カニューレ患者さんとの思い出
「娘にありがとうと言いたいかな」
思い出の患者さんとのリハビリ噺し。
地域密着系である当院では、系列の介護ホームから頻繫に搬送されてくる。そのほとんどは80歳以上で認知症や寝たきりなだけに、”目をみて会話できる”人というのは珍しかった。
70代女性のAさんは、その珍しい患者さんのひとり。会話といってもカニューレ対応の方なので、筆談での対応ではあったが。
私は言語聴覚士として、Aさんの「カニューレ離脱」を目的にしばらく担当することになった。
初対面の挨拶はジェスチャーと筆談でスタート。表情豊かで明るい性格の女性だ。
Aさんは心臓に病気があり、意識消失からの運びでウチの転院されてきた。詳しいことは省くが、心臓が悪いとケースによっては呼吸も苦しくなる。Aさんは気道確保の目的でカニューレという器具を喉に付けて、呼吸をしている。
なので、今は声を出すことができないが、カニューレの形式を変えればカニューレ装着のままでも声を出すことはできる。
その形式とは、発声用バルブが付く「スピーチカニューレ」と呼ばれるタイプだ。
カニューレの詳細は学研のページがとても分かりやすくなったので、詳細を知りたい方はこちらを参考に。
リハビリの目標は「カニューレを外し、ことばが出せるようになる」なのだが、そのためには数々の段階がある。
呼吸が安定してるかどうか、痰の量はどれほどか、コミュニケーションは取れるか、お口の中は清潔か、ご飯を食べてムセたりしないか、身体を動かすことができるか、姿勢の変化でバイタル変化はあるか、たくさんのことをクリアしていく必要がある。
幸いにも、ほとんどをクリアしてきたAさんだが、動脈硬化が続いていて、膝から下の皮膚が腐敗し骨がむき出しの状態になりつつあった。「閉塞性動脈硬化症」というやつで、予後の悪い病気である。
けれど、持ち前の明るさと気前の良さで、彼女はリハビリをどんどん形あるものにしていった。
そして、カニューレ装着から一か月程度で、スピーチカニューレへの交換が決まった。
交換手術を終えた翌日、さっそくスピーチ訓練にとりかかる。
「あー…”おお”、こえでるじゃん」
一発目のお声はラジオのような音だったが、見事お声を出すことに成功。そのまま呼吸訓練からのスピーチリハをしていく。そんな私にAさんから一言。
「冷蔵庫のなかのヤクルト飲んでいいよ」
ほんとはいただいちゃダメだけれど、お昼の遅いハラペコ言語聴覚士には断れない一言(笑)
それに、時折わたしの表情を見ては「今日はおつかれ?」といった声かけをしてくれるAさん。相手の様子を繊細に捉え、的確なねぎらいをしてくれる彼女の人柄は、病棟の看護師さんからも話題になるほど人気があった。
リハビリを続けていくと、Aさんは徐にこう口にした。
「娘にありがとうと、やっと言える」
娘さんは片道1時間、毎日面会に訪れていらしていた。
母への献身はすさまじく、まだカニューレが外れる前にAさんとのコミュニケーションが円滑に取れたのも、娘さん作成のコミュニケーションボードあってこそだった。
「母には元気になってほしい」
「私にとっては母しかいない」
私は娘さんとあまり話したことはなかったが、母への強い想いが感じられた。ふたりが母子家庭だとは知っていたが、その他は詳しくない。
そんな娘を母は心配する。
毎日来なくても私は元気だよ、と。
娘さんの声だけが響く病室だったのが、今回はふたりの声が折り重なっている。ふたりの微笑ましいやり取りを眺めながら、Aさんのリハビリは順調に進んで行った。
スピーチカニューレの状態でも問題は出ていない。私はとうとうカニューレを外すタイミングが来たと医師に伝えた。
カニューレを外すということは、「支えのない日常」に戻ることを意味する。懸念点は、カニューレ離脱後の呼吸状態と食事だ。心臓に病があるAさんだと、食事後の血圧変動や呼吸、呼吸からの酸素化が気になる。
飲み込みはクリアなAさんだが、カニューレ離脱後の生活はまだまだ見守りが必要だ。患者さんはなにが起きるか分からない。
そんな心配を横にAさんは「首元がらく~になったよ」といいながら、嬉々とした表情でご飯を頬張っていた。
Aさんを担当してから、約一か月半。
無事にスピーチリハは終了となった。あとは理学療法士による身体リハビリのみとなり、私はたまにAさんの病室に顔を出す程度になった。
日が経つにつれ、日中いつもいるオープンスペースにAさんの姿を見かけなくなってきたのは、担当から2か月ほどである。
その理由は「閉塞性動脈硬化症」の進行だ。明るかったAさんの表情には雲がかかり、青白く弱弱しい。
Aさんに声をかけてみると「元気だよ」と言われる。そんな私は「よくなっていますよ」と、心と表情(事実)が合致しないことばを伝える。
Aさんは少し間をおいて、にっこりと微笑んでくれた。
難行苦行、七難八苦という言葉があるが、なぜこうも病気はひとを苦しめるのか。私は怒りの感情をいまでも強く覚えている。
私の働いていた病院では、一部の人間関係による問題が山積していた。私はその煽りを受け、適応障害になり、しばらくの休職を余儀なくした。
書類を事務に出すために、2週間ぶりに病院に訪れたところ、同僚からAさんの訃報を知らされた。懇意にしていた看護師さんも私のもとに駆け付け、その刻の状況を教えてくれたのだが、わたしはその場に居合わせられなかった。
いま思うに、Aさんは私が人間関係で悩んでいたことを察していた気がする。
以前Aさんから「今日はおつかれ?」と言われたことがあったが、丁度トラブルの真っ只中での声掛けだった。そんな私はAさんに「よくなっていますよ」と伝えたことがあった。繊細で思いやりのあるAさんのことだ、言葉の裏腹をきっと見透かしていたに違いない。
娘さんからの謝辞が残されていた。
「ありがとうございました」と。
私の方こそ「ありがとうございました」と、お二人に伝えたかった。
人の生死が絡む場所だけに働いているといつかは相対する出来事なのだが、いち言語聴覚士として、かつてない程の無念さをいまでも感じている。
ただ、その感情以上に、人を慈しむ偉大さを学ばしていただいたAさんとの日々を私は忘れない。