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“パンパンガール”を語る「金ちゃんの紙芝居」10~【 立てない女の子 】


戦後、埼玉・朝霞の米軍基地周辺で、街娼をしていた女性たち、いわゆる「パンパンガール」。

金ちゃん) その頃、朝霞の駅前に大きな桜の木があって、夕方になると、どこからともなく、立ちんぼのお姉さんたちが大勢、集まってくるんです。

その中に、しゃがみこんだまま、じっとしている少女がいた。

東北出身、「白百合会」に誘われたものの…

金ちゃん) この子はですね、聞いたところによると、東北から出てきて、朝霞に着いたんですね。
うろうろしてるところを、「白百合会」のお姉さんに声をかけられた。
「あんた、何してんだ?」
「田舎から出てきた」
「なんか仕事があるのか?」
「何にもない」
「じゃあ、私たちのところにおいで」
ってんで、「白百合会」に入れられ、先輩のハニーさん(=パンパンガール)と一緒に、駅前で立つことになった。

「白百合会」というのは、朝霞を縄張りとしていた「パンパンガール」の組織。 この後も、しばしば登場する予定。

金ちゃん) ところが、女の子は立てない。

”立ちんぼ“の立ち方が、わからない。

だから、もうしゃがんでいるより他ない。

いつもしゃがんで、猫を相手に遊んでいる。

━━ 立ち方を、お姉さんたちに教わったりはしないんでしょうか?

金ちゃん) 「こう立ちなさい」とは教えられなかった…。まあ「私たちを見て!」っていう感じだったんじゃないでしょうか? 

━━ 「見よう見まねで、やってごらんよ」と?

金ちゃん ) そうですね。ただ、私の覚えている範囲では、この子が皆と同じように、堂々というか、ちゃんと立って笑顔で仲間たちと話しているっていうのは見たことはないです。

私が見た時には、大抵、いつもしゃがんでるような感じでした。

少女は、なぜ立てなかったのか?

━━ それは何ていうんですかね…、体を売るということに対する恐怖心で立てなかったんでしょうか?

金ちゃん) うん、それもあるし、 世間の目というか、人の目もある程度、気になったと思いますよ。

こういったお姉さん方は、堂々と駅前で立ってはいますけども、やはりどこか、世間に対して引いてる部分、後ろめたい部分があったんじゃないでしょうかね。

”真っ当なこと”をしているんじゃないんだ、という思いがあったんじゃないか。

━━ この女の子も?

金ちゃん)  うん、女の子はそれを感じたんじゃないですか…
と、僕は思うんですよね。

中学を卒業したばかり、普段着で…

━━ この子は大体、何歳ぐらい?

金ちゃん ) 本人は「中学校を卒業したばかりだ」と言ってましたけど、どうなんでしょうかね?
まあ若い…、若いというより、「小さい」っていう感じのお姉さんでしたよね。

━━ 身にまとっているのは、上京時に着ていたものですかね?

金ちゃん) うん、子供の時から履いていたスカードをそのまま履いているってるっていう感じ。普通の少女が履く、短いスカートでしたね。

ベテランのお姉さん方が好んで穿くようなミニスカート…今で言うミニスカートではなかったです。

同じ、短いスカートでもね、ある程度のお姉さん方は、何て言うのかな、自分の体の線を見せるような、足を見せるような…っていうのがあったけど、この女の子は、そういう感じのスカートではありません。

覚悟はあったのか?

━━ 朝霞に来たということは、パンパンガールになろうと思って来たということでしょうか?

金ちゃん ) さあ、その辺はわかりません。
ただ、朝霞に来るにあたっては、どこかで「朝霞に行けば…」って言われたんだと思うんですよね。

ということは、ある程度、パンパンガールになることの覚悟はあったと思いますよ。

でも、彼女は立てなかった。

この絵は、金ちゃんの800枚を超える絵の中で、僕にとって最も印象的な絵の1つだ。

色鮮やかな衣装をまとった女性たちが駅前に立ち並び、米兵の気を引こうと嬌声を上げる様子は、現在の朝霞に、金ちゃん以外にも記憶している人がいるかもしれない。

だけど、小学生だった金ちゃんの目は、立っている女性だけでなく、桜の木の根元で、じっとしゃがんでいる少女の姿まで捉えていたのだ。

恐るべき観察眼だと思う。

金ちゃんは、この少女につけられた渾名を覚えている。

どんぐりちゃん

金ちゃん) 私の母親が、お姉さん方に、ニックネームというか愛称をつけるのが得意だったんです。

上の5人は、金ちゃんの母・いねさんが愛称をつけたパンパンガール。いねさんは貸席(今で言うラブホテル)を営み、彼女たちに商売の場を提供していた。パンパンガールたちを、娘のように可愛がったり、叱ったりしていた。
右端の「どんぐりちゃん」が、立てない女の子。

━━ なぜ、どんぐりちゃん?

金ちゃん) 田舎の女の子ということで…。それから、丸くてコロコロして小っこい子という意味で、母親は「どんぐりちゃん」と言っていた。

金ちゃんは、どんぐりちゃんの絵を、他にも描いている。

1,2年 経っても、どんぐりちゃんは…

━━ いちばん左。電信柱にもたれかかり、しゃがんで犬を連れている少女…これが?

金ちゃん) どんぐりちゃんですね。朝霞に着いて1,2年経った頃のどんぐりちゃん。

着ているものは垢抜け、髪の毛は染め、草履も靴に代わっている。
でも、しゃがんだままであることは変わりない。

━━ 1,2年経っても、相変わらず立てないってことですか?

金ちゃん ) ええ。やっぱり立っているっていうのは得意じゃなかったというか、立てなかったですね。

━━ そういう意味では、売れはしなかったんですかね、彼女は?

金ちゃん ) そうですね、売れなかったと思いますよ。
で、いつの間にか消えちゃった。もっとも、他の多くのハニーさんたちも、そんな感じなんですけどね…。

“立てない少女”は、女性たち全員の心情を象徴する光景

中学を卒業したばかりの(もしかすると、卒業もしていない)東北出身の少女にとって、金と引き換えにアメリカ兵に身を委ねるということが、どんなに恥ずかしく、どんなに恐ろしいことだったか。

とはいえ、2年経っても立つことすらできなかった「どんぐりちゃん」は、珍しい存在だったかもしれない。

でも、他の女性たちだって同じように、羞恥心や恐怖心を感じていたはずだ。ただ、それを押し殺して生きるしか、他に道がなかったに過ぎない。

そういう意味で、“立てない少女”は、ここにいる女性たち全員の心情を象徴する光景と言えるのかもしれない。中学を卒業したばかりの(もしかすると、卒業もしていないかもしれない)東北出身の少女にとって、知らない街で、金と引き換えに、アメリカ兵に身を委ねるということは、生きていくためといえ、恥ずかしく、恐ろしさに足が震えることだったろう。もちろん、他の女性たちが、心の痛みや羞恥心を感じていなかったわけではない。それを押し殺して、生きる道を選んだに過ぎない。そういう意味で、立てない少女は、ここにいる女性たち全員の心情を象徴する光景と言えるかもしれない。



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