品性

あなたの品性、疑われてますよ?

品性と聞いてどのようなイメージを持つだろうか。また、自身に品性があると思う人はどれくらいいるだろうか。広辞苑での定義によると、

道徳的基準から見た、その人の性質。人格。

との事だ。分かるような分からない様な…。だが逆に「品性がない」と思う人間は割とすぐに思いつくのではないだろうか。私自身が完全な品性を備えているとは思わないが、他者に対して「品性がない」と思う瞬間はある。


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例えば、喫茶店で堂々とネットワークビジネスの営業している人間だ。MLMは違法ではないし、人によっては参入している人もいると思う。何に対して品性がないと感じるかというと、その営業スタイルだ。成金の様な派手な格好をした胡散臭い小太りのおっさん、または若くして俺は成功したとでも言わんばかりの仰々しい若者が、友人とともにやってきた「餌食」に対して、お金や成長といった耳障りの良い話を大げさに展開する。意識の高い成功者としての自身を過剰に強調しながら同調を迫る。個人的には極めて不快であり、別の場所でやってもらいたい。

例えば、カフェで後輩にレビューをする、「出来る先輩」を演出中の人間だ。なぜかは分からないが彼らの声は異常にでかい。しかも上から一方的に求められてもいないアドバイスを延々と続け、後輩の話を少しも聴こうとしない。いかに自分が仕事の出来る人間かをアピールするだけで、的を得たレビューに全くと言っていいほどなってない。後輩の表情が引きつっているのが傍から見ていても分かるのに、なぜ彼等はその事に気が付かないのだろうか。おまけの顧客情報丸出しのコンプラ違反もいいところ。仕事の出来る人間には見えない。ドヤ顔するなら会議室でしたまえ。

例えば、コバンザメの様に権威や権力を持つ人間に取り入る人間だ。社内外を問わず、SNS上にも存在する。単純接触効果を狙いつつお世辞に余念がない。豊臣秀吉の成功哲学を心から崇拝しているのだろうか。その哲学自体は間違いではないと思うが、解釈が間違っている。ヒラメの様に媚びへつらう事がその本質ではないのだが、国語力が極めて低いため、本質理解が全くなっていない。取り入る作戦は確かに有効な側面もあるが、人間をメリデメでしか考えられない人間に信頼が付くはずがない。縄文時代にでもタイムスリップしてもらいたい。

例えば、他人をディスって笑いを演出する人間だ。他人の失敗や間違いを面白おかしく伝えるのは上手いのだろうが、ネタにされたと思う本人がどう感じているかに想像が及ばない。他人をダシに笑いを取る自分が、さも天下を取ったかような言動と表情。違う、面白いのはお前じゃない。そういう人間に限って自虐ネタはほぼしない。笑いのネタとなる対象はあくまで自分の外にあるという考えだ。他責傾向が強く「お前のモノは俺のモノ、俺のモノも俺のモノ」が信条。お前はジャイアンか。

例えば、正義の面構えで言葉穏やかにクソリプを飛ばしてくる人間。彼等は一見行儀がいい。議論がしたいと言いながら、相手の意見には耳を傾けず、自分の正義に基づく解釈で相手をステレオタイプ化する。奴らの口癖は「○○だと私は解釈します」だ。お前の解釈など求めていない。逆に「××については、○○という解釈であっていますか?」と確認するのが筋だろう。更に彼等は重箱の隅をつつくように言葉尻を取り、揚げ足を取ることに熱心だ。「意見なのか主張なのか、異議なのか、測りかねるのですが」。知るか。文脈からしたら全部同じだろうに。それは議論ではない。ただの言葉遊びだ。そんな暇はこちらにはないのだが、慈悲の観点から相手をしている事になぜ気が付かない。だから不毛な議論しかできないのだ。


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具体例として5つ挙げたが、彼等には総じて「品性」がないと思っている。相手がどう思うか、相手が何をどう感じるかという観点が極めて欠けていて、すべからく自分中心に世界が回っていると思っている。裸の王様だ。

いや、待てよ、なぜこれらの事象に対して憤りや違和感を覚えてしまうのだろうか。もしかすると「品性」がないのは自分かも知れない。裸の王様は自分かも知れない。書きながらそんな風にも思えてきた。

どうすればそれぞれの事象に反応することなく快適に過ごせるだろうか。その対策を考えてみよう。

①と②に関しては、イヤホンを常時携帯し音声を流すことで不協和音を聴くことなく快適に過ごせる。なぜその事実に気が付かなかったのだろう。やはり品性がないのは俺なのかもしれない。ただ、イヤホンを携帯し忘れてしまった場合には地獄がまっている。仏教における六道として修行に励むしかない。いずれにせよイヤホンの携帯は必須だ。

③に関しても、視覚や聴覚からの刺激を断てばいい。僕自身の器からして僕に取り入ようとする人間はいないので、この点は安心だ。妄想で自身の感覚器官を鈍らせるという方法もある。イヤホンやアイマスクもマストアイテムになりそうだ。SNS上であればミュートに限る。

④はどうだろうか。ああ、これはその当事者をネタにして笑いを演出すればよいのか。自意識の高い彼等が笑いモノにされようものなら間違いなく傷つく。そうすれば、自分が今まで他者を笑いものにしていたことにも気付くはずだ。もしかしたら気付かないかもしれないが、その際は率直に「あなたをネタに笑いにしたけれど、どう感じた?」と笑顔で尋ねてみよう。恐らく苦笑いをしながら自身の言動を改めてくれるはずだ。そう期待しておこう。

⑤はどうだろう。クソリッパーは大抵他の人にも同じ行為を繰り返していると聴く。まずは彼等のアカウントを覗いてみることが大切だ。同じような行為を繰り返しているのならば、既読スルーをかませば良い。もしくは即ミュートだ。悪質な場合はブロックもありだろう。間違っても彼等を論破しようとは思わない事。その時点で相手の土俵に乗ってしまっている。彼等のクソリプをポエムの一種として楽しむことも一つだろうか。いずれにせよ彼等には反応しない事が全てだ。


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こうして書き連ねていくと、器が小さいのは自分自身であり、自分の感情が左右されることを外的要因のせいにしていた事が分かる。「品性」がないのは自分自身だった。そうか、これが全ての解だ。

ひとそれぞれ立腹する点が異なる事を加味すれば、相手を変えようとするのではなく、自身で対処方法を考える方が極めて建設的だ。余計な事にエネルギーを消費されていては、為すべきことも為せなくなってしまう。

手段はいくらでもある。相手を変えようなんて極めておこがましい。何事も良い意味で自責であること。この一言に尽きる。そういうことだ。


おわり

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