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メタバース時代の保育のあり方

2022年8月21日、東京大学で開催された
「あたらしい保育イニシアチブ」というイベントに参加。
まさに、保育の未来を考える刺激溢れるイベントだった。

数々のパネルディスカッションが行われたが、
ぼくも「メタバース時代の保育のあり方」というディスカッションにパネラーとして登壇した。

かなり異色のテーマだったと思う。
登壇者は、
・ジョン・セーヒョンさん(oVice株式会社) 
・吉田和弘さん(Starverse株式会社)
そして、ぼく。

左から、吉田さん、ジョンさん、ぼく

このテーマを聞いて、
「保育とメタバースって、おい。不謹慎な。」
と思った保育関係者は少なくなかったのではないか。
ではそんな不謹慎な?ディスカッションは、どんな内容だったのか?

メタバースとは何か?

そもそもなぜ「不謹慎な」という声が聞こえてきそうと思ったのか?

それには、まず「メタバース」とは何かがカギになる。

メタバースとは、仮想空間のことであり、その仮想空間でさまざまなコミュニケーションが行われることを意味する。
そのコミュニケーションは、ゴーグルをつけて、VR(仮想現実)やAR(拡張現実)に没入して行われる、なんてこともある。

今回の「メタバース時代の保育のあり方」は、まさに仮想空間と保育との関係を論じたのだ。

保育でメタバースを論じるのは不謹慎?

「不謹慎と言われるかも」と思ったのは、保育はこれまで、直接的・具体的な経験を大事にしてきたことが背景にある。

直接的・具体的な経験をベースに、子どもは世界を広げていく。
分かりやすいのは「遊び」だ。
しかもそれは与えられる遊びではなく、自らの内側から湧き出る好奇心に突き動かされた遊びだ。
でないと、主体的になれないし、興味・関心も続かない。

だから、多くの保育者のポリシーとして、保育の場面でテレビやyoutubeは見せない。
平面の画面から一方通行で情報が流れてくるその世界は、直接的でも具体的でもなく、自らの内側から湧き出る好奇心でもないからだ。

しかしこのポリシーが、日本の保育現場で子どもをICTから遠ざけてきた側面もあると思う。
欧米では、園で子どもがICTを活用することは20~30年前から取り組まれてきてきた。
国などの公的機関は、ガイドライン等にその活用方法をしっかりと示している。
(日本でもようやくその機運が高まってきた)

それはさておき日本では、「直接的・具体的な経験こそが大切で、映像・PC・タブレットなどのICTなんて子どもに良くない!」
そういう思いが結構ある(良い悪いは別にして)。

だから、「保育とメタ―バスって不謹慎な」と思う保育関係者もいるのではないかと思ったのだ。

保育とメタバースを語る2つの視点

ただ、この「メタバース時代の保育のあり方」というテーマには、2つの視点があると思う。

一つは「保育にどうメタバースを融合させるのか」というもの。
もう一つは「メタバース時代を生きる子どもたちのために、保育はどうあるべきか」というもの。

今回のディスカッションでは、後者の視点で語ることにした。
つまり、メタバースで生きるにはどのようなチカラが必要となり、そのために保育に何が求められるのか?という視点だ。

なぜならば、メタバース時代はもう来ているし、今後ますます盛んになるからだ。
泣いても笑っても、メタバースはぼくたちの生活に深く入り込むだろう。
教育分野にも当然、メタバースが活用される。
それは悪いことではなく、むしろ教育の可能性を広げると思う。
以下の動画を見ると、教育×メタバースのイメージがつきやすい。

では、このようなメタバース時代に備えて、保育はどうあるべきか。

メタバース時代における保育の役割

ここからが、今回のパネルディスカッションの中核になる。

メタバース時代がくるからこそ、乳幼児期の経験がますます重要になり、保育の果たす役割も大きくなると思っている。

なぜなら、現実空間へのリアリティがあるからこそ、仮想・拡張した世界にリアリティを感じることができるからだ。
つまり、仮想空間は、現実世界へのリアリティがなければ成り立たない。

また、仮想空間なら何しても許されるわけでは決してない。
当然、節度や倫理が求められるし、他者と適切なコミュニケーションを図る必要がある。
そのベースはやはり現実世界にあるのだ。

そしてそれは、直接的・具体的な経験の積み重ねによって育まれる。

モノを叩いたら音が出ると分かってるから、仮想空間でのそれが成り立つ。
友だちとモノの取り合いをして、お互い離そうとしなかったり、泣いたり、笑ったりした経験があるからこそ、仮想空間でもコミュニケーションを図れる。
「ごめんね」と面と向かって伝えるのは、現実世界だからこそハードルが高いし、だからこそプロセスすべてが学びになる。

つまり、これまで保育者が大切にしてきた直接的・具体的な経験に基づく遊びの重要性が、今まで以上に大切になると思っている。

だからといって、直接的・具体的な経験に固執し、子どもたちをICTやメタバースから遠ざけるのは違う。
なぜならば、保育者がいくら阻止しても、各家庭で子どもたちはメタバースに没入し始めるからだ。

スマホやタブレットがいい例だ。
1歳児や2歳児で、YouTubeやゲームをするために、親のスマホを器用に使いこなす姿は結構多い。

だからこそ、遠ざけるのではなく、適度に取り入れながら、リテラシーを育んでいく。
そういった姿勢が大事だと思っている。

メタバース時代だからこそ、保育の重要性が一層増してくる。
保育関係者は声を大にしてそれを叫びまくってもいいように思う。

リアリティというベースのない仮想空間は、成立しないし楽しめないし混乱も起きる。
そのリアリティのベースをつくるのは、他でもない、乳幼児期なのだ。

登壇前のスリーショット


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