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「あの人も頑張ってるから」の落とし穴

デュアスロンに出た。
デュアスロンとは、走って、自転車乗って、走るというもの。

70歳くらいで一歩ずつ走ってる人や、
義足で走るパラ選手もいた。

しんどかったとき、そんな人たちを見て
「あの人も頑張っているから頑張ろう」と踏ん張った。

でも、ふと生まれた違和感。

それって、高齢者や義足で走る人たちを、
自分より「弱い」存在と見てると。

自分より大変な境遇にある「弱い」人たちが、
あんなに頑張ってるんだから
自分も頑張ろう、みたいな。

一方で参加者の中には、
トンデモナイ速さで走る猛者(もさ)もいた。
彼らはバケモノかと思うスピードで駆け抜け、
周回コースだから何回も追い抜いて行った。

きっと彼らは、
ぼく以上に負荷をかけてるだろうし、
めちゃくちゃ自分と闘ってるはず。

なのになぜ「あの猛者たちみたいに頑張ろう」と思えないのか?

どこかで「あの人たちは特別だ」
「もともと速い人たちだ」
「自分とは違う人たちだ」

なんて意識があるんじゃないかと。

「あの人だからできる」
「あの人は特別だ」と思ってしまうときは、
それは結果にフォーカスしてるとき。

結果ではなく
自分との向き合い方にフォーカスしたら
「あの猛者みたいに頑張ってみよう」と思えるはず。

これは仕事でも同じだと思う。

「あの人はすごいなあ」
「あの人だからできる」と
結果にフォーカスして自分と比べるのではなく、
向き合い方にフォーカスしてみたら、
きっと学ぶところが見えてくる。

デュアスロンの渦中にそんなことを考えたのでした。

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