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あなたはアラスカで『野性の呼び声』に咆哮する

Hello! よくきたわね。ウイルスが蔓延するこのご時世ですもの、映画を観るために外出するヒトも少なく、誰も彼もがおうちでリングフィットアドベンチャーに励んで来たるべき戦いに備えているわ。街の空気は淀み、経済は冷え込み、ニンジャやスパイやナチスがよからぬことを考えている。世界は今、とても大変なことになっているのよ。でも、私はここに来たし、あなたも来た。そうでしょ? あのハリソン・フォードと大きなワンチャン。そのビジュアルを観た瞬間、頭のてっぺんからつま先まで電流が走ったはず。「この映画を観ろ!真の男の映画だ!タフな映画だ!!」ってね。

私はポップコーンとテキーラを片手に無人の映画館から19世紀末のアメリカに旅立った。……ゴールドラッシュ……拉致された犬……タフな男……疾走する犬そり……人生に疲れた男……ユーコンの大自然……

そして、最高の冒険へ……。

私の全身はほんものの野性に満たされて、気がつけば涙で頬が濡れていた。テキーラを片手にスマッホをいじるわたしたちは何か大事なものをたくさん失ってしまったのかもしれないわね。メルカリとか予測変換でははかりしれない、自然の大きさとか……風の冷たさとか……生きる喜びとか……そうゆうラブとリスペクトの、何かをね。

この記事は映画『野性の呼び声』についての感想記事です。多少のネタばれも含みますのでお気をつけください。


タフな男は斧でひげをそる

19世紀末、アメリカ合衆国では新しい金鉱の発掘で国中が沸いていた。いわゆるゴールドラッシュというやつね。あなたも聞いたことくらいあるでしょう? 誰もが一攫千金を夢見て酒に溺れた狂乱の時代、大陸中からタフな男やアホな詐欺師が集まって街は異様な賑わいをみせていた。ハンドアックスでひげを剃る男の姿に嫌でも時代の強度を実感できるわ。

「Oh……Wild……」

思わずそんなつぶやきがもれるわね。そんなタフな時代、食料や道具と同じくらい貴重だったのが犬そり用の犬ってわけ。大陸北部の雪と氷の世界を誰よりも早く、そして遠くへ進むためには、どうしたって犬そりの力が必要だった。この映画はそんな時代に生きた一匹のワンチャン、バックの物語よ。

バックは体躯に恵まれた賢い犬でカリフォルニアの金持ちの家で何不自由なく暮らしていたわ。飼い犬としては幸せの絶頂ね。でもある日、悪い奴に目を付けられて拉致されてしまう。檻にいれられ、鉄道で運ばれ、船にゆられて、棍棒で殴られ、バックが辿り着いたのはゴールドラッシュに沸くカナダのユーコン準州クロンダイク。犬そり用の犬として売り飛ばされたバックの運命やいかに……。

この辺りまでが導入部分だけど映画を見始めたあなたはすぐに気がつくはずよ、バックがCGだってことにね。「CG? そんなのホンモノの映画じゃねえよ。リアリティがねえ!クソ映画だ!」なんて時代遅れの考えをもし抱いているなら、そんなもの今すぐドブに放り投げてしまいなさい。技術は毎日進歩している。それも私たちの想像をはるかに超える速度でね。

「CGで描かれるバックには間違いなくホンモノの魂が宿っていた」

断言するわ。まあ確かに最初は演技をしている犬の姿に違和感を覚えるかもしれない。でも、そんなものすぐにどうでも良くなるの。目の動きや呼吸の速さ、ふわふわした毛の手ざわりに身体の重さ、そんなひとつひっとつの描写がほんとうに素晴らしい出来映えで、ホンモノの犬がそこに生きていることを実感できるはずよ! バックはヒトの言葉を話さない。でも、その行動や表情から内なる感情がビンビンに伝わってくる。悪い男に棍棒で殴られるシーンはすごく胸が痛むし、生まれて初めて雪を踏む姿は少し可笑しいけど、同じくらい少し悲しい気持ちになるわ。CGだからどうのこうのなんて考えはすぐに消え去り、ただただ、彼の生き様を見届けたいという熱い胸の高鳴りだけが、あなたの心に残るはず。


変わるものと変わらないもの

ジャック・ロンドンの小説『野性の呼び声』がこの映画の原作なのは知っているわね? 1903年の発行からずっと愛され続けている米文学を代表する傑作小説のひとつよ。日本では大正6年に初めて書籍化されたわ。令和の時代に大正の作品を映画館で観られるのだから、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい作品ね。もちろん私も読んだことがある。だから、あなたがこう考えていることも理解しているつもり。

「なんか原作と雰囲気違わない?」

ええ、そうね。PVを観たときに私もそう感じたわ。あの情け容赦のない暴力や現実、本能を揺さぶる野性の力強さや美しさ、そして静けさの中に熱く滾るパワーがある骨太のストーリーが微塵も感じられない。もっとワイルドでタフな血なまぐさい物語だった気がするわ。まるでハリソン・フォードとワンチャンの感動物語みたいじゃない。 ……ディズニー……オリジナル展開……不気味の谷……ポリティカルコレクトネス……動物愛護……地球温暖化……そんな不吉なワードが頭に浮かんでくるわ。

でも、実際に見るまではどんな作品かなんて誰にも分からない。PVだけで勝手な判断はしちゃダメよ。正直あのPVの出来はイマイチだと思うわ。私から言えることはただひとつ、もし原作を読んでいるのなら、今すぐ映画館に走ってこの映画を見なさい。今すぐに!

確かに改変されている部分はたくさんあるわ。細かいところをツッコミだすとキリがない。でも、それはおおむね成功していると私は思っているの。例えば、公民権運動以前の19世紀末のアメリカで黒人が郵便配達の職につけたのかとか、残虐な先住民はどこいったとか、あなたは物知り顔で指摘するかもしれない。でも思い出して、この物語の主役はバックなの。

バックは過酷な環境で暮らすうちに己の中に眠る野性に導かれて成長を遂げる。それがこの作品の一番の肝よ。そして、その大事な部分をこの映画はきちんと表現しているわ。一匹の美しい黒いオオカミとして描かれる象徴的なそれは、バックのみならず、映画を観る全ての者に訴えかけるパワーを秘めていると思うの。ヒトの言葉は一切なくとも、あのオオカミを前にしたら誰だって何かを感じずにはいられない。原作小説とはまた違う、映画だからこそ作れる美しさがそこにあるわ。

そして、野生化していくバックを文明側に留めているのが人間という構図もこの作品の面白いところ。カリフォルニアの金持ち、クロンダイクの郵便配達、無知でアホな男、そしてハリソン・フォードが演じるジョン・ソーントン。次々に変わっていく飼い主とバックがどんな関係性を築くかも注目して欲しいわ。特に原作よりも深く描写されているジョンはこの映画一番の見所よ。ハリソン・フォードの疲れた顔はほんと最高ね!

100年前の作品ですもの、現代風にアレンジされたり社会的に配慮されている部分は当然あるわ。全体的にはマイルドな仕上がりね。でも、作品としての大事な部分は100年前も今も変わらない。だからこの作品は今でも愛され続けている。変わるものと変わらないもの、そんなところに目を向けてこの映画を観るのも、きっと面白いと私は思うわ。


ブレス・オブ・ザ・ワイルド

私たちはこの文明社会のなか、野性とはずいぶんかけ離れたところで暮らしているわ。ビルに囲まれた灰色の空を眺めて何かにイライラしながら足早に進む毎日。それでも道端に咲く花に心を奪われたり、吹き抜けてゆく風に心地良さを感じることもある。それは、かつて暮らしていた世界への郷愁であり、身体に刻まれた野性の本能が呼び起こす大事な感情だと思うの。自然至上主義者になるつもりはないけど、美しい自然に恋い焦がれてしまうのはどうしようもないわね。バックが旅するユーコンの雪原やアラスカの原野は、ヒトの気配がない、ホンモノの自然と野性の息吹が広がる世界よ。

その、とてつもなく美しい映像に、私は心惹かれたわ。

風を感じたのよ。映画館で。あの世界の冷たい風を。温かな日差しを。木々のざわめきを。動物たちの話し声を。言葉にはしづらいのだけど、あの映像体験はほんとうに素晴らしかったわ。バックと一緒にどこまでも広がる世界を駆け抜けるように旅しているみたい。誰にも邪魔されず、何事にも囚われず、ただただ自由な世界を生きる喜び。ほんとうに最高だったわ。

でも、美しさだけが自然ではないわ。キケンは常に隣にあって、いつ牙を剥くとも限らない。そういう意味でも野生のオオカミの遠吠えが聞こえてくる夜のシーンがとても印象的ね。いつ襲ってくるか分からない不安、そして生まれて初めて聞くホンモノの声に、バックはもの凄く怯えるの。だけど同時に、自分が何に属しているのかを彼は本能的に理解していくわ。文明と野性を決定的に分けたあのシーンが、この映画の中でも私は猛烈に大好き。

「私たちはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」

いつの時代も、いつの人間も、その問いについて考え続けてきたわ。その答えを科学に求めたり、宗教に求めたり、物語に求めたり、色々な手を探ってはいるけれど、永遠に辿り着くことはない問いね。『野性の呼び声』というこの作品は、バックという一匹の犬の生き様を語ることでこの問いに近づこうとした作品だと私は思っているの。だから、100年が経った今でも私たちに訴えかけるパワーを秘めているし、愛されてもいる。

とても良い映画よ。オススメしたいわ。

こんなご時世ですもの、映画なんて観ている場合ではないかもしれない。でも、映画を楽しむことで得られるものもあるわ。バックの生き様に、きっとあなたは何かを感じ取れるはずよ。大したものではないかもしれないけど、たぶんそれはあなたの人生を少しは豊かにしてくれると、私は信じている。



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