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ノンフィクション『あのサッカー大国は、天国か地獄か』|第1話:はじめてのひとり旅 編

はじめに——

日本から、サッカーを学ぶため、そしてその他いくつかの目的を達成するためにアルゼンチンに来てから、丸2年が過ぎました。そんな中で、残り約1年を迎えるにあたり、一度これまでの出来事を振り返る機会が欲しいと思っていました。というのも「まだ1年残っている」と言えばそうですが、すでに来年から日本に帰国した後の動きが決まっていることや、また来年以降のプロジェクトを動かしていることも手伝って、僕の頭は6:4で未来にフォーカスをしているような状態です。

とはいえ、本来であればもう少し時間が経ってから書き始めようと思っていたのですが、世界で大変なことが起き、アルゼンチンではいま時間が止まっているような状態です。外国で外出禁止になることなど想像もしておりませんでしたが、これを機会に、未来を足を踏み出せるよう、これまでを振り返っていこうと思います。

これから『あのサッカー大国は、天国か地獄か』と題して、僕の過去、アルゼンチンに行こうと決めた理由、そのあとに行ったアクション、その間に出会った人、起きた事、その時に自分が持っていた戦略、そして実際にでた結果、経験した失敗、裏話、そういったことを、この『蹴球症候群』で数話に分けて書いていきたいと思います。どれくらいかかるのかは、想像もつきません。

きっと、物語のようになっていくと思いますが、ノンフィクションです。書けることは全て書きます。「アルゼンチンに行く」と決めてから、いまこの瞬間まで、実際に自分の身に起こったこととはいえ、信じられないような出来事が多々ありました。

物語として楽しんでくれたり、サッカーを海外に勉強しに行くプレーしに行く人にとってヒントになったり、自分のこれまでを知ってもらえたり、そういうことが起きれば良いなと思っています。今この記事を書いている段階では、続きを何にも書いていない状態なので、自分でも振り返っていくにつれて、こんなこともあったな〜と、そう思えるのが楽しみです。

ぜひ、楽しんでください。



・・・



『あのサッカー大国は天国か地獄か』表紙

終わりと、始まり

目が覚めると、期待していたはずの景色とは違う光景が目に入る。僕はアイルランドの安宿で、そこにあるはずの荷物がないことに気がつき、数分間途方に暮れている。またか、と思った。またやってしまった。

遡ること3ヶ月前。僕は羽田空港に居た。『飛行機 乗り方 空港』と検索した画面の表示されたスマートフォンを持ち、これから始まる冒険に、不安だけを抱いていた。僕がそれまで海外に行ったのは、中学生の時にサッカーの試合で行ったドイツが最初で最後で、当時の空港での記憶は0に等しかった。「飛行機の乗り方がわからない…」。空港に到着してからその事実に気付いた僕は、初めて1人で行く海外に期待を抱く余裕などなかったように思う。

全てはサッカーのためだった。20歳の時に「サッカー監督」になると決めてから、僕はいつか海外にサッカーを学びに行くことを決意していた。周りの大人に相談するたびに、あまり前向きな返答が返ってこなかった当時は、外国への繋がりを全く持たなかった僕にとって、それは本当に夢のような挑戦だった。まだ学生のとき、大学を辞めてスペインにサッカーをしに行っていた友達に、スペインで指導者をするという日本人の方を紹介してもらった。やっと繋がった「外国」に胸を踊らせ、自分が置かれている状況や、海外にサッカーを勉強しに行きたいという想いを綴って、メールを送った。返ってきたのは、友達の知り合いからくる文章のイメージからは程遠い、ビジネスマンによる、ビジネスライクな文章だった。どうやらその人は、サッカーの留学斡旋会社を経営しているらしい。僕はそのとき、友達の知り合いから送られてきたビジネスメールと、留学にかかる費用をみて、なぜだか異様に腹が立った。その時が、僕が初めて海外挑戦に対して何かを「決断」した瞬間だった。

『留学斡旋会社を使わずに、ひとりで海外にいく。誰に何を言われようが、一切関係ない

…なかなかロックである。


貯金生活

学生が終わって、21歳。2年後に海外に行くと決めた僕は、コーチをしながらアルバイトをしてお金を貯めることに専念した。方法は何もないし、わからない。「みんな(海外に留学しに行く人)お金どうしてんだろう」。そればっかり考えていた。なんとか少しばかりの貯金をした2年後、僕は「とりあえず行こう」精神で、何一つ予定を決めないまま「いつ帰ってくるかわからないから」とだけ家族に残し、家を出た。23歳、なかなかロックである。

今考えると笑えるが、どこの国のVISAも持っていないし、英語すらもろくに話せないから、そのまま外国に居続けることなんて、到底無理だった。でも僕は何の疑いもなく、日本にはしばらく帰らないと、そう思っていた。とりあえずいろんな国を回って、サッカーを見て、気に入った国に移住しよう。お金も知恵も人脈も、何も持っていないけれど。

フィリピンで1ヶ月英語を勉強したあと、アジアとヨーロッパを旅をした。観光地にはほとんど行かない、サッカーを見るための旅である。旅の期間中、主食はポテチだったが、そんなこと若造には一向に構わなかった。

何も計画を立てずに行ったわりには、各国でサッカーの試合や練習を見ることが出来ていた僕は、10ヶ国以上をすでに回っていて、ひとりで知らない土地に行くのも手慣れたものだった。

事件が起きたのは、ベルギーである。


はじめての出来事

数日前に空港で大きなテロ事件があったベルギーは、殺伐とした雰囲気が漂っていた。2016年ブリュッセル連続爆破テロ事件である。入国審査が異常に厳しかったのを不思議に思って調べるまで、僕はベルギーで大きなテロが起きていたことを、知らなかった。本物の、バカである。

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