見出し画像

『自信のある人間は決断を必要としない』 サッカーにおける自信と結果のロジック

『自信』というのは、ある意味人間のもっとも大きなテーマであると思う。自分を信じているか、そうではないかで、自分を肯定出来るか否かにも繋がるだろうし、ということは、幸せか不幸か、という盛大なテーマにも関与する。

特に僕の場合、20歳くらいまで全く自信というものからかけ離れて人生を送っていたくせに、いくつかのきっかけを経て、今はあらゆる局面で自信を持って生きることが出来ているから、『自信を持つためには…』みたいなことに関しては、自分なりの答えを持っている。

「たったひとつの答えがない」という観点からすると、僕の専門分野である「サッカー」と「人生」は、物凄く似ている。両者においては「自信」を持つことが難しいように思える。例えば、1+1は何か?と聞かれたら、基本的にはほぼ全ての人が「自信」を持って答えるだろう。仮にファナルアンサー?と30秒くらい焦らされても『(結果が出るまで)堂々としている』ことが出来る。つまりこれが自信のひとつの姿だけど、でも、人生やサッカーは、そうはいかないのだ。『(結果が出るまで)堂々としている』ことがすごく難しい。実際、両者の間にはどういう違いがあるのだろうか。

この記事では、以下の点で「自信」を考察する。

1.人生において自信はなぜ必要なのか?
2.自信を持つためには何をすればいいのか?
3.サッカーにおける自信と結果のロジック


・・・


1.人生において自信はなぜ必要なのか?

別に自信を持たなくたっていいでしょう、と言われてしまえばそれまでなのかもしれないけど、僕は子供時代とにかく自信を持つことが出来なくて、サッカーでも、私生活でも、自己肯定感が異常に低かった。その時と今では幸せ度合いが全く違う。では、なぜ自信があると、幸せになれるのか?と考えると、僕の答えはこれに尽きる。

『自信がないと、自分の直感を信じてあげることが出来ない』

28年しか生きていないけど、直感が働いた時には全てがうまくいっているから、人間は直感で何かを判断するのが1番だと思っている。直感というのは、適当に決めているのとは訳が違って、考えていることや、置かれている状況、目的、将来のイメージなど、「言語として自分が自覚できてないことが感覚としてやってくること」である。質の低いロジックで判断するのと比べて、信用ができる。

今年、自分的にはパンデミックの影響でずっと家にいて、将来が暗くなり、どうやって自信を持てば良いのかわからなくなった時があったのだけど、その時に気付いたのが、これだった。何か決断が迫られた時に、「直感」として「なんとなくこっちが良い気がする」という感覚を覚えるのだけど、自分に自信がないと、その自分が導いた直感を信じてあげることができなくて、「いやちょっと待てよ…」とロジックで考えるようになる。そうすると、スピードは落ちるわ、精度は落ちるわで、良いことが全くない。

自分の直感を信じることが出来ている状態こそ、自分にとっては「自信を持っている」という状態だ。

だから自分は、仕事でも、私生活でも、自信を保つことにすごく重きを置いている。


2.自信を持つためには何をすればいいのか?

先ほど、1+1は?と聞かれた時、を例に出して、自信を持っているときは堂々としていられる、と書いた。僕の中で、実際これは間違っている。世の中のほとんどの人が「自信が欲しい」と言っている時の「自信」とは「確信」のことである。自信とは違い「確信」にはそれ以外の何か(≒根拠・理論 etc.)が必要になる。つまり1+1は?と聞かれた時、人は自信ではなく確信を持っているから堂々としていられるのだが、人は、それを「自信がある」と解釈する。しかし、自信と確信は別物である。

大事なのはここからで、どう考えても人生やサッカーにおいて「確信が持てること」などほとんど存在しない、ということである。算数の答えのような人生や、算数の答えのようなサッカーは、どこにもない。

つまり、僕らが欲しいのは確信ではなく自信なのだ。

そう考えると『自信を持つためには何をすればいいのか?』という問いに対する答えはシンプルである。

『自信を持っている人の態度や言動を真似すること』

自信を持っている人は、確信を持っているかのような態度や言動をする。実際は、ほとんどの場面において確信など持つことは難しいのだけれど、それでも自信を持っている人は、1+1は?と聞かれた時のように、確信を持っているような態度や言動をする。大事なのは、この態度や言動だけである。

僕が自分に自信を持つようになったのは、本や、ドキュメンタリー、セミナーなどを通じて、自信を持っている人(≒確信を持っているように見せている人)を観察し、そういう人がどういう態度なのか、どういうことを話すのか、どういう行動をするのかを模範して「全く同じようにやってみた」だけである。

また後ほど、サッカーを例にして詳しく書くが(これはオカルトではないことを証明するために)、人間が自信を持ちたいのは「自信を持つこと自体」が目的ではなく、それに伴って表出する態度や言動によって「結果」を変えることが目的なのであるから、卵が先か鶏が先か、態度や言動を先に変えてしまえば、「自信」というものは自然と芽生えてくる。※念のため確認するが「確信とは自然と芽生えてこないもの」である

すると、直感を信じられるようになって決断スピードが上がり、それによって打席に立つ回数が増え、経験や失敗という財産を得ることが出来、結果的にうまくいくことが増えてきて、それがまた自信に繋がり…というループに入ることが出来るのだ。

まとめると、人間は「良い結果を出せると思っているから自信がある」のではなく「自信があるから態度や言動が変わり、それが良い結果を“招く”」のだ。だから「自信がなくて悩んでいる」という人は、自信ではなく確信が欲しいのだ。そんなものは諦めて、自信が欲しければ自信を持てば良い(=自信を持っている人のように振る舞ってみれば良い)だけである。


3.サッカーにおける自信と結果のロジック

サッカーの話をしたい。サッカーという答えのない人生みたいなゲームにも、上記したような理由から、自信を持ってプレーすることは「1番大事」と言っても過言ではないほど、重要である。基本的には、誰一人として確信を持つことは出来ない。では、サッカーのピッチ上で、「自信を持っている選手」と「自信を持っていない選手」には、どのような違いがあり、どのように結果が異なっていくのか、という点を、説明していきたい。


■人間は何に恐怖を覚えるか

「飛行機に乗るのが怖い」という人は多いが「車に乗るのが怖い」という人は少ない。これはなぜかと言えば「人間は自らコントロールできないことに恐怖を覚える」からである。飛行機に乗るのが怖いのは、墜落事故など、つまり死を意識することに繋がるからであるが、実際は飛行機事故よりも車事故の方が圧倒的に確率が高い。人間は、事実ではなく、コントロールできない状態に恐怖を覚える。

■人間は恐怖を覚えるとどうなるか

お化け屋敷で、恐怖を覚えている人々を想像して欲しい。彼らの動き(身体スピード)は遅く、少しの音(刺激)にも敏感になってしまう。時には前に進むことを止め(決断を避け)その場に立ち尽くしてしまう。サッカーにおいて、なぜ恐怖を感じてはいけないのかと問われれば、これが答えである。どういうことか。

■サッカーにおける「自信」とは

サッカーにおいて自信を持っている選手と、そうではない選手の違いは、以下であると言える。

ここから先は

2,494字 / 3画像
サッカー、またはサッカー以外の分野から日々何を学んでいて、何に気付いて、何に疑問をもち、どんな風に思考を巡らせているのか、そのプロセスにおいてどのような知識や仕組みが必要だったのか…などが書いているマガジンです。記事数は150以上。

蹴球症候群

¥300 / 月

他分野を通してサッカーを解明し、サッカーを通して他分野を解明する

いただいたサポートは、本を買ったり、サッカーを学ぶための費用として大切に使わせて頂きます。応援よろしくお願いします。