上醍醐の静寂
前日に墓掃除を済ませてまったりとした12月30日。
観光客で溢れる京都を嫌って、そして運動不足を解消する目的もあって、上醍醐を散策してきました。
醍醐寺は秀吉の花見で有名で、今でも三宝院入口の枝垂れ桜などは見事。
しかし京洛から離れたこの地は、今の時期は人もまばらでゆったりとできます。
京都は古都と言いつつも、応仁の乱や天文法華の乱などの戦火で殆どの建物が消失。平安期の建物は千本釈迦堂や六波羅蜜寺くらいしか残っていません。今の京都で見られる殆どの建物は安土桃山時代以降のもので比較的新しい。
宇治の平等院同様、醍醐寺の五重塔は、京都近郊で平安期の建物が見られる貴重なものです。
私は文化財的価値というよりは自身の好きか嫌いかが先に立ってしまうので、古ければ良いとは思わないのですが、この五重塔は美しくて好きです。檜皮葺でないのは残念ですけれど。
さて、今日の目的は上醍醐。
この日はコットンよりも汗が乾きにくいヒートテックをインナーに着ていたので、汗をかかないペースを保ちつつ参道を進みます。
人がほとんどいない静かな参道を50分ほど。見上げる如意輪堂の傍を通って開山堂へ。
山中でいきなり迎えてくれる懸造りの如意輪堂があるこの空間が好きです。
写真を撮ったり建物を愛でたりしている間、お一人女性が来られてすぐに下りて行かれた以外は他に人もいらっしゃらず、静かに山中に佇む伽藍の空気感を堪能しました。本日の目的はこれにて達成。
帰路には後で訪れようと往路は通り過ぎた五大堂、薬師堂、清瀧宮拝殿などに立ち寄り。薬師堂も清瀧宮拝殿も大好きな檜皮葺で楽しめました。
山中の空気を堪能しながらゆるゆると下山します。
そう言えば、醍醐寺は真言密教系の修験の元締めだったお寺。(台密系の元締めは聖護院)
山中でこのような立派な建物を楽しめるのはそのおかげででしょうか。
しかし修験の開祖は言わずと知れた葛城氏の役の小角さん。空海さん以前に活躍された方です。
修験は明治期に禁止されました。真面目に修行して自己鍛錬する方が殆どなのでしょうけれど、病気や不幸をまじないで祓えると言って、人の弱みや畏れにつけこんで金品を巻き上げる者も多かったようです。ですから、明治の禁令に妥当性もあったようにも思います。21世紀でも壺を買ったら幸せになれると信じる人がいるのですから人類はそれほど成長していないのかもしれません。
一方、国学の影響や徳川幕府の民衆支配の一部であった寺院の檀家制度などの民間の仏教への不満もあったとは言え、政府の神仏分離令をきっかけとする廃仏毀釈は多くの文化財を失ったという点で行き過ぎていたと思いますけれどね。
国学により極端に走る様は、島崎藤村さん著の「夜明け前」でも描かれています。
そんなことをつらつらと考えながら静かに年末を過ごした充実した一日でした。
間も無く今年が終わります。
P.S. 過去の名作が無料で読めるのですから素晴らしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?