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耳に残る昭和の声①

新たな始まり

戦後の混乱から立ち上がる佐々木錠一とその家族の物語がここから始まる。昭和20年代初頭、東京の神保町。戦争の傷跡がまだ色濃く残る中、人々は新たな生活を求めて奮闘していた。

佐々木錠一は、浅草龍泉寺町で生まれ育った。大正5年、8歳の時に母親を亡くし、父と妹と共に困難な日々を送ることになる。大正8年、11歳の錠一は、お茶の水の布団屋に働きに出される。休みは盆と正月のみで、楽しみは映画鑑賞。風呂屋に貼ってある映画ポスターの余りをもらい、自転車で川越まで布団を売り歩く。その時、各所の風呂屋からポスターの余りを集めて商売にしていた。

昭和8年、錠一は25歳で結婚し、神保町に新たな生活を始める。彼は安売り映画チケットの販売を生業とし、徐々に商売の基盤を築いていった。

新たな始まりの続き

戦後の混乱の中、錠一は新たな挑戦を決意し、昭和21年から昭和24年にかけて、神田小川町に土地を購入した。錠一の新たな商売は、1階に寿司屋「江戸寿司」、うなぎ屋「鰻千代」、そして2階にはお座敷料理店「青柳」を開設することだった。

戦後の物資不足と職業難の中でも、錠一は家族と共に新しい道を切り開いていった。上野の職業安定所から紹介された多くの店員たちが、屋根裏部屋で寝泊まりしながら店を支えた。錠一の妻、梅もまた、家族を支え続けた。昭和8年に結婚し、気の強い性格で反対者も多かったが、その意志の強さで家族をまとめ上げた。

北千住緑町の魚屋の長女として生まれ育った彼女は、錠一と共に新しい生活を築く決意を固めていた。昭和9年11月には、長女の和子が生まれ、家族に新たな希望が芽生える。錠一と梅は、商売の繁盛と共に、家族の絆を深めていった。

つづく

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