娘が彼を連れてきた
私の娘が、彼を連れてきて私に会わせた。
私の娘は、前の彼も私に会わせていた。そのことは以前書いた。
律儀だ。娘の中には、お付き合いしている彼のことは家族に紹介する、というルールがあるようだ。
前の彼を親に会わせて、その彼と別れたあと、新しい彼を親に会わせる。娘としては、少々気まずいだろう。
それでも、お付き合いしている彼を紹介してくれる。親としての受け取り方はさまざまだと思うが、私にとっては嬉しいことだ。
彼を親に紹介する意味
お付き合いしているパートナーを親に紹介する、というイベントは、通らなくてもよいものだ。結婚すると決意してからそれを報告しても、問題はない。もし結婚まで行かずに別れたとしても、それはそれで特段の報告は必要ない。
しかし、それでも娘は彼を私たちに会わせてくれた。
前述のnoteで書いたが、娘は祖母(私から見れば妻の母)が大好きだった。その祖母が、3年前に亡くなった。娘は、当時の彼を、私と妻には会わせていたが、祖母には会わせていなかった。
おそらく娘は、その点に後悔を持っている。
娘は、祖母の葬式で、親族代表として弔辞を詠んだ。その時に、会わせたかった人がいた、と、彼の存在に触れていた。
娘の頭のどこかに、紹介しないまま家族の誰かが死んだら後悔する、という考えがあるのだ。
到着
私たち家族には、行きつけのカニ食べ放題の店がある。行きつけ、といっても、ちょっと高いので、年に1回か2回くらいしか行かない。何か特別なイベントがあった時に行く店だ。
娘が彼を連れてくる、というのは、まさに特別なイベントだ。だから、今回もそこにした。
娘が前の彼を連れてきたときも、その店に行っていた。同じ店だと良くないだろうか、と少し考えたが、私が考えているうちに妻が予約を入れていた。
当日を迎え、カニの店に行く。
娘は、大学入学から一人暮らしをしている。今日は遠方からクルマを運転してきた。
娘のクルマが到着した。私たちは、店の前で待っていた。
娘が彼を伴って出てくる。どういう反応が親としての正解なのかわからない。こういうときは、おじけずに素直な振る舞いをした方が良い。
「ああ、どうもどうも。まあ、店に入ろう。」
そう言って、私は店へ入っていく。彼も、正しい行動がわからなかったのだろう。きちんとしているけれど曖昧な挨拶をしていた。
妻は娘と彼に混じって話をしながら、少しゆっくりと歩いていた。
よくあることだと思うが、娘の現況については、私よりも妻のほうが圧倒的に豊富に知っている。
父親と、既に大きくなった娘の関係というのは、おそらく、疎であればあるほどよい。
子の人生を操作する親は悪い親だ。子は子で、自分で人生を生き抜くという決意を持つべきだ。
娘は、10年ほど前に、私たちが住む実家を出た。私と娘の人生は、既に分離している。持っている価値観も、さまざまなところで差異ができているだろう。
私は娘を愛している。しかし、私が娘にできることは、おそらくもうなにもない。
口火を切る勇気
部屋に通され、カニ食べ放題の注文をする。
娘と彼は、妻と話して盛り上がっていた。彼は話好きらしい。妻も、私との会話は多くはないが、家の外ではよく喋る。
妻は彼についての情報を、既に娘からたくさん聞いているようだった。私にはわからない文脈の話ばかりだ。妻としては、事前に聞いていた彼に関する情報の答え合わせをする楽しみがあるのだろう。
その話がしばらく続いたあと、会話の切れ目ができた。少しの緊張が走る。
ここで彼が口火を切れば、カッコ良かった。10秒ほど待ったが、彼から私に言葉が発されることはなかった。
ここは、親である私が一歩足を踏み入れるべきだろう。娘に向かって言う。
「で、今日の主題はなんなんだ?お付き合いしてます、っていう報告ってことでいいのか?」
娘はうなづく。彼は、改まった感じで私に向き直り、はい、と言った。
私のときは
私は、20年前に、妻の母に会ったときのことを思い出した。お付き合いしている報告をするために、場を作ってくれたのだ。2時間ほどの食事をしたが、私はタイミングを掴めず、最後まで何も言えなかった。
最後の最後、食卓を立つ直前に、すみません、最後にひとこといいですか、と言い、このように続けた。
「お付き合いさせて頂いています。まだ学生の身なので今すぐは無理ですが、いずれは一緒になるつもりでおります。」
2時間待たせて、やっと言えたのは、このひとことのみだった。
口火を切る勇気は、なかなか持てない。私は、私のときに、やはりその勇気を持てなかった。娘の彼も、その勇気が、この場に直面してしぼんでいるのだろう。
私自身がそうだったから、その気持ちはよくわかる。
私は彼の中に、昔の私を見た。
伝えるべきこと
娘から、お付き合いしてます、という報告ってことでいいんだな、という同意を引き出した。それを受けて、私がそれに対してどう考えているかを表明しなければならない。
「まあ、とーちゃんは、面倒なこと言うつもりはない。楽しくやってくれればいい。」
これだけだと味気なさすぎるかな、と感じて、もうひとこと加えた。
「たとえ親から反対されてもお付き合いを続けるような気概を持っていてほしいと思ってる。」
これが、私が言いたかったことだ。今回は、まあまあうまいこと言えた。2回目だからな。
「とーちゃんが言いたいことはそんぐらいだ。かーちゃんはなにかあるか?」
妻も何か言ったはずだが、もう忘れてしまった。私は私で緊張していたのか、妻の話が特段の意味を持たないものだったのか。
もっと娘と彼に場の主導権を握らせておくべきだったかな、とも思ったが、私にも、言いたいことは言っておきたいという意思がある。私は10秒待った。話の流れを握るチャンスは作ったろう。
最も重要な話題は終わった。あとはひたすらにカニを食った。
店を出て
食べ放題の時間制限が終りを迎え、私たちは店を出た。
娘と彼は、近所の宿に泊まるという。私たちとは、今日のところはここでお別れだ。
彼からは、最後まで強い言葉が出てこなかった。付き合い始めてそれほど時間が経っていない状況で呼ばれたのだ。最初はそんなもんだろう。
彼にとっては、タイミングが早すぎて少々災難だったかもしれない。彼は良い人のようなので受け止めてくれるだろうが、この緊張の場は、もうちょっと気持ちが整ってからの方が落ち着いて迎えられるだろう。
娘よ、お前は自由に生きていいんだ。俺に義理立てするな。彼のことを一番に考えろ。
その後
この日の夜は、間抜けなことに、私がおっさんレンタルとしてレンタルされたAbemaTV「声優と夜あそび 繋」が放送される日だった。私が「声優と夜あそび」からお声がけ頂くのは二回目だ。
私の娘はアニメ好きなこともあり、前回出た番組を見たそうだ。
いつも見ている番組に、カッコ悪く父親が出てきたのだ。娘としては顔から火が出る想いだっただろう。
なんの因果か、今回は、この重要な日に放送がかぶさった。娘は、彼と泊まった宿でこの放送を見たかもしれない。
しかし、おそらくそれは良いことだ。親が自由に生きている姿を見せつければ、子も自由に生きられるだろう。
それぞれが、自分の考えを最優先に、わがままに生きていくべきだ。その上で人生が絡まり合う人と一緒に生きていけばよい。
自由に生きろ、ということを伝え続けることが、私が娘にできる最後の奉公なのだろう。
もしサポート頂けたなら、そのお金は、私が全力で生きるために使います。