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面白いストーリーの作り方とweb小説の攻略法

 現在、小説家になるためにはwebで人気になるのが最も簡単な方法である。
 時間がかかるうえに審査がブラックボックス化している新人賞は現実的でないし、企画を出版社に持ち込むというのも自費出版を進められて終わりだろう。
 そもそも誰にも嫌われない作品であることを重視する新人賞は受賞したところで売れないことも多々あって、そのハードルの高さに見合ったメリットはない。

 そこでwebではどうしたら人気になれるのかを解説したい。
 また、読者を引き込むことができるストーリーについても、まだ解説されているのを見たことがないので追加で解説していきたい。

 ヒット作は必ずと言っていいほど特定のストーリーパターンを持っている。
 これは漫画であれ小説であれ、あらゆるエンターテインメントにおいて役に立つストーリー創作の基本である。
 三幕構成のような面倒な型ではなく、もっと本質的なストーリーの面白さについての解説となる。

 そしてあらゆるコンテンツにおいてキャラクターが重要と言われるが、どうして重要なのか、何が重要なのか、どうやってキャラを立てればいいのかを解説したい。
 読者が何に注目しているのかを知らなければキャラクターの重要性はわからないし、キャラクターの立て方を知らなければ魅力的なキャラクターは作れない。
 本稿はあらゆる創作において役に立つことを目指して書かれている。


web小説では今までの小説の書き方は通用しない。

 今まで出版されてきた紙の本の小説とwebにおける小説はまったくの別物である。
 なぜかといえば、それは読まれている環境が全く異なるからだ。
 web小説の世界ではすべての小説が横並びに存在し、読者はいつでもほかの小説へと移動できてしまうような環境にある。

 基本的には一冊しか手元にない状態で読む紙の本とは違って、web小説では読者が少しの我慢もしてくれずにほかの小説へと移ってしまう。
 紙の本のように、とりあえず買ったからには最後まで読んで評価しようなんて意識はwebの読者には微塵もない。
 ちょっとでもつまらないと感じればすぐにどこかへと行ってしまうだろう。

 少しでも読み手に我慢を強いるような展開に出くわしたなら、読者はブラウザバックのボタンを押すことにためらいはしない。
 何かしらの我慢とは、話が進まない、説明が多すぎる、退屈なシーンが長いなどのことであり、これらの展開を回避するように書かなければ、多くの読者に読んでもらうことはおろか、最後まで読んでもらうことさえないのである。

 紙の本では許されてきたことがwebという媒体になったとたんに許されなくなるのだ。
 だからこそ基本的にweb小説というのは離脱率との戦いになる。
 最初から面白くなければ、それ以降がどんなに面白くとも意味がないし、素早く読者の興味をひかなければ読み進めてももらえない。
 逆に言えば読み進めてもらうことだけが目的になってしまっているとも言える。

 当然ながら物語はその過程が面白くなければならないし、物語のオチがすごいかどうかなんて話は誰も気にしていない。
 そして連載形式なこともあってか複雑な話にも実績がない。
 シンプルかつ最初から面白いことがweb小説において何よりも重要となる。
 そのような小説を書くには三幕構成のような脚本力よりも、もっと具体的に小説の面白さとは何なのかということと向き合っていく必要がある。

 読者が面白いかどうかを判断するのは通常1ページにも満たないような文章量である。
 面白さへの本質的な理解がないと、それだけの分量で読ませる文章なんて書きようがない。
 もっと言えばタイトルだけで読者を獲得し、冒頭の数行だけで面白いと読者に印象付けられなければ、その時点で失敗作となってしまうのがweb小説である。

 この本がおもしろかったから同じ作家の本をもう一冊読んでみようとなる紙の本とは違い、web小説ではそのような動線すら存在していない。
 最初の一文から常にその作品の本文のみで勝負し、読者が退屈しないよう、読者が興味を持っている流れを切らないよう、常に細心の注意を払い続けて書く必要がある。

 特に文章については、今までの小説のように慣れるまでに時間がかかる小説らしい文章ではなく、より簡潔で明瞭な文章でなければwebの読者は読むことができない。
 経験があればわかると思うが、小説らしい文章というのは慣れるまでにそれなりの時間を要するものなのだ。
 経験から言って、web小説の読者は紙の本を読んできた経験のない人が大半だ。

 なので、しっかりとした小説らしい文章が書ける作家ほど、それだけで読者を逃してしまう理不尽な状況も生まれてしまっている。
 それはつまり文章力がある人や紙の本が好きで作家になりたいという人は、特に罠にはまりやすい環境にあると言えるのだ。
 出版社が抱えているような人気作家といえどもそれは同じことで、webで連載して通用するかといえばまずもって通用しない。

 人気の小説家にwebで連載をしてもらおうという出版社の企画は何度も見てきたが、それらが成功した例はいまだ見たことがない。
 それは勝負のルールが全く違うからこそ起こってしまうことなのである。
 webという媒体に特化したライバルたちが日々読者にどう合わせるかとテクニックを磨いている中ではその知名度さえも意味がない。

 いかに人気作家といえどもそれを知らずに勝てるわけがないのである。
 だからこそweb小説の作者は紙の本を真似て小説を書くのではなく、全く新しい小説の形と向き合わなければならなくなっているのである。

web小説におけるタイトルの役割

 まずはタイトルからしてweb小説ではその役割が決定的に違う。
 一冊の本がタイトルも含めて一つの「作品」となる紙の本とは違い、web小説ではどんな小説なのかをアピールするための場所がタイトルなのである。
 紙の本を真似てしまった段階でかなりのハンデを背負わされてしまう。

 むしろ作品の一部なんて意識があると、なんの役にも立たない戯言をwebの片隅に並べて終わりという結果にしかならない。
 思い起こしてほしい、読む前の段階における小説のタイトルなど意味不明な文字列以外の何ものでもないのではないだろうか。

 webの読者はタイトルだけを見て読むかどうか決めているので、そこで意味不明な文字列を見せることに何らかの意義などありはしない。
 むしろ読み手を遠ざけてしまうだけの結果になるのは明らかだ。
 ここまでくるともう明確に紙の本とは違うという意識を持つことができかどうかが読んでもらう上で大切になってくるのがわかるだろう。

 紙の本を真似てタイトルまでが作品であると、そこにどんな思いを込めたところで、意味不明の文字列では読んでもらうことに何ら加味しないのである。
 しかも結末すらなく、ほぼ無限に更新し続けることを求められるweb小説においてはそもそも書き始めの時点でタイトルをつけること自体が不自然という見方もできる。

 ましてや自分が好きなジャンルの小説を探している読者の助けにもならないし、期待していないような内容を読まされて時間を無駄にしたくないという読者ニーズともずれる。
 どんな内容か知りたければあらすじまで読めと言いたくなるだろうが、webの読者は本当にあらすじを読まないのである。
 そんな考えでいては読者を呼び込むのは不可能ということになる。

 特に周りのライバルたちが、その効果を真剣に検討し、読者を呼び込むのに効果ある形をつねに探っている場では勝負の土俵にすら立てていない。
 年間に数十万作という小説が投稿され、タイトルだけで吟味される場において、読者を呼び込むにはその役割を正確に理解しておく必要がある。

 純粋にどんな話なのかもったいぶらず簡潔に伝えることこそが、web小説におけるタイトルにとっての唯一として最大の役割である。
 さらに言えば、PCやスマホの画面でクリックもしくはタップしてもらうための、それ自体が作品への入り口となっている。

 そんな入り口が狭かったりして客を逃がしてしまえば、最終的にどれほどの差がつくのかを考えてみてほしい。
 web読者もあらすじは読んでくれないが、それがタイトルであればどんなに長くとも読んでくれる傾向にある。
 であれば、それを活かし作品の売りをアピールしてしまうべきである。

 短いタイトルでは、その作品が興味のある内容なのかどうなのかもわからないし、ライバルたちが興味を引こうと努力している場ではただの背景になってしまいがちだ。
 そうならないためにもタイトルの時点で読者の興味を引いて、それがどんな話なのかをもったいぶらずに伝えることこそが重要になってくる。

 せっかく面白い内容を書いたとしても、クリックされなければどんなに評価率が高かろうともランキングに上ることは不可能である。
 いくらなんでもそんなところで失敗していてはもったいないだろう。
 もっとわかりやすくするために例を挙げてみる。

 中島らもの小説「ガダラの豚」のタイトルをweb小説風にするなら、
 「アル中の科学者が奇術師と新興宗教にはまった妻を取り戻そうとする話」となる。
 これならばどんな話かもわかるし「そんな話が読んでみたかった」とクリックしてくれる人も現れるだろう。

 それと同じように貴志祐介の「蒼い炎」であれば、
 「家族を守るために義理の親父を殺さなければならなくなったから完全犯罪で実行してみようと思う」とすれば、より具体的な面白さが読者に伝わるはずである。

 もはやタイトルを短くするメリットなど存在しないのだ。
 ラーメン屋ののれんにキャベツと書いても、お腹をすかせた人すら入ってこないのと同じである。
 食べ終わった後、もしくは最中に確かにキャベツだと感動させても意味はない。
 それよりも具体的に次郎系のラーメンでテレビに紹介されたことがあるとでも書いたほうがよっぽど集客になる。

 だからwebでは紙の本の真似をして短いタイトルをつけてしまえば、もうそれだけで作品を殺してしまう危険性をはらんでいる。
 紙の本のタイトルは作品の顔であり作品の一部であるが、web小説におけるタイトルとは「入り口の看板」のことなのである。

 よく知らない素人の描いた小説を読んでもらうためのハードルは果てしなく高く、その第一歩目がタイトルをクリックしてもらうことになる。
 そのハードルを超えさせるだけの入りやすさと、興味を引くコピーライティング技術が必要になるのだ。

 さすがに100文字を超えるようなタイトルとなると、恥ずかしくてそこまではできないと思うかもしれないが、タップの当たり判定を広くしようとしている人は実際に多い。
 そこまでしてしまうと自分の作品を汚しているだけではないかとも言いたくなるが、所詮は目立ったもの勝ちの世界である。

 格式の高そうなタイトルでは読者が寄り付かないので、格式がないくらいにまで自分の作品に泥を塗ってしまった方が、逆に入りやすさが演出されて結果は出しやすい。
 とっつきにくさを取り払う意味でもそのくらいのほうが良いのだ。

 実際に短いタイトルで人気になれば読者からは褒められもする。
 しかしそんなのは作者の苦労を知らない他者からの無責任な方言でしかない。
 自分が見てきた限り、短いタイトルで人気になった作品はどこかタイトル以外のところでレビューをもらったとか、誰かが紹介してくれたといったような外部的要因によって人気になった場合がほとんどである。

 web小説は長いタイトルばかりだと批判されてる、とかいう理由で短いタイトルをつけた日には、それだけで人気作になれる可能性を自ら潰してしまうことになる。
 小説を一本書き上げるとなれば、それには長い月日がかかるものだ。
 つまらない他人の言葉やプライドに振り回されて数年を無駄にするというようことがないように、皆さんにはどうか先人たちの失敗から学びを得てもらいたい。

どうやって読者を呼び込むのか

 まず読者とは、いったいどこからやってくるのかを考えなければならない。
 どのweb小説サイトでも新話の投稿された小説は、更新された小説一覧としてトップページに表示される。
 自明なことだが、はっきり言って最初はそれしかない。
 もしそこから読者を呼び込めなければ永久に読者は現れないのである。

 読者は更新された小説欄、もしくはランキングからしかやってこない。
 そして大半の読者はランキングを上から順に読んでいって、おおよそ一けた台の小説を読み終わったところで満足してブラウザを閉じてしまう人がほとんどだろう。
 それは獲得しているポイントを見ても一目瞭然である。

 だからこそ新着欄から得た読者からのポイントのみで、まずはランキングの下位に乗らなければならないし、そこからランキングをのし上がっていかなければならない。
 その高いハードルをクリアするためにも出し惜しみをしている余裕などないのだ。
 最初から全力で自分の作品の売りをアピールすることが重要である。

 そのためにはタイトルが思わせぶりであったり、重苦しそうな雰囲気を出していたり、どこが面白そうなのか明確でなかったりしたら論外となる。
 重要なのは、どんな話なのか、どんな需要を満たすのか、期待を持って読めるのかを読者候補に理解してもらい、「ちょっと読んでみようか」と思わせることである。

 ラブコメにおいてはタイトルの時点でどんな憧れの存在と付き合えるのかを示すことが大事だとまで言われている。
 そのくらい直接的に作品の売りをアピールしていかなくてはならない。
 出会いのシーンくらいは作中でやりたいなどともったいぶったことを言っていては、もはや読者は獲得できないのである。

 一番美味しいところは、あえてタイトルに入れてしまうのが重要である。
 タイトルを読んだだけで内容を読む必要がないと言われるくらいにはweb小説におけるタイトルの重要性は日々上がっている。
 一昔前ならそれほどのことはなかったが、特に最近になってはその傾向が強まった。

 そこからさらに話を進めて、訴求力のあるタイトルとはどんなものであるかを考えたい。
 ひとつ有益だと思えるものに、どこかで聞いたことのあるフレーズは有利になりやすい傾向があるように思う。
 すでにその言葉自体にイメージがついているようなワードを選ぶということだ。

 結局のところ選挙などでも知名度がモノを言うように、どこかで聞いたことのあるフレーズには入り込みやすさと信頼感のようなものがある。
 それをうまく利用してタイトルに組み込むことが読者獲得につながる。

 手垢のついた言葉だと逆に人を遠ざけそうなものだが、あきらかにクリックされる回数が多くなるのは間違いない。
 ツイッターなどでバズったワードなどはチェックしてみてもいいかもしれない。
 恥ずかしがらずに刺激的な言葉を使うのも有効になるだろう。

本文の書き出し

 タイトルの次に重要なのは、当然ながら本文の書き出しである。
 小説の書き出しにおいて今までは、小説全体を象徴していて興味を引けるようになっているものが理想であると言われていた。
 しかし、これもweb小説においてはありがちな失敗例となる可能性を秘めている。

 webで小説を探す読者というのは気楽に読めて面白い話というものを探してるので、小説としての体裁をとっているようなものはまず好まれない傾向にある。
 紙の本の読者とは違って(実際にはそう違わないかもしれないが)web読者は忙しい日常の合間を縫って、ファストかつイージーに消費できる物語を求めているのだ。

 だから雰囲気を出すために思せぶりなシーンを入れるとか、いわゆるホットスタートとして時間を巻き戻して一番盛り上がる場面から物語をスタートさせるというのは、もはや最悪に近い悪手である。
 何よりもまず複雑にしてしまうことを一番に避けなければならない。
 一昔前ならそれでも許されたかもしれないが、最近ではまったく通用しない。

 気楽な流し読みでも理解できるシンプルさと簡易さが必要なのだ。
 もしもめんどくさそうな雰囲気を少しでも感じ取ったらなら、その瞬間にほとんどの読者は逃げだしてしまうだろう。
 現にそのような小説は本当に読まれない。
 どれだけ早く世界観や舞台を理解させてストーリーに没入させるかの勝負となる。

 そこで重要なのが、ランキング上位にある小説と同じようでいてちょっとだけ違う話を書くということである。
 もちろんこれは書き出しに限った話で、内容をそのままパクれと言っているわけではない。
 いわゆるテンプレというやつで、世界観や設定をほかの小説と勝手に共有してしまうことで読者の負担をやわらげ、ストーリーだけを追えるようにしてやることが重要なのだ。

 そうするだけで読者の一番嫌がる細かい説明を抜きにして、いきなりストーリーを書きだすことができるというやり方である。
 そこで同じにするのは世界観だけであり、内容自体は違ったものにしなければならない。
 そうすれば導入部の一番大変な引き込みの部分で、読者の負担を大幅にやわらげつつ、本筋のストーリーへとつなげることができる。

 web小説のランキングを見れば、大体がどれもが似通ったような世界観で、似通ったような筋道の話が並んでいることに気づくはずである。
 ある程度の設定をほかの小説と勝手に共有しているので、それらに関する説明は不要というやつだ。
 読者は必ずランキング上位のほかの小説も読んでいるはずだから、あえて自分の小説の中で世界観から説明する必要もないとしているのである。

 実際にこのやり方が一番合理的なのだ。
 読者にとって興味のない部分を読んでもらうのは難しいし、そこで失敗してしまうとやはり小説自体が死んでしまう。
 そこをスキップできるというだけでどれほどメリットのある話か分かるだろう。

 街並みなども、中世ヨーロッパ風とするだけでいい。
 これがいわゆるナーロッパと呼ばれる世界観で、それだけの説明で読者は国産RPGのようなゲーム的ファンタジー世界を思い浮かべてくれる。
 ここでは汚らしく糞尿にまみれて病気が蔓延していた中世ヨーロッパは関係ない。

 あくまでゲーム的なきれいで整った世界のことである。
 もし、それ以上のことを書いて独自の世界感を作ろうなんて試みても、そんな説明だけの文章を長々と読んでくれる読者は存在しない。
 やるにしてもナーロッパに多少の設定を足すくらいにしておくのが無難だろう。

 読者はあくまでもストーリーを気楽に消費したいのであって、文字で世界観を説明された日には、それがどんなに目新しかろうとも逃げ出してしまうこと請け合いなのである。
 世界観や設定などは同じで、ストーリーだけがちょっと違った話が求められているのだ。

まずはランキングを読もう

 まずはランキングを読もう。
 web小説はバズの世界であり、読者の需要を把握することがすべてとなっている。
 読者がどのような物語を必要としているのか知らずに読まれる作品を書くことはできないし、特定のキーワードを知らなければ作品を見つけてもらうことすら期待できない。
 なにが流行っていて、どんな作品が求められているのかをまず知らなければならない。
 そして読む側になることで読者の気持ちを知ることも大切である。

 とにかく流行っている作品を浴びるように読むことが重要で、その時の流行をつかむことが成功の秘訣となる。
 そして重要なのは流行の一歩先を自分の作品に取り入れることだ。
 センスのいい人なら流行の二歩先を行って、次の流行を作ることもあるかもしれない。
 この流行の一歩だけ先を行っている作品というのがミソで、あまり離れすぎてしまえば需要から外れた作品となってしまう。

 ここでランキングを読んでいない人の作った作品とはどのようなものか考えたい。
 それは全く別のベクトルを持った作品ということになるから、なぜそれが流行らないかといえば、だれもそのベクトルを追いかけていないからだ。
 読者がいないところに向かって作品を放ってみたところで、たまに変わり者が来て読んでくれることがある程度となる。

 ランキングで流行りの傾向とか流行りのネタを追い続けていれば、読者が求めている話は簡単に理解することができるはずである。
 流行とは村社会のようなものであり、まるでルールが厳密に定められているかのようにその内輪のノリを理解していないものを拒む力が働いている。
 それらを知らずに小説を投稿してしまうからPV0のような憂き目にあうわけである。

 逆に言えば、時流を知らない作者は非常に多いので、もし知っているならばそれだけでランキングという村社会に受け入れてもらえる魔法の通行証でもある。
 たまに構成力やアイデアだけでそこに割り込んでくるような作者もいるが、そういった作者では次の弾が続かない。
 残念ながら、そんな運試しのような作品作りではいずれ淘汰されてしまうだろう。

 最近になって特にそのような傾向が強く出てきているように感じる。
 少し前ならば紙の小説寄りの作品もそれなりに読まれていたように思うが、最近ではそのような作品が日の目を見る可能性は完全になくなったように思える。
 おそらく今では流行を外した作品がランキングに乗る可能性はないのではないか。

 だからこそ本気で人気になりたいのなら、その時々の時流を知る必要が出てきた。
 web小説というのは、そういったコミュニティ内でしか通用しないような内輪ネタや狭い界隈でしか通用しない要素を過分に含んでいる。

二次創作から始まった

 web小説の黎明期には二次小説しか読まれないという現象が起こった。
 オリジナルの小説は全く読まれずに、既存作品の二次創作ばかりが読まれるといった現象である。
 webにおいて、それ以外の小説は全くと言っていいほど読まれなかった。

 二次創作でよく好まれていたのが、原作の流れを主人公が変えようとするものである。
 主人公が最初から目的を持っているし素人にとってもそれは描きやすかったのだろう。
 読んでいるのは原作を好きな人たちなのだから、それらが読まれているうちはまだいい。

 二次創作が進むにつれ、二次創作なのに原作のキャラがほとんど登場しないような小説が表れだし、それらはなぜか多くの人に好まれた。
 原作の物語そっちのけで、勝手に冒険したり領地経営したりスローライフしたりといったものが書かれるようになって、それらが人気を博したのである。

 それらはほぼオリジナルの小説であるにもかかわらず、なぜか二次創作というだけでweb小説が読者を獲得することに成功したのである。
 世界観と設定を共有しているだけで、なぜか素人の描いた小説も読めるようになる魔法がかかるというわけだ。
 それはなぜなのだろうか。

 自分でオリジナルの世界観や設定を作り出して小説を書く場合、どうしても作った設定を披露したくなってしまう。
 そうでなくとも本格ファンタジー小説などで世界観を作ろうと思えば、前提知識として莫大な文字数を読者に読んでもらう必要が出てくる。

 それらが行われた小説群が忌避されたがゆえに、二次創作ばかりに読者が流れ、結果としてweb小説は二次創作から発展していったのである。
 二次創作の特徴として、小説初心者が書いていたから小説らしくない文章でもあったし会話文比率が高いという特徴もあって、読書初心者にも受け入れられやすかったということもあるだろう。

 つまり何が言いたいかといえば、読者とはファストかつイージーに物語を消費したいから、その物語ごとの世界観とか設定とかは極力読みたくない性質を持っているのである。
 もちろんシンプルで面白い設定を考え付くのが理想ではあるが、ごちゃごちゃした設定を並べられるよりはむしろ、ガバガバな設定と揶揄されるような小説にこそ読者は集まってしまうのである。

 それは低俗な話が好きというよりは、めんどくさいのがひたすら嫌なのだ。
 それもそのはずでwebでは流行という形で同じジャンルの小説ばかりがあがってくる。
 毎日似たような小説を読み続けているのだから、たいていのことはわかっているわけで、それを毎回毎回雰囲気作りからやられたらたまったものではない。

 似通ったような小説しか流行らないがゆえに、似通ったような小説ばかり読んでいるというのは自己矛盾のような気もするが、それは事実である。
 とにかく独自の世界観を持った世界設定など読者は読まされたくはないのである。
 そして上手な作者ほど、読者から設定を隠すのが上手というのは覚えておいて損はない。

 二次創作界隈では高CQや最低系などといった痛い作品を指す用語が作られ、それらは蔑まれていたにもかかわらず人気を集めていた。
 オリジナル主人公、チート持ち、無双、言動が無条件に支持される、簡単にモテる、ハーレム、などがそれら作品群の特徴であり、まさにweb小説の原型だった。
 これらに共通して言えるのは、読み進める過程で極度にストレスがない構造になっているということである。

 もちろんテンプレの中には序盤にのみ不快な展開が入るものも多い。
 それらはそれだけ読者をひきつける要素があるから入れられているわけだが、それはカタルシスというストレスからの解放を娯楽にしているという事実を忘れてはならない。
 序盤だけはまだ読者が主人公に入り切っていないので、むしろストレスよりも話の展開に興味がひかれるという側面もあるのだろう。

 実際にそういったテンプレは驚くほど読まれる。
 しかしながら一種の復讐モノのストーリーであるにもかかわらず適当に話を濁してしまってカタルシスがないような作品であれば、当然ながら批判の対象となってしまう。
 そこでやはりカタルシスが得られるという保証が必要になってくるのだ。

 その保証がテンプレであるということであり、テンプレになることによって不快感の解消が約束されたことで人気になったのだ。
 そしてテンプレから外れた不快感を読者は決して許容しないことは忘れてはならない。

 web小説には主人公の頑張る話が少ないなどと批判されるが、ジャンプなどの漫画雑誌においても修行回はアンケートが下がるからやめておけと言われる展開である。
 実際にweb小説でポイントが下がればランキングが沈んで読者の視界から消えるシステムが導入されているので、頑張る話がなくなる(目につかなくなる)のも当然の話である。

 webではもっと細かい起承転結が求められていて、修行回のないカタルシス、つまりそれは最低系と言われたような最初から最強モノなどの展開がわかりやすい例となる。
 そしてそれらは、もはや一般的な漫画などでもよく見られるようになってきた展開であることにお気づきだろうか。

 もっとも、たとえ主人公が弱くとも読者が展開のだるさを感じにくい造りの作品であれば人気は得られる。
 これは見せ方の問題でもあるから、必ずしも主人公が強くなければそういった展開ができないわけでもない。
 ここを勘違いしては、いくら主人公最強モノを書いてもダメで、主人公が周りから馬鹿にされるような展開が続いたりしたら読者は一瞬のうちに逃げ出してしまう。

 むしろ最初から主人公を強くし過ぎたり万能にし過ぎにしてしまうと、のちのちの展開に困ることのほうが多く、主人公の成長が書けない問題とも相まって作者を困らせる要因になりやすい。
 それならばいっそのこと乗り越えるハードルの方を低くして展開を早めるほうが書きやすくなって良いだろう。

 あくまでも書き方と演出だけの問題なので、実はweb小説で受け入れられる範囲というのは外野が思っているよりも広い。
 ただし流行の一歩先くらいの範囲内で、わかりやすくインスタントな展開で、ぎっしりとしていない文章で、そのサイトに特化した(毎日投稿など)方式であることなどは外すことができない要素である。
 そこを外してさえいなければ、決定的に読まれないという展開も少ないのだ。

テンプレの落とし穴

 一口にテンプレといっても、そのテンプレが読者に何を見せるべき物語なのかを理解していないと、テンプレを書いたのに読まれないといった現象が起こる。
 これに関しては学ぶのが非常に難しいのが厄介なところだ。
 「これってよくある展開だけどなにが面白いのだろう」と疑問に感じることは、ランキング作品を読んでいれば何度も感じたことがあるに違いない。

 そんな状態で、とりあえずテンプレだから入れてみようとすれば必ず失敗する。
 やはり必要になるのは本質的な読者の欲求を理解することにある。
 そのために必要なのはランキングを読み漁ることで、その時に作品の感想欄を一緒に読むとが何よりも助けになるだろう。

 ハーレム物が流行っていた時に、ハーレムメンバーは平等に扱うべきだという意見がある(会話量や交流量などにおいても)と聞いたときは、私も読者の欲求を理解するのは諦めようかと思った。
 思い返してみれば人気作ではたしかに、無口なキャラなどに対してもわざわざ口を開かせるために確認をとるようなシーンがあったことが思い出せる。

 しかしながらそんな要求があるとはつゆも知らない自分には、そのシーンの意味が全く分からなかったのだ。
 とはいえ感想欄を見ていれば、そのような読者からの要求も少なからずあって、実際にその欲求をくみ取ること自体は難しいことではない。

 web小説とはマーケティングにすべてを費やしてこそ読まれるし、それをやって初めて自分の書きたいことも書けるようになるものなのだ。
 そのマーケティングの場として人気小説とその感想欄は絶好の場所と言える。

 キャラクター造形についてもwebでは注意しなければならないことがある。
 webでは、ヒロインのつもりで出したキャラが読者からの反発を強く食らってしまい、書き続けるのが苦痛になってしまったというようなことが往々にして起こる。
 だからこそ男性向けのweb小説では、ヒロインは主人公のことが好きという読者に好まれやすい属性を持っただけのキャラとして書かれることが多い。

 俗にいう空気ヒロイン(ダッチワイフ)、トロフィーヒロイン(連れているだけ)である。
 下手に発言や性格に色を持たせようとすると読者の反発にあい、それがどうにもめんどくさくて処理に困るのだ。
 それならばいっそ魅力的なヒロインを作るなどという面では勝負せずに、ほかの部分で勝負しましょうということになったのである。

 かくしてタイトルは一息で読み切れないほど長く、設定はスカスカ、ヒロインは空気という小説がランキングの上位を独占するという結果に収まっている。
 それは一目瞭然であろう。
 現状認識としてそれ以上必要ないくらいweb小説界隈で起きていることを説明できているはずだ。

 しかしだからといって、それが読者にとって理想の小説というわけでもない。
 当然ながらランキングの中にはしっかりと書けているものも含まれる。
 読者だって、ちゃんとした小説を求めてはいるが、相当にシンプルな構造でそれらを達成できない限り、どうしてもめんどくさいから読みたくないの壁を打ち破ることができないのである。

読者はあくまでも気楽に読みたい

 これを読んでいる方ならさすがに一度くらいはweb小説を読んだことがあるだろう。
 それもかならず大人気といっていいくらいメジャーなタイトルを読んだはずである。
 なぜあそこまで読みごたえを軽くする必要があるのかといえば、読者というのはとにかく読み疲れするような情報量の多いテキストを嫌う傾向があるからだ。

 それも当然で一度読んだだけでは言いたいことがくみ取れずに、何度も読み返さなければならないような文章を忙しい日常の合間に娯楽として読まされたくはない。
 そこでもし書き始める前に設定や世界観をきっちりを作りこんでいた場合、どうしてもそれを冒頭から書き並べたくなってしまうだろう。
 しかし、それをやったら終わりなのである。

 もしどんなに魅力的な設定だとしても、それらはできるだけ読者から隠しておくことが読まれるために必要なコツとなる。
 どうしても必要になった説明だけを、なるべく細切れの情報にして出すのがいい。
 設定を少しずつ開示していく方が、読者にとって覚えやすくなるというメリットにもつながるし、設定に奥行きを感じさせて読者の期待を膨らませるという効果もある。

 もっとも説明ではなくエピソードを描くことでわからせるというのが小説の極意ではあるのかもしれないが、なによりも最初から説明をしてしまうという失敗一つで台無しにもなり得るweb小説の怖さをまずは知っておくべきである。

 特によくないのは序盤で設定を並べてしまうことで、物語が進んでいれば読者も読みたくない部分は飛ばし読みすることも可能なのだが、序盤だけは飛ばし読みをすると何も理解できなくなってしまうので結果として離脱率を大幅に引き上げることになる。

 登場人物にも同じことが言えて、一気に出してしまったら覚えようがないし、読者の方にも覚える気がないので破綻はより確実となる。
 なので物語が十分に進むまではヒロインだけなどにとどめておくべきである。

最初の三行で何を伝えるべきか

 最初の書き出しにおいて最も重要なのは、世界観、物語の舞台、主人公の人柄、主人公の立ち位置をなるべく少ない行数で明示することにある。
 冒頭ではとくに主人公を説明することが重要で、物語のナレーターであり、主人公の目と感情を通して物語が語られる以上は、主人公を理解してもらうことが物語を追う上での大前提となる。

 書き出しで失敗しやすいのは余計な雑念が湧いているときで、うまくやろうとか、カッコよく決めようとかすると、書かなくてもいいことまで書いてしまいがちになる。
 なるべくシンプルに主人公の説明を心掛けて、主人公が世界をどう見ているのか、それだけに注力することが上手な冒頭を書き上げるコツである。

 いきなり情報を詰め込み過ぎたり、最初から胸焼けを起こすような文章を並べたりするのは、読み進めようとする読者の気力を萎えさせるのに最も確実な方法である。
 気軽に読んでみようかなとする読者を、いかに引き留めるかが重要なのだ。
 忌避感を持たれないためにも、読み疲れさせないためにも、情報密度は低くめで軽い読み応えのテキストにしよう。

 そのうえで誰が語っているのかを読者に見せてやらなければならない。
 当然ながら小説では一人称が圧倒的に有利であるから、それ以外の選択肢など最初から考える必要はない。

草枕 夏目漱石
 山路を登りながら、こう考えた。
 智ちに働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流
 サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいい話だが、それでも、俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うと、これは確信を持って言えるが、最初から信じてなどいなかった。

 主人公の厭世観、理屈っぽさ、無力感、漱石の方は詩人のような響き、谷川流の方はどこかやる気のなさのようなもの、これらを最初の三行でしっかりと説明している。
 このような書き出しではwebだと少し読者を逃しそうに感じるが、主人公を説明するという点においてはこれ以上ないほど参考になる。
 どちらも主人公がどのように世界を見ているのかを説明している点に注目してほしい。

 このように主人公の人となり、立場、抱えている問題と欲求、それらをわかりやすくシンプルな独白によって読者に伝えるのが冒頭において重要となる。
 主人公の抱えている問題と欲求は物語を作り出すのに不可欠のものだ。
 主人公がどのように世界を見ているのか、それによって物語の見え方すら変わってくることになる物語の核心的な部分でもある。

 主人公が自身を取り巻く状況に振り回されているような感じを出すのか、不満を漏らしたりするのか、反骨精神を出すのか、それともおどけて見せるのか、その物語に必要な主人公像を作りださなければならない。
 主人公の性格と同時に、例文の二つは現代社会が舞台であることも伝えている。

 現代社会が舞台であれば必然的に世界観も現代の地球に即したものであるとわかる。
 短いセンテンスか長いセンテンスかの違いはあるが、読みやすく軽い文章でシンプルに必要なことを伝えている。
 そして短いセンテンスでは書かれた文章の内容が注目されやすく、長いセンテンスでは文章の雰囲気が注目されやすいという特徴もある。

一人称で書く

 web小説では、できる限り主人公の欲求が現れた一人称で書くことが望ましい。
 多くの人気web小説が主人公の一人称で書かれているのには理由があって、退屈な地の文をいかにして読んでもらうかという工夫の一環としてそうなっている。
 一人称では感情の動きで物語を描写することができる点で、状態を説明するだけになりがちな三人称よりも優れている。

 さらには三人称では地の文がどうしても固くなってしまうことが避けられないし、一人称に比べれば主人公への感情移入の度合いもあきらかに弱くなる。
 純文学では主人公になり替わった作者の思考や感情の動きを表現するため一人称が用いられてきたが、理由はそれと同じである。

 面白い地の文とはどう書いたらいいのか。
 個人的な読書経験から言っても、感情のない文章で書かれた小説はやはりどうしても退屈に感じられてしまう。
 今までの本の形式ならそれでも読んでもらえたかもしれないが、webという場所で読んでもらうことは不可能としか言いようがない。

 例えば、固いとか柔らかいといった状態を説明するだけでなく、思ったよりも硬くてどう思ったのかというような感情の動きで表現するのが重要なのだ。
 主人公が目の前の出来事をどのように受け取るのかによって、その性格も説明できる。
 そうすることで主人公の感情が現れた、もしくは欲求を感じさせる地の文となることが理想である。

 冒頭ポエムなどと批判を受けるような文章のよくないところは、言いたいことが明確ではないところにある。
 とくに話に引き込まなければならない冒頭において、言いたいことが明確に読者に伝わらなければ引き込めるわけがない。
 読者の興味を引きたいのなら雰囲気ではなく内容で勝負するしかない。

 ホットスタート(物語の中盤のバトルシーンから始めるなど)も同じで主人公に感情移入もしていないのに動きの大きいシーンから始めても読者は興味を持つことができない。
 しかもホットスタートは時系列までいじってしまうので、その時点で読者の大半は物語を理解しようとすることを諦めて去ってしまうはずである。
 web小説で離脱率を下げないためには、何よりもシンプルであることが重要となる。

 思わせぶりでなんとなくかっこいいなんて読者は絶対に思ってくれないので、この先にも期待できないなと切り捨てられるのがオチなのだ。
 シンプルに内容で勝負すること、主人公の性格を表した独白であることが重要だ。

無職転生ー理不尽な孫の手

 俺は34歳住所不定無職。
 人生を後悔している真っ最中の小太りブサメンのナイスガイだ。
 つい三時間ほど前までは住所不定ではない、
 ただの引きこもりベテランニートだったのだが、
 気付いたら親が死んでおり、
 引きこもっていて親族会議に出席しなかった俺はいないものとして扱われ、
 兄弟たちの奸計にハマり、見事に家を追い出された。

 世界観は転生前なので現実世界、主人公の性格はおちゃらけ、主人公の立ち位置はニート、そこまでがこの書き出しによって表現されている。
 読みやすいように短いセンテンスで改行して、先のことが気になるように追い出しを受けた直後から物語が始まっている。
 冒頭ポエムやホットスタート(時系列いじり)ではないことがわかるだろう。

 これだけで主人公の抱える問題と欲求も明白であり、よく表れていると言える。
 この主人公に興味を抱くなという方が無理な話で、読者はついつい読み進めてしまう。
 このような書き出しで始めるのが最もハードルが低く、いわゆるとっつきやすい物語の始まり方だと言える。
 思わせぶりな表現をしているうちに読者を逃がしてしまうのではなく、いかに興味を引くかを考えよう。

 逆に主人公への共感と没入感を著しく阻害する要素についても説明しておきたい。
 主人公は読者の半身のようなものであるから、読者が知っていることは主人公も知っているか、もしくはまるで知っているかのように動くことが重要である。
 これは他のキャラにも言えることだが、読者が知っていることであれば、それを知らないはずのキャラでもまるで知っているかのように判断し動くことが求められる。

 そこで何も知らないはずだからと右往左往させるような展開を挟めば、読者にとってはかなりのストレスとなる。
 意識的に正解を選び取らせるような行動をとらせなければならない。
 そこは言い訳の必要などなく偶然の結果としてでもいいので、とにかく知っている状態の場合と同じ選択肢を選び取らせるべきだ。

身の上話の重要性―共感がなければ物語に引き込まれることもない

 冒頭ではとにかく物語の世界観と主人公を説明することが重要と書いた。
 できれば三行以内で世界観、物語の舞台、主人公の性格と立ち位置くらいはわかってもらえるように努めるべきである。
 ではその後はどうすべきなのだろうか。

 その次にやるべきことが最も重要で、それは主人公に共感してもらうことである。
 主人公に共感していなければ、そのあとでどのように物語が展開しようとも興味が持てないという現象が発生してしまう。
 その状態では何が起ころうと読者は話の展開に興味を持ってくれない。

 そこで有効なのが主人公による身の上話だ。
 web小説の読者はそのほとんどが読書の初心者であるように思う。
 感想などを見ていても読書の初心者にありがちな、完全なまでに主人公に感情移入しきって読むというスタイルの人が多いことが見て取れる。

 主人公に感情移入してしまうということ自体は、主人公の目を通して物語が語られるという小説の特徴から起こることでもあるし、小説が持つ最大の武器でもある。
 ここで注意してほしいのは、主人公の目を通して世界を見ているのだから主人公が言われたことは読者にも影響を与えるということだ。

 小説の没入感はかなりのものになるし、登場人物の安易な一言が読者に与えるストレスもそれ相応のものになる。
 しかも書く側は主人公以外の登場人物にも感情移入していたり、発言の真意や背景を理解しているので失言させてしまっていることそのものに気が付きにくい。

 なのでどうしても強く意識していないと無神経な言葉を書いてしまいがちになる。
 主人公が不快に感じるであろうシーンは、同時に読者も不快になっていることには気を付けてほしい。

 小説において主人公を変えるな、ということはさまざまな小説の指南書の中で語られてきたことではあるが、これはせっかく主人公に感情移入して読んでいるところに水を差すな、という意味である。
 それをやってしまうのは小説の持つ一番の武器を自ら捨ててしまうようなものだ。

 読者は作者が思っているよりも何倍も感受性が豊かである。
 だからこそ細かい表現に気を付けなければならない怖さもあるが、こと冒頭においてはその感受性はありがたい手助けとなる。
 とにかくヘイトだけでも稼いでおけば読んでもらえるのだ。
 その文章がどう受け取られるのかということは常に頭のすみに入れておこう。

 小説の書き出しでは、早急に読者が主人公の経験を追体験している状態に持っていくことこそが重要なので共感を引き出す展開が必要になる。
 そのためには主人公の欲求と読者の欲求が重なる状態にしなければならい。
 最初に主人公を説明したら、すぐに共感するためのシーンを用意すべきなのだ。

 一番簡単な方法は主人公を不幸な目に合わせたり主人公に苦労をさせることで、そのエピソードから共感してもらうというのが手っ取り早い。
 もしくはヘイトを向ける人間を作り出すのも有効になる。
 人間は自分よりも不幸な人間を応援したくなるし、それが共感への第一歩でもある。
 多くの異世界転生テンプレでは最初に主人公を不幸にしているし、多くの追放テンプレではヘイトを向ける相手を一行目から作り出しているのはそのためだ。

 もちろんそうではないものもあるにはあるが、人気作ではおおむねそうなっているのだからそれに倣っておいて間違いはない。
 つまり世界観や舞台、主人公の人柄を伝えた後は、主人公に身に上話をさせるのである。
 そこでいかに読者の共感を得られるエピソードを入れられるかがweb小説での成功のカギとなる。

 この共感の作業は離脱率との戦いになるweb小説では最も重要なことである。
 主人公が成金的な生活をしていれば「いけ好かないやつ」だと読者に思われてしまうだろうし、貧乏にあえいでいれば応援したくもなる。
 なにより自分よりも不幸な人を前にすれば誰でも応援したくなるものだ。

 応援したくなると感じさせたなら半分は成功していると言ってもいい。
 満足いく結果が出せないだとか、理解されないと言った誰もが感じるであろう悩みを読者と共有するのも主人公への肩入れを生み出すだろう。
 とにかく何らかのエピソードによって主人公への判官びいきを生み出すのだ。
 そしてその不幸な身の上を、物語を動かす動機につなげられたのなら言うことなしである。

空から奇跡が降ってくる―物語の起点

 ここまでがweb小説において一ページ目でやらなければならないことのほとんどである。
 そして最後の行で、いわゆる【奇跡が空から降ってくる】という物語の起点を投げてやればweb小説としては理想の形といってもいいだろう。

 【奇跡が空から降ってくる】というのは物語を動かす柱のことである。
 例えば身の上話において、「現実世界では何もうまくいかず死んでしまった」と語った後で起こる異世界転生などのことである。
 不運によって貧乏くじを引かされてしまったのなら、その貧乏くじから見出される光明のことでもある。

 現実世界でうまくいかなかったのなら転生後は死に物狂いで頑張るわけで、そこから新しい物語が始まるのだ。
 そこで1ページ目の最後では、主人公が今までの生活を変えるためのきっかけを奇跡としてつかむことが重要となる。

 漫画の寄生獣では空から寄生獣が降ってきて主人公の右腕に宿る。
 その瞬間に問題と欲求が生まれることでストーリーが動き出している。
 周りに知られてはいけないという問題と取り除きたいという欲求が生まれ、それが寄生獣と共存しなければならないという課題へとつながるわけだ。
 その瞬間こそが物語を始めるのにふさわしい場所である。

 一昔前のライトノベル界隈では、1ページ目で女の子を空から振らせろと言われていた。
 本当に文字通り女の子が特に理由もなく空から降ってきて物語が始まるのだが、それが当時の読者の需要に応えていたということでもある。
 そこが主人公における人生の転換点となって物語が生まれるという形だ。

 テンプレというのは、そのセオリーがweb小説という場に合わせた形で進化したものと考えればいい。
 それが異世界転生であったり、追放であったり、外れスキルの有用性であったり、主人公自身の有用性であったりへと変わったのだ。

 もはや最近では女の子一人空から降ってきたくらいでは読者も食いつかなくなった、ということの表れでもあるのかもしれない。
 こうした読者の欲求の変化には、どれだけ敏感になっていたとしても過ぎるということはないが、それをつかむのが難しいのも事実だ。

 であるからこそテンプレから始めるというのは理にかなった戦略なのである。
 テンプレというのは既存の成功例であるから、うまく書きさえすれば間違いなく成功が約束されていることになる。
 なにも自分で読者の喜びそうな需要を掘り出してくる労力を払わずとも、すでに確立された最新の読者需要が反映されているのである。

 なお、ここまで書いてきたことは何もすべてきっちりその通りに書けということではなく、なるべくこの形になるように意識しながら書いたほうがいいという程度の話であるのでお間違えなきように。

ストーリーの面白さとは何か

 これまでたくさんの小説を読んできて面白いなと感じる時には、いくつかのパターンがあるなということに気が付いた。
 それらの小説のほとんどは紙の本であるが、それらについても解説していきたい。
 紙の本が作り出してきたストーリーのテクニックはweb小説でも必ず役に立つはずである。

 実際の読書経験で、小説を読んでいる時に面白いなと感じるのはおよそ二つのパターンしかないことに気が付いた。
 まず一つ目はテキストそれ自体がおもしろいもので、ユーモアや、キャラクターの魅力、ホラーの怖さやミステリーの謎などもそれにあたる。
 もう一つは単純に続きが気になるストーリーの構造を持っているときだった。
 その構造があるときのみ読者に対して物語に引き込まれるような感覚を与えることができる。

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