マイノリティを売り物にするな(マーケティングに利用するな)という批判についての考察
やはりNIKEのCMについて、改めて考える。考えるまでもないと思っていたのは、「日本に差別はない」あるいは「日本人を蔑んでいる」などの批判を目にしたからである。日本に差別はあるし、自分たちのことを自己批判する必要がないほど日本人は(というか人は)良い生き物ではない。ただこの映像について、この類のテーマではそれが当たり前ではあるのだが、差別を受けている側や、マイノリティ側の人々が「マイノリティ(私たち)を見せ物にして(マーケティングに利用して)自分たちの商品を売ろうとしている」というNIKEに対する批判を散見したとき、これは考えなければならないと思った。
世の中にあるあらゆる問題に対してのアクションで、この批判から完璧に逃れる術などあるのか、ないのだとしたら、誰がこの社会システムの中で未来を変えられるのか、ということについてである。
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確かに、社会的な課題や問題に対して、あたかもそれと真摯に向き合っているかのように見せかけて、その問題解決以外のベネフィット(自己や自己組織だけに対する)を極端に求めるのは、気分がよくない。文字通り「利用する」人たちがいるのは事実である。ただ、これは誰が悪いのだろうか。
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