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フランス組曲 

フランス組曲 J.S.Bach

この曲集は、バッハがケーテン( ドイツ連邦共和国ザクセン=アンハルト州に属する郡市 )で過ごした1722年から1723年頃に作曲されたと考えられており、イギリス組曲やパルティータと比べ 比較的演奏は容易である。
イギリス組曲が短調作品が多く、演奏も技術が求められ、峻厳な曲想であるのと好一対をなしている。
この時期、バッハは先妻であるマリア・バルバラ・バッハを亡くし、15 歳下のアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚しているが、創作の意欲も衰えがなく、本作をはじめ多くの鍵盤楽器曲が残されている。

*音楽家は旅が多くなるのが普通なのに*

   現代ではフランス組曲と呼ばれている6曲からなる組曲は、実はバッハの命名ではありません。バッハはただ単に「組曲」と記しただけなのですが、明らかにフレンチスタイルの組曲を構成する舞曲、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグといった曲を含めて作られているため、誰からともなくフランススタイルの組曲=フランス組曲と呼ばれるようになってその名が定着したのです。
   音楽は、国境がないといわれますが、むしろ、国境は大いにあります。しかし、それぞれの国独自の良い音楽があるから、国境を越えて愛されるのです。そのことを音楽家たちはよくわかっており、音楽家は比較的旅が多くなります。バッハと同年代のヘンデルは、若いころイタリアに武者修行に行き、ドイツからイギリスに移り最終的には帰化までしてしまいますし、古典派のモーツアルトは人生の3分の1が旅でした。
巨匠ベートーヴェンもドイツ生まれですがウィーンに住んで、頻繁に旅行もしています。
しかし、J.S.バッハは雇い主との関係で、多少居住地を替えましたが、生涯北東ドイツのチューリンゲンやザクセン地方で暮らしました。彼は1度もドイツ国境を越えたことがなく、イタリアにもイギリスにも、そしてもちろんフランスにも足を踏み入れたことがありません。若いころは貧しくて徒歩旅行ぐらいしかできなかったということや、プロになってからは比較的職場に恵まれた、そして子沢山だったというような理由が考えられますが、なぜなのかは、今もって謎です。
   それでも、バッハには、ドイツとは違う、外国の音楽の長所や魅力を重々理解していました。                 
インターネットはもちろん、ファクシミリや電話さえない世の中でしたが、楽譜の流通はヨーロッパ内で成立していたため、バッハは外国の作曲家の作品を自国の先輩たちの作品と合わせて、楽譜を取り寄せて研究することによって勉強してゆきます。自分の中に蓄積したものを、今度は作品として結実させることも怠らず、バッハは一生フランスに行くことはなかったのですが、見事な「フランス風組曲」を成立させます。ちょうどそのころ仕えていたケーテンの領主が音楽好き、器楽好きだったということもあり、バッハはたくさんの器楽曲を作曲することが出来る環境にあったということもありましたが、旺盛な創作意欲で、フランスで盛んだったチェンバロ組曲のスタイルをバッハスタイルで成立させたのです。
   同時代の作品に同じようなスタイルの「イギリス組曲」と呼ばれる組曲もありますが、フランス組曲のほうが、よりシンプルで、繊細な美しさにあふれており、より一層フランス的とされています。《厳格なドイツおやじ》のイメージがあるバッハですが、音楽の興味は、フランス宮廷で流行していた典雅な「クラヴサン(チェンバロのフランス語)文化」まで及んでおり、結果として、これらの素敵な曲を残してくれたのです。ちなみに、組曲の冒頭に置かれる舞曲「アルマンド」はフランス語で「ドイツ風舞曲」という意味であり、ドイツのバッハがドイツで、フレンチスタイルの「ドイツ風舞曲」を作曲していた、と考えると、自国の音楽文化を他国から眺める・・・その音楽的客観性にバッハの凄さを感じてしまいます。


アルマンド                         

フランス語で「ドイツ風」の意です。したがって、ドイツの民族舞踊から発祥したものであろうと考えられていますが、確かな事は分かっていません。16世紀以降にフランスやスペイン、イギリスで知られていた踊りで、一般には男女が列を作って前へ進みながら踊るダンスです。ステップは8分音符に合わせて、「ヒール&トゥ」と左右の足を交互に進ませます。かかとまず床につけて(ヒール)、次に(アンド)つま先をおろす(トゥ)これを1、2と数えて8分音符が2つ分となります。テンポは歩く速さ、すなわちアンダンテです。音楽形式は4/4、あるいは偶数の拍子で、アウフタクトがあります。8分音符の動きはステップにあたり、その対声部は16分音符の動きをするのが特徴です。また、このダンスは6小節か12小節がワンサイクルで、組曲の最初の曲としてよく使われます。ステップにあたる8分音符とその対声部に16分音符がありますが、これがアルマンドの典型です。

クーラント

クーラント(courante)はフランス語で「流れるような」と言う意味の言葉で、例えば「流暢なフランス語」という時もフランス語でfrancais courant(フランセ・クーラント)と言ったりもします。 まさに音楽も流れるように書かれています。           最も早い時期に書かれたクーラントは、1549年、フランスのピエール・ファレーズ(1510年〜1573年)が書いたものとされています。その後フランスやドイツでは踊りを集めた曲(組曲やパルティータなど)では必ずと言ってもいいほどクーラントが書かれるようになりました。流れるような音楽には流れるような高貴な踊り。ルイ14世の時代には大臣を決める時、候補者に踊りを躍らせて、上手に踊れれば「はい、君採用! 」と言うこともありました。特にフランス発祥の クーラントは、高貴で品のある踊りが特徴なのです。               一方イタリアでは、クーラントの代わりにコレンテ(correcte)という踊りが踊られました。こちらも「流れるような」という意味なのですが、フランスのクーラントよりもテンポが速く、そして踊りもジグザグに走るような、フランスのものとはかなり違うものでした。もはや別物となってしまったクーラントとコレンテですが、J.S.バッハはこの2つの踊りを明確に分け、両方とも作曲しました。バロック時代の組曲では一般的にアルマンドとサラバンドの間におかれます。

サラバンド

パルティータなどの組曲の中で、よく登場するサラバンド。宮廷で好んで踊られた踊りの一種で、アルマンド、クーラント、ジグとともに人気を得ました。サラバンドは、3拍子のかなりゆったりした踊りが特徴です。サラバンドという言葉の語源にはいくつかの説があるのですが、その中でも有力な2つをご紹介します。            1つは、スペイン語で夜会、大騒ぎという意味のsaraoと、集団という意味のbandaが組み合わさった「集団で騒ぎ踊る」が語源だという説。もう1つは、中世ヨーロッパにおいて、イスラム人を指す言葉、サラセンからきているという説です。
アメリカ生まれのサラバンド
さて、サラバンドの起源をみてみましょう。なんと、サラバンドが誕生したのは、メキシコをはじめとしたラテン・アメリカだと言われています(当時の綴りはzarabanda)。サラバンドという言葉は、1539年、ペルーの宣教師フェルナンド・グズマン・メヒアが書いた詩の中で、初めて登場します。その後も、多くの資料において、「中米でサラバンド(またはサラバンダ)が踊られていた」という記述が見られます。ここで、こんな疑問が出てくるかと思います。「サラバンドは、アメリカ大陸発祥なのに、なんでイスラム人が語源なの?」ここで、スペインとアメリカ大陸の歴史をおさらいします! スペイン(または現在のスペインがあるイベリア半島)は、711年から1492年まで、イスラム系の王朝によって支配されます。例えば、スペインの有名な観光地であるアルハンブラ宮殿は、イスラム王朝だったナスル朝の首都に建てられたイスラム式の宮殿であるように、現在でもスペインではイスラム文化の名残が垣間見えるのです。その後、1492年にコロンブスがカリブ海の島に到達したことを発端とし、スペインやポルトガルから多くの人がアメリカ大陸に入植します。サラバンドがどのようにイスラム人と関係あるのかは未だ不明ですが、少なくとも、イスラム文化と深く関わりのあるスペイン人がアメリカ大陸に入植した経緯があるのです。当時のサラバンドは、かなりエネルギッシュで速い曲だったようで、同じくラテンアメリカで踊られていたシャコンヌに代わって人気を得て、16世紀末になってからヨーロッパへ伝わります。
サラバンド禁止令とラ・フォリア
しかし、ヨーロッパでのサラバンドは、アメリカ大陸のものとは、少し違うようでした。グルーヴ感のある、速い踊りではなくなり、ゆったりとした、卑猥な踊りとなったのです。次の文は、1596年、スペインの人文科学者アロンソ・ロペス・ピンシアーノ(1547~1627)がサラバンドについて著述したものです。「若い女の子がギターと一緒に踊り歌い、その動きに合わせてサラバンドも激しさを増す……」サラバンドは卑猥な踊りだったのです。そのため、1583年と1614年に「サラバンド禁止令」が出されましたが、この間も、裏社会ではサラバンドが踊り続けられていました。ゆったりとした雰囲気から、段々と狂ったように激しくなるサラバンドって、どんなサラバンドだったのでしょう……?段々と激しくなっていくサラバンドは、15世紀にポルトガルのフォリアという踊りと組み合わさり、その様子を留めています。フォリア(folia)は、スペイン語で「狂気の沙汰」という意味で、英語のfoolとは親戚の言葉です。サラバンド禁止令が解かれ、17世紀にはゆったりとした曲調が人気を得て、特にフランスの宮廷で踊られるようになります。速いサラバンドは、あまり踊られなくなりました。ここでは、ゆったりとした曲調に合わせて、厳かな振り付けで踊られたので、卑猥な要素はなくなりました。のちに宮廷で踊られなくなっても、サラバンドの音楽そのものは多くの作曲家に愛され、芸術作品としてのサラバンドが書かれました。このように、サラバンドは海を渡り、さまざまな変遷をたどってきた踊りだったのです。


ガヴォット

ガヴォットは 4分の4拍子、または2分の2拍子の舞曲で、曲の始まりがアウフタクト(弱起)か小節の途中から始まっているものをいいます。ほとんどのガヴォットは4分音符2拍分を上拍として曲が始まっています。速さは中庸で優雅な雰囲気の作品が多いです。         
フランス語で「gavotte」と表記し、日本の楽譜では「ガヴォット」または「ガボット」と記されています。
14世紀フランスのプロヴァンス地方で農民が踊っていた音楽が元になっているようです。この農民は山岳民族のガボ族で、ガヴォットの名前の由来ともされています。フランスではその後、16世紀末~18世紀に宮廷舞踏の一つとしてガヴォットが取り入れられるようになりました。          
宮廷舞踏で人気になったガヴォットはオペラやバレエ音楽にも使われるようになり、特に鍵盤では組曲に必ずといっていいほど取り入れられる舞曲になっています。
でも、フランス革命を境にガヴォットは流行らなくなってしまいます。 
演奏する時に楽譜をきちんと見て、どこがアウフタクトで、どこが1拍目になるのかを意識してみると、よりガヴォットらしさが出ると思います。
「アマリリス」もガヴォットなのです。

ブーレ

とても軽快な舞曲、ブーレが生まれたのはフランス中部、オーベルニュ地方です。フランス人の間ではふざけあって
「あそこって水と山以外なんかあったっけ?」
と言われるくらい自然が豊かな地域。
有名なミネラルウォーター、“ヴォルヴィック”の採水地はこのオーベルニュであり、
素材を生かした料理がとても美味しい場所です。

ブーレという言葉の由来は大きく分けて2つの説があり、一つはこの地方で古くから話されているオック語で【詰められた小枝の束】を意味するNorrisという言葉です。
2拍子の速い音楽に合わせ、複数人で足技を駆使して踊られる様子が、まとめられた小枝に見えることから、こう呼ばれる様になったと言われています。
そしてもう1つは、手足を素早く動かす動作が鳥が飛び立つ様に見えることから、古フランス語で【羽音を立てて飛び立つ】を意味するburirもしくはbourrir に由来するとも言われています。もともとブーレは土着色の強い踊りでしたが、1565年にオーベルニュの人たちがフランス宮廷で踊ってから、だんだんと宮廷でも踊られる様になりました。

ルール

ルールはフランスのバロックダンスの1形式です。
ルールという言葉には「ゆっくりと荘厳さを保って」という意味がありますが「ゆっくりと」=「ひきずるように」という意味ではありません。また、ルールとは「ルーラー」=「滑走する」という言葉からきています。
ルールのテンポは、スロー、あるいはモデラートで、拍子は8分の6、4分の3、4分6の3種類です。1拍めにアクセントがあり、伝統的なルールでは、先行する弱拍でそれはより強くなります。
舞曲ルールはもともと、劇場用の技巧的な舞踊で、ゆったりとしたテンポながら、大回転や複雑なステップを含んでいました。器楽曲でもその特徴を引き継ぎ、シンコペーション、ヘミオラ、8分の4分音符の弱起パターンなどを使うようになったそうです。この第5番においては、付点音符はしっかりと音をのばして、掛留は表情たっぷりにアクセントをつけるとよきです!時々現れる16分音符の装飾は、後で加えられたものだそうですよ。これらの装飾は、イタリアのアダージョ楽章のようなヴィルトゥオーゾ風の旋律的装飾と全く同じではないですが、
基本の拍を遅延化させないように、滑らかに、流れるように演奏するのがよいそうです!


ジグ

ジグ とは、16世紀イギリスで流行した、8分の6拍子または8分の9拍子のような、複合拍子で書かれたテンポの速い舞曲のことで、イギリスやアイルランドの民俗的な踊りの形式の一つです。         組曲の終楽章の定番曲でもあります。ジグは、ダンスの所作やステップから影響を受けています。ただしバッハの時代には、実際に踊られることはほとんど無くなっていた為、曲の性格や構成を規定する用語のように使われていました。ジーグとも呼ばれますが、これはバロック時代にヨーロッパ各地ではやったフランス語風のつづりに影響されています!また、8分の6拍子のものを「ダブル・ジグ」、8分の9拍子のものを「スリップ・ジグ」と呼び、8分の12拍子のものは、「シングル・ジグ」または「スライド」と呼びます。
ルネサンス期のイギリスでは、4拍子のものもあったり、たくさんバリエーションがあったそうですが、バロック期には、フランス式のジーグとイタリア式のジグに分かれていきました。フランス式はフーガのように一戸部のみで始まり、後半を冒頭旋律の反行形で始めることがよくあります。速いテンポで付点のリズムが多く、複合拍子であることが多いです。また、付点のリズムや対位法的な展開をすることが特徴的ですが、イタリア式はよりテンポが速く8分の6拍子が主流で、8分音符1個のアウフタクトがあります。後半が主題の転回型で始まることも多いですよね。また、ヴァイオリン音楽の影響を受けたためか、非模倣型で複合拍子の速いテンポであることも特徴的。この第5番のジグは、休むことなく動き続ける音楽の中で、独特のリズムを持つ模倣主題は決して見失われることがありません。3声フーガとしては比較的わかりやすい作りで、曲中ほとんど2声のまま進行しますが、最後の方で3声に戻り、最後の和音は5つの音が同時になります。
最大規模で優雅なのフランス組曲の終わりにふさわしい、壮麗で潔くかっこいい終止です。