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湖畔だより。その後 8 ナゲキバト

不思議なことがあった。

私が夫に話しかけながら
大叔母さんのロッキングチェアに座っていた翌日のことである。

私がいない間、家を管理してくれていたローリーが、次回の壁塗りの話をしにやってきた。
以前南側の壁を塗ってくれたのである。

そのローリーが、たまたま近所の友人ニッキーと一緒に、この家を見に来たときの事。ニッキーはポールの奥さんで、私も一度会ったことがある。ポールはビーチクラブの仕事をしてくれている。

あなた、怖がるかもしれないけれど、

そう言い置いてローリーは

ニッキーはmedium の素質を持っているのよ。

(mediumってなんだったかな)そう思いながら話の続きを聞く。

この間来たとき、彼女、ウッドストーブのところでスマートホンいじってて
ふっと顔を上げたら
そこに彼が座ってたって。

そう言ってローリーは大叔母さんのロッキングチェアを指さした。

一瞬の事だったらしいんだけど。

そうなの?私の夫がそこに?
私は落ち着いて答えた。

不思議だ。
ビーチに出ていてポールは、夫がその位置に座っていることを知っていたから、ニッキーは彼からそのことを聞いていたのかもしれない。
でも私は、それより、あーずっと今も夫は、この家にいるのだなと思ったのである。そうとは知っていたけれど、やっぱり?と確認できてよかったみたいな、そんな感覚。

この間はErikから

竜巻警報が出ているから、何かあったらすぐ地下に行くんだよ

とテキストメッセージが来た。竜巻!と思いながら不安にならなかったのは、夫がいたからである。
その時もそんな気がしたのである。
もちろん気がしただけである。
私はニッキーのような能力のかけらも持っていないから。


夜中に聞こえてくる、夫が私を呼ぶ声とか、酸素が送られている音とか、そんな音の記憶が私の体の中から薄らいできている。
しんとした家が もう当たり前になってきた。
代わりに、知らなかった夜明け前のGo Trainや、グースたちの飛来の音が聞こえてくるようになった。

でも、湖畔だより。その後 は三月以降の事を書こうと思っていたのに、それはまだ書けないでいる。記録もしなかったので、いったいその数か月をどうやって過ごしたのか 思い出すことができない。私の中ではまだ、その時期は、思い出せる過去になり切っていないのだと思う。

ただ、近所のレノアが来たときのことは、覚えている。4月になったばかりの頃だったろうか。ドアを開けると、ちょうど鳥が玄関ポーチに止まっていた。

それは朝、夫とベッドのヘリに並んで座って窓の外を見ていて、時折やって来ていた鳥であった。夫がその名をモーニングダヴだと言っていので、その発音からてっきりmorning doveだと思いこんでいた。

私の母が亡くなった時、この鳥が来てくれたのよ。

レノアは鳥を見るとそう言って
morning ではなくmourningだと教えてくれたのだ。

つまりそれは朝ではなく、哀悼や喪を意味する言葉である。
あーそうか。
その時、ひとひらの花びらが私の胸に下りた。

レノアのように私も、mourning doveが来てくれた、そんな風に思ったのだ。

こんなこともあった。
玄関ドアからドライブウェイまでの整備を頼んだときのことだ。たまたま、Zen gardenを作っているという人を、facebookのローカルグループで見つけた。
玄関ドアまでのアプローチは、例の木製階段は修復されたものの、積み上げられたままの砂山には雑草が伸びて、使われないレンガや石が行き場なく転がっていた。
それは建築中の家をさらに殺伐とさせていた。


夫が京都の禅寺の庭が好きで。枯山水に仕立ててもらえるかしら。

ジョーダンは高校生の弟を連れてきて、地面を均すことから始めてくれた。八月の日差しの中、汗水たらして働いてくれる。彼がどこまで禅の事を知っているのかはわからなかったが、アジアの文化に興味があって、Tai-chi(太極拳)を10年近くやっていると言った。寡黙な青年で、でもどこか心の温かみを感じさせた。Tai-chiの動きを私に見せてくれたりもした。
せっかくならした小石の上で始めたものだから、弟がしきりに気にしていたのが可笑しかった。
そんな彼らと、出来上がったロックガーデンの前に立った時の事である。

He would’ve love it.

私が言ったその瞬間、組み合わされた石の間から一匹のチップモンクが出てきたのだ。
それは勇敢にも、立っている私たち三人にまっすぐ向かって来た。
そしてふいと気づいたように踵を返すと、枯山水の波紋を横切って行ったのである。

あ、夫だ。

私は瞬時に思った。

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私が愛でて写真を撮っていたチップモンクを、ネバネバトラップにかけた経緯のある夫が、チップモンクに姿を変えるなんて考えられないけれど。

でも出てきた瞬間、夫だと思ったのだ。そのチップモンクが、と言うより、それはかすかなかすかな気配である。

もちろん私が勝手にそう感じただけだ。

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夫はかつてエンジェルの存在について、度々話してくれたことがある。自分の心の中にいるエンジェルである。
架空のものを取り入れないというモンテソーリメソッドの講師が、こう言っていた。

エンジェルはいいのです。人々がその存在を信じているからです。

ひらりと私の胸に降りた物は、目に見えない物の存在を信じる、と言うことではない。目に見えないけれど信じているものの存在が私にはあると言う、ひとひらの花びらである。私だけのために降りたひとひらである。

だって私にはキュウリの花があった。
誰が何と言おうと、あの時そこに夫の魂があって
私はそう信じているのだ

だから今もここにこうして、湖畔の家で過ごせているのかもしれない。
だからあの時期も ここを離れたくなかったのかもしれない。

湖畔だより。追憶inCanad 生きるとは
https://note.com/kazunagatsuki/m/mf11651072e7f


南側の壁の色は、はじめ
ネットで検索して調べていた。
そんな折、ガレージにあった木箱から
夫が使用していたカラーサンプルが出てきた。
どこに使った色かもメモってある。
そのカラーサンプルを見て南の壁の色を決めた。

それが、建築中の湖畔の家の、実際の夫の手を介さない初めての 建築の“続き”であった。
ローリーは丁寧にサイディングをして(表面を滑らかにする) ゆっくり仕上げてくれた。つまり、

この面だけだと一日仕事よ

と言っていたけど

下地が合わないので別のを買ってくるわ

とか

もう一缶必要だわ

と言うようなことで終わるまで1週間かかった。

夫がドライウォールに下地らしきものを塗っただけの、病室のようだった白の壁が、温かみもった薄い卵色となった。

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次にローリーに頼む予定の壁の色は
もう決まっている。

ところで mourning doveは、その鳴き声が悲しげであることから、そう名づけられて、日本語ではナゲキバトとあった。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。