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キミはホームランを打ったか#1 異国への憧れ

亡くなった夫は、実にいろいろな職業について来た。それなりに成功したものもあっただろうにそれでは満足できなかったらしい。
死の床にある最後の最後まで、次のビジネスに思いを馳せていた。
気骨のある人だったと言えるかもしれない。
あるいは内にある何かに駆り立てられてきたのかもしれない。
自分ではどうしようもないものに。

私にはむしろそんな風に見えた。

キミはホームランを打ったかはそんな夫の話である。


アメリカのバモント州にあるNorwichと言う片田舎で夫は生まれた。このNorwichはアパラシアン山脈の北の果ての山あいにあって、私も夫と何度か訪れたことがある。

夫がかつて住んでいたという場所近くからアパラシアンの山々を臨んで

夫が住んでいた頃から、そして多分今も、アメリカという大国の経済発展から取り残されてしまった、そんな印象のある町である。

実は夫はそこで生まれたのか、あるいは引き取られた先の乳児院がそこにあったのかわからない。

母は夫を産み落としてすぐ離婚し英国に戻っている。
アメリカ人の父は離婚後、バーでの暴力沙汰で収監されたらしい。大人になってそれを知ったと夫が話してくれた。
殴った相手が亡くなっているので罪状は殺人だったのかもしれない。

でもそんなこととは関係のないところで、夫は養父母に大事に育てられた。写真館で撮られたのだろう、幼い夫と3年遅れで迎えらた養女ジュリアとの写真がそれを物語っている。

貧しい田舎町で養父は農業と関わっていた。
今しなければ作物たちは待ってくれない、そんな毎日の勤勉と堅実さを養父から学んだと夫は言っている。

養母イザベラは図書館の司書を務めていて、夫の本好きはそこから来たのだと思う。

イザベラが長く務めた町の公立図書館

イザベラの蔵書だったのだろう、ディケンズの古い本が今も湖畔の家の本棚に並んでいる。死ぬまでに読破したいと私は密かに思っている。

夫が作ったガラスの書棚、私の馴染みのあるクリスマスキャロルやオリバーツイストも


その図書館のすぐそばに夫の通っていた小学校があった。

どんな鐘の音がするのだろう

何がきっかけで日本に興味を持ったの?

夫と知り合ったばかりの頃私は聞いた。夫は私以上に日本の事を知っていたのである💦

興味を持ったきっかけね~

夫は少し考えて

多分小学生のころ読んだストーリーだと思う

と答えた。何の話だったの?と私。

忍者だったっけなあ

西洋人の子供あるあるであった(笑)

それは母の働く図書館で見つけた本だったかもしれないし、マガジンに載っていた簡単なストーリーだったかもしれない。

でもそれがなんであれ、当時日本人のいようはずもない山あいの田舎町で、異国へのあこがれの種が夫の心に蒔かれたのは確かだった。

子供の頃の本の体験は
その人の人生に
どれほどの影響をもたらすのだろう

私はと言えばリンドグレーンのやかまし村の子供たちだ。登場する6人の子供たちの自然の中での暮らしが小学生の私を魅了した。
そして後には大草原の小さな家である。
自分はローラで、家を作り狩りをし農作物を育てるお父さんチャールズが大好きだった。どんな困難があってもお父さんがいれば大丈夫、そんな絶対的信頼のおけるたくましいお父さんが憧れであった。

ね、こんな風に私たちは出会うずーーーーと前に、異国への憧れと言う形で種がそれぞれの心の中に蒔かれていたのである。

しかし事実はそんなおとぎ話ではないわけで。
夫は心の奥深いところで傷ついたものを持っていて、その反動のような行動が彼の人生の様々な場面で登場していた。
それは何十年も後の私たちの関係でさえ深刻に危うくした。
何度も。

愛着障害
後に心理学の修士を取ってアドラーのカウンセラーとなった夫自身がそう何度も口にしたし、モンテソーリで子供の心理を少しばかり勉強した私も、そんな言葉を知っていた。
1歳半で養父母に迎え入れられるまで、泣いても誰も来ない境遇で育ったのだと。その年齢までには形成されているべきそばにいる人への信頼を、夫は構築できなかったのかもしれない。

後にこちらカナダでかかった心理カウンセラーに話すと、それはもう乗り越えているはずの年齢だと言われた。
だから夫の人生における困難はそれに起因するものなのか、あるいは後のベトナム戦争のPTSDによるものなのかはわからない。

でも夫が精神的な困難を抱えていなければ、そして私が当時離婚裁判中であった前夫への怒りをあらわにしていなければ、私たちは共に歩く決断をしていなかったのではないかと思う。夫の人生の最終章ともいうべきところで。
もちろんその時は、最終章だとはどちらも思っていなかったのだけれど。

ヘッダー写真は夫が窓に切り取ったアパラチアン山脈。つまり、かつて住んでいた農家を改築した時、キッチンからそれがに見えるよう窓を作ったのである。

次回は夫の二十歳前後の話。ベトナム戦争と学校設立。

日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。