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英語学習の優先順位を下げているとガチで後悔するという話

英語学習は必要になってからでは遅い

私は大学在学中に英語教育事業を起業し、学生たちの英語指導に10年近く関わってきました。立場上、学生の方たちから英語学習に関する様々な相談をいただくのですが、中には次のようなものも少なくありません。

「院試のためにTOEFLのスコアが必要で、3週間後の試験までに30点上げないといけないのですが…」
「留学の出願締め切りまであと2ヶ月で、それまでにIELTSのoverallで1.0上げるにはどんな勉強をすればいいですか?」
「就活でTOEICスコア800が必要で、1ヶ月後の試験がラストチャンスなんです…どうしたらよいでしょうか??」

相談を聞いたときの私の正直な気持ちは、

「ごめん!!それは!!さすがにッ!!!無理ッッ!!!!!!」

です。
本人の努力や学習方法の効率性以前の問題で、そもそも脳の構造上、短期間で一気に伸ばせるような仕組みになっていないのです。
「無理です」と無碍に伝えるわけにもいかないので、現実的に問題慣れや試験テクニックでなんとか点数を上げる方法を伝えるしかなく、私も非常にもどかしい気持ちになります。

脳の記憶のしくみ

英語力の向上にはある程度の期間が必要です。
英語習得は、語彙や文法、発音などの膨大な記憶を長期記憶に貯蔵し、その記憶の出し入れを無意識に行えるよう自動化していくゲームです。
そのためには、「継続的な学習」+「睡眠」による長期記憶への転送のサイクルを何度も繰り返すことが必要です。
テスト前日の一夜漬け的な短期記憶でどうにかなるものではありません。

語学の記憶定着のプロセス

人はその日に学んだことや経験したことを短期記憶として海馬に貯蔵します。海馬に貯蔵された記憶のうち、大切だと思われるものを、ノンレム睡眠中に皮質の長期記憶貯蔵庫に転送します。
海馬の記憶容量は小さいため、一日の学習で憶えられる量には限界があります。また、学習時間の総量だけでなく、どれだけノンレム睡眠を挟んだのかも重要になります。このため、短期間に集中して英語力を伸ばすことは、脳の機能上の問題で不可能なのです。

このように、短期間で英語力を伸ばそうという試みは最初から詰んでいます。教材や学習方法以前の問題で、ほとんどの人の脳は短期で習得できるようには作られていません。中〜長期間にわたる継続的な学習と睡眠のサイクルを繰り返すことが不可欠です。

英語学習は、必要になってから始めても遅いのです。

英語の優先順位が下がるのはわかる

ここまで、脳の記憶の仕組み上、短期間で英語学習を一気に上げることはできない、中長期的にコツコツ学習を継続するしかないという話をしました。

しかし、コツコツ英語学習に取り組むのはそう簡単ではありません。緊急性が低いため、日常での優先順位が下がってしまうからです。
交換留学などを目指すのでない限り、学生にとって英語力の必要性は”直近では”低くなります。明日や来週や来月に英語が使えないと困るという差し迫った状況に置かれることはそうそうありません。
単位取得やサークル活動、バイト、研究活動、就活のES提出締め切りなど、明日、明後日に迫った緊急の課題に日々追われている中で、先の課題である英語に手を付けるのが難しいという気持ちはとてもよく分かります。(私も中国語を勉強したいと思いながらも、緊急性が低いため日々のあれこれに追われて手がつかない状態が5億年ほど続いています)

もちろん、人生において何に優先順位を置いてどう時間の使い方を選択するのかは各人の自由です。ですが、語学学習の性質上、状況が差し迫って優先順位が高くなってから学び始めても間に合わないのです。
英語学習の必要性が目の前に差し迫っていなくても、優先順位を整理して取り組んでおかなければ後悔する可能性が高いです。「早くからコツコツ勉強しておけばよかった…」という学生をこれまで数え切れないほど見てきました。

いまの20代以降はグローバル化に飲み込まれる

ここまで、英語習得には時間がかかることを述べた上で、英語学習の優先順位が低くなりやすいことを話してきました。
ここからは、これからの21世紀の社会での英語力の必要性について考察していきたいと思います。みなさん自身の英語学習の優先度を考える上での参考にしていただければと思います。

今日、日本国内のローカルな雇用が、グローバルな労働市場に次々と飲み込まれています。
身近でわかりやすい例でいえば、近年ものすごい勢いでTSUTAYAやGEOといったDVDレンタルショップが閉店しています。この現象を雇用の観点から見れば、TSUTAYAの店舗で働いていたスタッフやTSUTAYA本社で勤務していた日本人のローカルな雇用が、NetflixやAmazon(Primeビデオ)、Google(YouTube)で働くエンジニアやマーケターたちのグローバルな雇用に取って代わられたということです。デジタル化とグローバル化が進む21世紀にあって、この様相はますます強まっていくことが予想されます。

もちろんグローバル化とデジタル化の潮流で勝ち残っていく日本企業もあるとは思いますが、そうした日本企業もグローバルな視野を持たざるを得ませんし、日本から世界に出ていく以上に世界から日本に入ってくるものの方がはるかに多いでしょう。今日みなさんが日常でよく使う製品やサービスを思い浮かべれば明白です。Google, Instagram(Meta・旧facebook), Apple, Amazon, Netflix, Spotify, Starbucks, MacDonald, Fortnite(Epic Games)など、日本人の生活に入り込んだ海外企業は数え切れません。また、日本人がよく使う日本企業も、グローバル展開している企業の割合が増えています。任天堂やトヨタ、ユニクロ、無印良品、ダイキンなどは日本国内でのシェアも非常に高いですが、売上や店舗数の比率で見ると国内より国外の方が大きな割合を占めています。

国内でのローカルな雇用が、これからますますグローバルな労働市場に飲み込まれていきます。いまの40代以降の人たちは日本語圏内の仕事で逃げ切れるかもしれませんが、20代、30代の人たちはグローバル環境で戦わざるを得なくなるように思います。これから社会に出ていく人たちにはもれなく英語力が求められていくでしょう。

次に「翻訳技術が進歩してるから英語力は要らないのでは?」という議論について考えていきます。

機械翻訳の時代に英語力は必要か

「Google翻訳やDeepLが便利な時代に英語なんて勉強する意味はあるのか」
この質問も、立場上これまで何度も訊かれてきました。
みなさんがもっとも嫌うであろう回答をせざるを得ないのですが、
私の回答は
「わからない」

です。5年や10年単位で技術や価値観が塗り替わり続ける今の社会で、10年、20年先の様相を正確に予測できる人は誰一人いません。
ここでは、答えではなく、みなさん自身がこの問題についてより深く考えるための重要なポイントを3つ提示したいと思います。

1. 機械は意味を理解して翻訳しているわけではない

機械は投げられた文章の意味を理解しているわけではありません。膨大な学習データに基づくパターン学習によって、「翻訳しているかのように見せているだけ」です。たとえば

“how's it going?”と投げ込まれたら「調子はどう?」と返す

というパターンを学習しているだけであって、”how’s it going”の意味や心情を理解しているわけではありません
私は仕事柄、機械翻訳で翻訳した文章をチェックして直すことが多いのですが、機械が「意味を理解していない」ことに起因するおバカな翻訳をたびたび目にします。これが機械翻訳の技術的な限界なのか、それとも今後の技術の進歩によって改善するのか、機械学習やコンピュータ・アルゴリズムの専門家ではないのでわかりませんが、1つの大きなポイントになるでしょう。

機械は文章の意味を理解しているわけではない


2. どんな場面で必要な英語力なのか

「英語力」と一口に言っても、仕事や日常の場面によって求められる英語力の質や水準は大きく異なります。
たとえば、旅行先でのチェックインのやり取りや電車の乗り換え案内など、定型的なやり取りであれば、今の機械翻訳の水準で十分です。必要な英語力がその水準なのであれば、わざわざ英語を学習する必要性は低いでしょう。
しかし、たとえば会社どうしの取引の場面で、相手の本心を探りつつ複雑な利害関係の調整をしなければならないのであれば、機械翻訳技術の手には負えません。翻訳に頼らず自分自身でコミュニケーションできる英語力を身に付ける必要があります。

自分の人生において英語力が必要かどうかを判断する際は、
「どんな種類の英語力が、どの水準で求められるのか」
を考えてみてください。
自分は英語で何ができる必要があるのか」を具体的に把握しておくことで、「機械翻訳で十分なのか」「自分自身で英語で意思疎通できる必要があるのか」を判断しやすくなります。

3. 翻訳機を介したやり取りに人々がどういう印象を持つか

誰もがパソコンやワープロで完璧な美しい文字を書ける時代ですが、サラッと書いた手書きの美しいメモ書きに感動したり、手紙を送ったときの印象が良くなることなどから、「字を自分の手で美しく書く」能力には今でも一定の需要があります。
同じように、「機械翻訳技術がどこまで進歩するか」という問題とは別に、「翻訳機を介したコミュニケーションに対して、人々がどのような印象を抱くか」という別の角度の問題も存在します。

たとえば、あなたが会社の新しい取引先を探しているときに、翻訳機を介してやり取りをしているA社の担当者と、自力で英語でコミュニケーションができるB社の担当者のどちらに好印象を抱くでしょうか?翻訳機を介したA社とのやり取りは時間がかかってイライラが募るのに対して、B社はスマートに見え、取引先としてB社を選びたくなるかもしれません。
逆に、翻訳機が便利な時代にわざわざ英語学習に時間を投じているようなB社の担当者が非合理的な間抜け、趣味に興じるオタクに見えるかもしれません。

あるいは、「英語話せてかっこいいなー」と思われるだけで、実用性の観点からはあまり評価されないかもしれません。電卓や表計算ソフトが普及している時代なので、暗算が速い人は「すごいなー」と尊敬されるものの、あまり実用的だとは思われないことが増えてきたのと同じように、英語力もその程度に見られる可能性もあります。
翻訳技術の水準だけでなく、翻訳機を介したコミュニケーションに対して人の心がどのような印象を抱くのかも重要なポイントになるでしょう。

英語ができないことで損をする可能性は高い

ここまで議論してきたように、英語力が実用的な価値を持たなくなる可能性はあります。しかし、その可能性は早くても10年後の未来の話です。みなさんが30代や40代になるころには完璧な機械翻訳が完成し、英語力が不要になっているかもしれませんが、20代や30代の前半には依然として英語力には高い需要があるでしょう。
20代や30代の前半は、今後のキャリアの角度や方向性が決まる時期です。その時期に「英語ができない」というディスアドバンテージを負って選択肢や可能性を狭めるのは、あまり賢い選択ではないように感じます。

最後に

私は英語教育で生計を立てている身なので、英語学習への需要がこれからも高まってくれるほうがもちろん助かるのですが、そういう立場はいったん脇に置いて、できる限りフェアな視点から英語学習を取り巻く環境について考察したつもりです。
時間もエネルギーも限られています。みなさん一人ひとりにとって最適な時間やリソースの使い方が選択できるように、英語学習の優先度についてみなさん自身が考える助けになれば幸いです。

みなさんの貴重な時間を割いて最後まで読んでくださったことに心から感謝いたします。

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