見出し画像

武蔵野は秋の歌枕だけれど紅葉ではない

中国華北の暦である二十四節気では小雪ではあるものの、麗らかな陽気の晩秋。
ロードバイクのポタリングがてら、平林寺に紅葉狩りの訪れました。
こちらは周囲の道路が狭く紅葉の頃は割と混雑し、電車の駅からも少し離れていてバスに乗ることとなるので、ロードバイクなど自転車で訪れるのが一番適していると思うのです。広い駐輪場も用意されていますしね。中に入ってしまったら、普段より人が多いとはいえ、京都ほど人混みではなくゆっくりできます。
noteを振り返ると、昨年も訪れており、ここ最近、下界の身近な紅葉狩りの定番となっています。
紅葉を愛でつつ、つらつらと頭を巡っていた事など、気ままに綴ってみたいと思います。何の学びも得られない言葉の羅列です。。

奥の武蔵野の趣を残す雑木林には青紅葉も残っていたり、一方で、枝に残ったまま葉が枯れている木もあったり。。とはいえ、猛暑が長引いて半ば諦めていた割には、今年の紅葉は山でも下界でも華やかな紅に染まってくれました。
平林寺は、山門や仏殿の周辺は、オオモミジやイロハモミジが多いので、特に濃い紅になる木が多く、それらの木はまさに紅葉の盛りを迎えていました。

こちらには業平塚があります。
伊勢物語にこの辺りが登場し、真偽は未だ分からないらしいのですが、在原業平卿がモデルとされている色男が、この辺りまで京で藤原の姫を家に無断で連れてきたと描写されています。
「武藏野はけふはなやきそ若草のつまもこもれり我もこもれり」
野火止のある場所ならではの描写で、ひどいお話ではあるのですが、詳しくお知りになりたい方は是非とも伊勢物語をお読みになってみてください。現代語訳も何種類か出版されています。
在原業平卿がモデルの本については、以前にnoteでもご紹介していますのでご参考になれば。

さきほどの歌は秋を歌ったものではありませんが、武蔵野は国木田独歩さんが「武蔵野」で紹介されるはるか以前、平安時代の頃は、秋の歌枕となっていたようです。国木田独歩さんの武蔵野も、秋から冬の情景ですね。
ただ、紅葉の平林寺で思い浮かべた話題ではあるものの、武蔵野の秋として描かれるのは、ほとんど広大なススキの原野と月の情景ですね。秋の歌枕ではあるものの、残念ながら(?)紅葉の歌枕ではない。紅葉の歌枕は竜田川。
前述の在原業平卿が、これは伝承ではなく実際に歌われたのも竜田川。
「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに みずくくるとは」
もっとも、この竜田川は現代の竜田川とは別の場所のようですけれどね。

ススキと月のモチーフも、それはそれで好きなのですけれど。
武蔵野が題材となった和歌をいくつか調べてみると、

をみなへし にほへる秋の 武蔵野は 常よりも猶 むつましきかな(紀貫之)

玉にぬく 露はこぼれて むさし野の 草の葉むすぶ 秋の初風(西行法師)

武蔵野の 露をば袖に わけわびぬ 草のしげみに 秋風は吹く(寂蓮法師)

白雲も ひとつに冴えて 武蔵野の 雪よりをちは 山の端もなし(九条良経)

武蔵野に つらぬきとめぬ 白露の 草はみながら 月ぞこぼるる(藤原定家)

草と月の秋ですね。

東京国立博物館所蔵 武蔵野図屏風
東京国立博物館所蔵 武蔵野図屏風 部分

もっとも、平林寺の雑木林にいると、ススキと月に加えて、紅葉の歌枕でも良いではないかと思えてきます。

上述の前回の平林寺のnoteでも書いたのですが、そんな武蔵野を逍遥していると、
ついつい菱田春草さんの屏風絵「落葉」を思い浮かべます。
平林寺の雑木林の余韻を残しつつ愛でることができればと、所蔵されている永青文庫に問い合わせてみたのですが、近日中に展示の予定は無いとのこと。残念。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?