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母の日に ママの最期の日のこと

母の日。
もう悲しみは癒えたけど必ず思い出すあの日のこと。

私の誕生日に「今年は何もしてあげられないから」とお財布から3万円出してそのままくれたママ。
普段だったらこんなにいいよと返すけど、返したところでもう何かに使うだけの時間と気力がないことを、私もママもわかっていた。
「こんなにー?」と言いながら悲しさが漂わないようにさりげなく受け取って笑顔で別れた。

翌朝、お父さんからの電話で起きた。
昨日の夜遅くママが吐血して病院に行って今輸血をしてると。
輸血って聞いた瞬間、もうダメかもしれないと覚悟した。病院に行く用意をすると同時に妹に電話をかける。「お姉ちゃん?何?」いつもの明るい声がした。涙がドバッと出そうでしばらく言葉が出なかった。「今すぐママの病院に来て、すぐには帰れないと思う、気をしっかり持って落ち着いて来て。」
それしか言わなかったけど、妹の返事も涙声ですぐに電話を切った。

病院に着いた頃には、モルヒネを投与されていて痛みに耐えながらも意識があるのかないのかわからない状態だった。もう見てられなくて逃げ出したい気持ちを堪えながらずっとそばにいた。どうしてあげる事もできない、声をかけても届かない、何もできないのに今死にゆくママを見てるしかないのがこの上なく辛かった。曖昧な意識の中で、最後に「お姉ちゃん」って言ってママは死んだ。私は手を握ってた。みんな泣いてた。「楽になってよかったね」その時は本当にそう思ったの。涙は全然出なかった、あまりに悲惨すぎて…悲しいって枠には収まりきらないくらい現実でこんな悲しい出来事、信じられなかった。

弟と妹のお母さんにならなきゃと思い涙が出なかったあの日。悲しみしかなかったあの日。現実だとは思えなかったあの日。ママは何を思って死んでいったのかな、幸せな人生だったかな、あんまり親孝行できなくてごめんね、もう聞こえないし答えを聞くことはできないのに聞きたいことだけが頭の中に浮かんでくる。

ママが私を産んだ意味はあの日にあったのだと思う。
あの日、私がしていたことは、小さい頃ママが私にしてくれていた事。
夜なかなか寝ない子だった私が「ママ」と言うと必ず手を握ってくれた。

わがままでぶっ飛んでいる私を育ててくれてありがとう。学校から何回も呼び出しをくらうような私なのに兄弟の中でいちばん信頼してくれて、いつも味方になってくれた。料理は本当に美味しかったし、私が弾くピアノが好きだと言ってくれた。嫌なことがあった日もママの顔を見ると全部忘れて楽しい時間だけがそこにあった。

私も母親になり、子どもに同じように接してる。
母であることはどういうことか、ママの一生をもって学んだんだと思う。
一緒に過ごせた時間は短かったけどたくさんのことを教えてくれてありがとう。
楽しくて幸せな親子の時間をありがとう。
私も、強く優しく和やかな母であるよう一日一日を大切に最後まで生き抜こうと思う。
大袈裟かもしれないけど。

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