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ポメラ日記67日目 お金にならなくても書きたい文章がある

 久々に雑記。日頃のもの書きで思うことがあったのでちょっと書いておこうかなと。

 このところ、ブログの更新はお休みしていた。その間、何をやっていたかというと原稿の続きを書いていた。

 僕は、普段はライティングの仕事でお金を貰って書いている。といっても、そんな大層なものではなく、何とかぎりぎり一人なら暮らしていけるか、くらいの収入しかない。

 僕がほんとうに書きたいのは小説や文学関係のことだけれど、仕事のときは一旦、封印する。

 記事を読む人が、役に立つことや欲しいと思っている言葉を考えて(というか、予想して)書く。

 だいたい、一日で5時間くらいぶっつづけで、週5、6日のペースでライティングに取り組んでいる。仕事だから、専門外の分野の資料も読み込んだりする。

 その作業が終わってから、こうしてポメラ日記を更新したり、文学ブログ『もの書き暮らし』の記事を作ったりするわけだけど、何となく自分の「書きたい気持ち」を磨り減らしている感覚があった。

 いまのライターの職場は、去年の夏くらいに入って、もう大体の型はできた(50記事以上は納品した)ので、記事の書き方で悩むことは少なくなったんだけど、毎日の作業をこなしているだけになってしまって、「あれ、ほんとうは何を書きたかったんだっけ?」ということがふと頭をよぎるようになった。

 もちろん在宅でできる仕事としては申し分がないので、会社に対しては「こんな自分みたいなへんなやつを拾ってくれてありがとう」という感謝の気持ちしかない。

 ただ、それとはべつに「そもそもお前は何を書きたかったのか問題」が、僕のなかで少しずつ膨らんでいった。

 解決策は簡単で、「仕事以外の時間は、好きなときに好きな文章を書いていい」ことにした。

 ここで言う「好きな文章」とは、もちろん小説を書くことでもあるし、ポメラ日記を好きなように綴ることでもあるし、文学ブログ『もの書き暮らし』の記事を書くことでもある。

 もちろん収入面のことを考えると、業務時間外に副業としてフリーランスのライターをやったり、WordPressブログの投稿頻度をもっと上げていった方がいいのは分かっているのだけど、それをやり続けていくと「そもそもお前は何を書きたかったのか問題」が発生する。

 自分の気持ちを無視して、書きたいことを書かずに、書かなければいけないことだけを書き続けていると、言葉そのものが磨り減っていく気がするのだ。

 すると、「いまここで書きたい」というタイミングで、言葉が出てこなくなる。気まぐれな猫みたいに、どこかに引っ込んでしまう。

 いちばん守ってやらなくちゃいけないのは自分の「書きたいと思う気持ち」で、それが途絶えないかぎりは、誰だって文章を書くことができる。

 僕も、いつもいつも「小説が書きたい」と思っているわけじゃなくて、こうしてポメラ日記で考えたことをまとめたり、たまにはハマっている音楽やゲームの話をしたいときもある。

 文学ブログ『もの書き暮らし』で「執筆に役立つハック」を紹介したいときもあるし、収入を優先してクラウドソーシングで仕事をするときもあるかもしれない。

 あるいは、何にもせずにぼーっとしたいときもあるし、河原を一人で歩いたり走ったりしたい日もある。書きたくないときは、無理に書かなくてもいい。それも書くための準備だと思うから。

 小説であれ、ブログであれ、ライティングであれ、たとえどんな文章を書くことになっても、書くときには自分のすべての経験が使える。

 むしろ、書かないときに経験していたことの方が、文章を書くときには役立つかもしれない。

 「最低限の収入を得る仕事が終わったら、あとは書きたいときに好きな文章を書くだけ」ってシンプルに考えるのが性に合っていた。

 僕が望んでいた生活はそれで叶うのだと思う。あとのものはみんないらない。

 2024/03/28 16:20

 kazuma 

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