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勝負事が強い人に、食わず嫌いはいない

友人から麻雀のお誘いがあって、卓に向かうと、初めましての関係が2人。

簡単な自己紹介をして、さっそく皆で牌を触り始めると、そのうちの一人がいかにも「自分、経験者です」といった牌捌きをしなやかに見せつけてきた。

囲碁将棋・麻雀ともども、手つきで「ある程度」の熟練度が分かるもの。果たして彼の実力は如何ほどだろうか。


彼に「麻雀は良く打つのですか?」と質問してみると、ネットで打っていますと返事をし、続いて「フリー麻雀打つぐらいなら、ネットで牌譜検討をしていた方が楽しいんですよね」と、声高に語り始めた。

人の興味はそれぞれと分かってはいても、私は強い違和感を覚えた。彼は「麻雀を研鑽しています」という姿勢を示す割には、関心する範囲が狭くはないだろか、と。

そもそも現代において、麻雀の強さとは何をもって語られるのだろうか?

麻雀は囲碁・将棋と違い、強さの是非が短期間で表れにくい。そこで戦績管理を長期にわたって行えるネット麻雀での成績が、強さの指標になる。私個人もネット麻雀を愉しんでいる側なので、このことに異論はない。

ただ、真の強者というのはネット上だけではなく、現実をも含めて戦績を残せる人ではないだろうか。というのも、リアル麻雀は『観察すべきポイントがネット麻雀に比べて多い』からである。


彼は、有効牌を持ってくるたびに肩呼吸がすこし目立つようになる。

鳴き仕掛けをしたときの挙動が、打点に応じて大げさになる。欲しい牌が出たとき身体がピクついたり、萬子を左側に置きがちなクセなどから、手牌の進行状況がおおよそ検討付いてしまう。なくせ七癖といったもので、これでは、相手に弱点を見せつけているようなもの。この様子だと、彼の自負を挫くのは簡単そうだ。

肩呼吸が激しさを増せば、いよいよ大物手が入ったのだとすぐにわかる。そんな彼がリーチをしてきたら、他に2人に振り込んでやろう。すると彼の顔はどんどん真っ赤になる。少しずつ破られていく自負に、負け惜しみを口走るようなこともあった。

勝負事の強さは、データの管理だけではなく、人を見る大局性も必要であって、ゲームの種類に食わず嫌いを持つのは損だといえる。


その日の結果は、私がトータル2位で、その彼は4位。では誰が1位だったかというと、手つきの覚束ない、覚えたてのもう一人。それもぶっちぎりの1位。

余計なことを考えず、それも「純粋」に、ひたすら麻雀に取り組む姿勢も、勝利には必要なのだと、学ばしていただいた。


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