『良いチーム』の考察——。民主制から衆愚制への転落
いつも考えている。良いチームと悪いチームは、何が違うのか。私はとにかく勝ちたくてサッカーというゲームをするわけだが、一方で「良いチーム」に所属することで、もしくはつくることで、幸せな状態を保ちたいという願望を持っている。サッカーをすることで苦悩ばかりを抱える人生は、子供時代に置いてきた。
では、良いチームとは、何か。
仲良しなのか、それとも少しばかりの緊張感があるのか。似た者同士の集まりなのか、それとも価値観が違うもの同士の集まりなのか。
今回は『想像力』という着地点を先に定めて、良いチームとは何か、についいて考えていきたいと思う。一行上で言ったように『想像力』に着地する。
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私は「サッカーのチーム」を、ひとつの「社会」として捉えている。「共同体」とは似て非なるもので、もっと複雑な、何かを整備すれば何かが崩れ始め、何らかのシステムを持って永遠に秩序を保つことが不可能とも思えるものが、社会だ。
社会には、政治がある。であれば、チームにも政治がある。
合衆国憲法はよくできているが、憲法があるから民主主義が守られていたわけではない。競い合う政党同士が「相互的寛容」と「自制心」を持っていたからだという。
「相互的寛容」──競い合う政党がお互いを正当なライバルとして受け容れるという理解。もうひとつは「自制心」──組織的特権を行使するとき、政治家は節度をわきまえるべきであるという考え。
上に引用した文は、
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