― Virginia Woolf

 小説の雰囲気を伝えるのにちょうど良さそうなので、Virginia Woolfの引用、もしくは彼女の著作を示唆している部分をピックアップさせてもらいます。(わたしはどの著作も読んでませんが)

* Prologue  本文
  1912年3月
 「15か月前にとある若き作家の卵がイギリスで感知した変化が、ドーヴァー海峡を横断し、虹色の渦を巻きながら大都市をめぐり、未曾有の大津波となって、いまこのドナウ川中流の歌劇場まで到達したことを、彼女はまだ知らない。」
 (このあと、ロモラが初めてニジンスキーの舞台を見た場面が展開する)

* ACT1 第8場 冒頭
 ”航海中によくある偶然によって、それぞれの人生の航路も外れていった”
 ― Virginia Woolf 'Voyage Out'

 (このあと、ニジンスキーが所属する劇団バレエ・リュスが、団長ディアギレフ不在のまま、南米での公演のための船旅となる。この船旅で、ロモラとニジンスキーの人生が大きく転換する

* ACT3 Prelude 本文
  1958年11月
 「48年前にとある若き作家の卵がイギリスで感知した変化が、ドーヴァー海峡を横断し、虹色の渦を巻きながら大都市をめぐり、未曾有の大津波となって、ユーラシア大陸東端の島国の武庫川下流にある歌劇場まで到達していたことを、彼女はまだ知らない。」
 (このあと、ロモラが宝塚歌劇場で観劇している場面となる)

* ACT3 第5場(最終場面) 冒頭
 ”彼女のためにわたしたちが仕事をすれば、彼女はきっと来るでしょう”
― Virginia Woolf 'A Room of Ons's Own '

ヴァージニア・ウルフなんかこわくない

 関心を持った映画と小説に続けてヴァージニア・ウルフが出てくると、さすがに「めぐりあう時間たち」を見たときの疑問、「バージニアウルフなんて怖くない」という記憶されているフレーズが、いったいどこでインプットされたのか、調べてみる気になります。

 すぐに、大変簡単な回答が得られました。
 大元は、『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』(Who's Afraid of Virginia Woolf?)という、1962年のブロードウェイ初演のエドワード・オールビーの戯曲でした。

 二組の夫婦のあいだの次第にエスカレートする罵り合いを通して夫婦の偽善的な関係が暴きだされていくさまを描いた作品で、20世紀アメリカ演劇の代表的な作品のひとつである。1963年度トニー賞演劇部門を受賞。同年のピュリッツァー賞戯曲部門にも推薦されていたが、保守的な評議委員会が台詞の汚さを問題視して専門委員会の推薦を覆したため、この年の戯曲部門は該当作なしとなった[1]。
 また1966年にはブロードウェイで本作の舞台演出も手がけたマイク・ニコルズによって映画化され、同年のアカデミー賞にて主演女優賞(エリザベス・テイラー)など五部門を獲得している。
表題はディズニーのアニメ『三匹の子ぶた』の劇中歌「狼なんかこわくない」(Who's Afraid of the Big Bad Wolf?)の狼(Big Bad Wolf)を英国の小説家ヴァージニア・ウルフに置き換えたもので、劇中に駄洒落として登場し、節をつけて歌われるシーンがある。

Wikipedia

なんか怖そうですね。
 この映画のタイトル、バージニア・ウルフとは何の関係もなく、単なる劇中のダジャレの替え歌をタイトルにしただけだとか。ただ、いろんな説があって、喧々諤々(ケンケンガクガク)なようで、それこそ、この映画のプロデューサーの思惑なのだろう。

 1960年代、ぼくは洋画一般、というか芸能関係にほとんど関心がなかった。だから、映画のタイトルだということは知らなくても、当時、相当話題にはなっていたはずなので、タイトルだけが映画と切り離されて記憶されてしまったのだろうと思う。

 ただ、不思議なのはここ20年間、ヒューマンドラマ関係のVHS、DVDのレンタル、中古、テレビ放映、ミニシアター上映などを毎日のように物色していたのだが、「バージニアウルフなんてこわくない」は目に留まらなかった。なぜだろう????

狼なんかこわくない

子供のころ、”狼なんてこわくない、こわくない、こわくない・・・”
という三匹の子豚の歌、聴いてたのをよく覚えている。「みんなのうた」かな・・・。子供番組のアニメかな・・・

 こういうおぼろげな記憶、ユーチューブで探索するとだんだんよみがえってくる。

三匹の子豚の話
三匹の子豚、ずぼらな長男がわらの家、二番目が木造、一番下の子豚がレンガの家を作った。
 狼がやってきて、わらの家は一吹きで吹き飛ばし、木造の家も吹き飛ばしてしまいました。ところが、レンガの家は壊せなくて、煙突から侵入してくるが、熱湯の鍋にどぶんと落っこちて、飛び上がって逃げ出す。
 ディズニーのアニメ映画だった。多分見たんだろうな。金曜日にテレビ放映されてたディズニー劇場かなんかで・・・。(プロレスと隔週放送でした)