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「ポメラ日記30日目(2023年にやってみたいことリスト―ゆるい編―)」

 どうも、もの書きのkazumaです(@kazumawords)。何だか最近、生きていてもべつに面白くもなんともないなーと思っていて(僕にとってはいつものことです)。どうしてかなと考えたら、したいことをちっともしていないからだ、という当たり前の事実に行き当たりました。

 なので、今回はちょっと脱力して、2023年にしたいことリストのゆるい編をつくってみようかなと。前回の文学編は書いている内に段々とゆずれない部分が自然と出てきてしまったので、今回はもし日常で叶ったらいいよね、ということを書いていきます。


①今年の秋くらいにそろそろ家を出たい


 僕はいまのところ、訳あって実家で暮らしているのですが、シンプルにもう家を出たいなと。これまでに何度か一人暮らしをしているのですが、いつも不可抗力の出来事に巻き込まれてアパートから出て行く羽目になったりします。

 とはいえ、実家が住みやすいかと言われると全然そんなことはなく、あんまりひとに話せない事情で、昔から家の中はけっこうややこしいことになっています。去年はたまたま葬式があって、普段は会わない親族と会う機会がありました。実家にいる、と話しただけでかなり白い目で見られることになり、葬式の席で僕は本来その場にいてはいけない人間として扱われたので、だったらもう僕がいなくなればいいやと思いました。

 それでライターで得た収入をこつこつと貯めていて、今年の秋くらいになればとりあえず半年分の家賃くらいは目処が立ちそうなので、これでいつかさよならをしようかと思っています。普通の賃貸アパートを借りるのは難しいと判断したので、行き先はたぶんグループホームになると思います。

 この年でグループホームに入るのかと思わないわけではないですが、色んな事情を勘案した結果、これが一番うまくいく形だろうと思いました。僕は最初から訳アリの人間として育ったので、家から出られるだけでも御の字だと思っています。

 ポメラとノートと万年筆だけ持って行けば、どこでも創作はできるし、ノートPCとWi-Fiがあればライターの作業はできるので、そんなに困るわけでもないなと思います。

 ゆるいことを書くつもりが一番ヘビーになりました。でも僕にとっては小さな希望にもなっているので、何とか秋までは生存してやろうと思っています。

②小説がすべてだ、と思わないようにしたい


 これはしたいことリストというより、しないことリストに入ります。僕は大学を卒業したあと、一般的な就職はしませんでした。何をばかなことを言っているんだと言われそうですが、当時は作家になるんだろうとわけもなく信じていたんです。フリーターとして働きながら、余った時間はみんなものを書くために使おうと思っていました。僕が目指したのは純文学です。五大文芸誌の公募に出していました。

 純文学の公募というのは約一千から二千の応募作が集まります。毎年受賞して選考を通過するのはたったひとりです。応募する前は自分がどれだけ無謀なことをやっているのか、分かっていませんでした。最初の一年、二年は、たまたま今回は受からなかっただけだ、まだ若いし何回でもチャンスはある。そんな風に楽観的に見ていました。でも、やればやるほど段々分かってくるんです。落ちているのは単純に運が悪いからではなく、自分に実力がないからだということが。

 二十の時から七年間、応募し続けました。二百枚、三百枚の原稿を書いたこともありますが、結局、僕は長編をものにすることができませんでした。Twitterやブログが縁で原稿を読んで貰って感想をときどき貰ったりするのが救いでした。でも、それ以外にはほんとうになかったんです。地方文学賞の一次選考を通過するくらいが関の山でした。僕はこれまでに十年間、小説を書き続けましたが、公に自分が書いたものが認められたことはありません。報われたことはなかったですね。それだけのものを書けていないのだから、当然の結果なのですが。

 加えて純文学志向のアマチュアの作品には、あまり居場所というものがありません。そもそも文芸誌に載ったものだけが純文学と呼ばれるので、僕みたいなアマチュアが書いているものは純文学とは呼ばないのが通例です。それでただの小説を書いています、ということにしています。

 エンターテインメント作品であれば、皆に楽しんで貰えるものを作るということが前提にあるので、アマチュアの作品であってもネット上にはある程度の需要があります。小説の投稿サイトを一通り見て貰えればすぐにわかりますが、純文学のようなものを目指して書かれた作品は、どこにも取り上げられず、ネットの片隅に追いやられていきます。賞や誰かの推薦もない、どこの誰が書いたのかも分からない名無しの権兵衛の文章は、そもそも最初から誰にも興味を持って貰えないからです。もしきちんとした作品が書けているなら、文学賞のふるいに掛けられて落ちるはずがないだろう、と普通の読者なら考えます。純文学が読みたいなら素直に本屋に行って芥川賞の帯が付いたものを読むわ、と言っていたひともいました。それが一般の感覚です。

 でも僕は二千も応募して、一人だけが受かって、受からなかった一九九九人は、いったいどこへ行ったのだろうかと思います。もちろん強者の論理で言えば、作品としてなってないから残りはぜんぶゴミ箱行き、ということで話は終わりですが、それにしても厳しすぎやしないかと思うわけです。べつに賞に受かっても、受からなくても、小説を書くことを楽しんで生きていくことはできないのか、在野の研究者みたいに、べつの仕事をしながら、ライフワークとして書き続ける道があってもいいんじゃないかと思ったりするんですね。

 昔の僕は二千分の一の作家になれると信じていました。でもいまの僕にはそういう作家になれないことは身にしみて分かっています。僕が残せるものは言葉しかないと思っていますが、一生を掛けて僕みたいなやつがものを書いたって、僕が死んだ翌日にはよくわからないみみずみたいな文字で書かれたノートの束だけが残って、何の日の目も見ないまま特殊清掃業者が来て、そのまま回転式プレス板にでも突っ込まれて、焼却場で消し炭になるんだろうと思います。あとはもう誰も僕のことなんて思い出さないし、人間の魂一個分の質量が地球からなくなるだけです。それでもいいから、生きている内に何かものを書いてみたいんだって思うわけです。

 もしほんとうに僕にものを書く才能があったら、小説だけを信じて見ていればよかったのかもしれません。僕の人生は小説がすべてだといって生きていくこともできたでしょう。でも、皆がみんな、そういう道を歩けるわけではありません。

 ちょっと前に、漱石の『門』を読んでいるところをひとに見られたことがあります。内容を聞かれたのですが、僕はうまく答えられませんでした。小説を十年やったつもりの人間が、その本を知らないひとに、何にも説明してあげられないんです。それから話題が移って本とはまったく関係のない話題になると、僕はよくしゃべりました。僕はちっとも小説についてよくわかっていないし、何を書いても下手くそです。小説がすべてだと言い切れる人間にはとてもなれません。小説は好きだけれど、好きだからといって書けるかどうかは、まったくのべつ問題です。僕が本から顔を上げて、小説とは違う話をしていたとき、僕の世界は小説だけでできていたわけではなかったんだと思いました。いや、そんなことは当たり前のことなのですが、でも自分にとってはちょっとした発見でした。何というか眼鏡のレンズが落ちたみたいな感じです。

 何が言いたいのかというと、そうやって僕みたいなやつが十年間を次から次へと棒に振っても、残りの一九九九人の人生は続くと言うことです。作家としての人生は賞に受かった、たったひとりだけが針を前に進めているように見えるかもしれませんが、生身の人間としての時間は同じだけ流れているんです。二十の頃のように小説がすべてだと、胸を張って言えなくなってしまっても、それで人生が終わりになってしまったわけではなくて、僕は僕で小説がすべてではない人生を生きていかなくてはならないのだろうと思ったのです。

 僕は作家ではなくライターになりました。細々とした暮らしを続けながら、それでも小説を書く楽しみや本を読み解く面白さを見つけていたいので、これからもkazumawords.comのブログやnoteで作品を投稿したり、もの書きの話を続けようと思います。死ぬまで小説の話ができたら、それだけでもう十分じゃないかと思っています。

③もうすこしゆるくひとを頼れるようになりたい



 これは僕自身の性格の話ですね。何となく自分ひとりでできないんだったら身を滅ぼしてもいいや、みたいなスタンスでやってきたので、行き詰まったときに頭を下げてでも頼るということがなかなかできないなと思っていました。基本的に何だって個人プレーでやってしまおうとするし、スタンドプレーをさせて貰えないなら帰りますっていうけっこう極端なところがあります。

 僕に出来る事なんてもちろん大したことはないのですが、仕事でも何でも間に誰かを挟むっていうのがけっこう苦痛に感じることがあって、自分ひとりである程度完結できるライターやブログの作業は向いているなと思っていました。それで都合が付けられるうちはいいんですが、私生活になるとまるで駄目で、僕みたいなやつは次から次へと友達をなくすよなとちょっと他人事みたいに思っていたりします。

 どこへ行って、誰と喋っていても、何となく味方ではないという感覚がするし、よほど性格が合わないと打ち解けるということをしません。しないというか、たぶん子どもの頃からの習性が抜けなくて、できないんですね。自分でもこんなにめんどくさいやつがいたのかという感じです。

 なので、今年はもうちょっと警戒心を解いて、リアルでもひとに頼れるようになったらいいなと思います。文学フリマとかに穏便に出られるような人間だったらいいんですが、なかなか難しそうです。

 なんかまた全然ゆるくない話をして、タイトル詐欺みたいになりましたが、今日はこれで。

 2023/01/27 20:45

 kazuma

もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。