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負け組の人生だが、金はある
「もう20年以上彼女いないよ」
知り合いと先日初めて食事に出かけた。回転ずしを食べながら、やや探り気味で、お互いの人生を語り合った。
お相手は就職氷河期世代で、その方曰く、履歴書に収まりきらないほどの仕事を経験してきたけれど、すべて1年以内に辞めてしまったという。
わたしはその理由を聞くことはなかった。就職氷河期でも、就職はできた。仕事を選ばなければ。雰囲気的には、辞めたというよりは「病めた」に近しい気がした。
毎日スロットを打ち、日々の帳簿に書き込む。不安定さと絶望感を抱きながら、負けた自分に価値は無く、低い自尊心と強い正義感を背負い込んだまま、20年以上おなじ生活を続けているという。
社会に属さない自分はゴミであって、パートナーを持つ資格はないのだと、自らを「卑下」するが、月収はサラリーマンの平均以上、年収は優に上回っている。
サラリーマンとは、誰もができそうで、決してそんなことはない。この知的社会に軍をなし、数々のスキルを身に着け、社会の一員として世に貢献している猛者達だ。それだけに美徳がある。
しかし、見方にもよる。
時間とお金をトレードオフしているだけに、一定以上の金銭は得られ難い。「幸福とは自由である」などど考えている人からしたら、監禁のような日常だろうし、その強い社会性に、個人としての不満だって溜まるかも知れない。
それに、そんな自らを「社畜」と卑下する者だって大勢いる。
隣の芝生は青く見える。いや、見えてしまう。
それよりも「自らの青さ」さに気づき、熟せるかどうかに関心を寄せたほうが、情熱的な日々になりそうな気もする。
卑下ばかり人生だとしても、人の悪口を言わず、世間へのルサンチマンを持たず、相手の目をみて「今日もお疲れさま」と微笑んでくれるだけで、アナタは社会の一員だよ、と私は告げたいのだ。
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