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日報とカレーと依存の話

TwitterのDMで日報を送ってくれる就活生が何人かいる。折り目正しく毎日送ってくれる人もいたが、大半は何かふと思いついた拍子に書き留めたようなメモを送ってくれる人、一方的に伝えたいことが今日はたまたまあったのだなと推察される人、数日猛烈に長いテキストを送ってきたかと思うとパタリと止む人、など。自分はそんな人たちの、瞬間的な壁打ち相手として機能しているらしかった。
そういう機能がある人間として使ってもらえることを喜ばしく思っている。自己肯定感がそれほど高いわけじゃない自分でも、そこは「なんかいいじゃん」と褒めてやりたくなる部分である。
今日たまたま、就活をしている学生から2通と、この春に社会人になった元学生から1通の日報が来た。1通は自分に発破をかけるような文章、1通は豆腐屋の豆腐が美味しかったという話、1通は既に会社が少し辛いけどそういうものですよねきっと、返事はいらないというメッセージだった。


カレーを作らないと生きていけない時期があった。
大学に行けず、バイトもバックれてクビになり、唯一の居所だったサークルのともだちとも喧嘩をしてしまった時期だった。挙句付き合っていた人と別れてしまったことが決め手となり、半引きこもりのような生活になった。
そういう中で、ふらりと何の気なしに入った店で食べたカレーに虜になった。虜になるというのはこういうことを言うのだな、と思うくらいの衝撃だった。美味しかったし、何故か食べていて涙が出そうになる味だった。暇だったからであろう、それを食べに毎日そのお店に行くというような形ではなく、自分も自分が理想とするカレーをこの手で作りたいという謎のスイッチが入った。
高い寸胴を買った。食材を細かく砕くミキサーやスパイスをすり潰すすり鉢も。朝に肉をスパイスに漬け込んでから布団に入り、深夜になってから煮込み出す。そういう日々が、再び学校に行き始めるには気まずいくらいは簡単に過ぎ、半期留年なんかでは取り返しがつかないくらいの時間続いた。
親にも怒られたしひどい生活だった。あまり思い出したくない。が、あのカレーにしがみついていた時間は必要だったなと思う。カレーの腕前は当然上がった。


ところでしかし、依存先は多い方が良い。多ければ多いほど、それはつまり依存という状態からは相反していくことになるからだ。
「自分に依存してしまう」という状態もあるのだろうなと就活生を見ていて思う。周りからやれ自己分析だやりたいことはなんだと詰め寄られていれば、自分がカレーばかり煮込んでいた時と同じように(?)、自分を煮詰めすぎてアタマがヘンになってしまうこともあるのだろうと想像する。就活生と関わる仕事を長く続けて実感していることだが、自分を自分らしくあらしめるために必要なことは、自分のことを徹底的に見つめることではないような気がしている。
そういう時に、誰かに読まれるかもしれないしやっぱり送らないかもしれない、行き先も落ちも決めずに取り止めのない文章を書き出すということは、割と妥当な自己治癒的な行為なのではないかと思う。そう、このテキストも半分そうだし。もしよかったら日報を送ってください。返事は多分しないです。



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