日本海

「彼女の死」が僕にくれた「プレゼント」~この「物語」はノン・フィクションです~②

お訪ねします この辺りでついさっき
涙の落ちる音が聴こえた気がして
駆け付けたんだけど誰の涙かな
そういや君はずいぶん赤い目をしてるね
ええと、うん
そうだ いくつかの「物語」「プレゼント」してあげる
ちゃんと読んでおく事 いいね
それじゃ また後で

前回の物語をご覧下さった皆様、本当にありがとうございました。予想以上の反響を頂き、心より感謝しております。構成としては全体で5話程度になるかなと想定しておりますが、まだまだわかりません。

「死」を考えることは「生」を考える事だと改めて思う訳です。死生学なんて学問もありますが、正にその通りだなと…「表裏一体」

では、以下にて第2話のはじまり。
第1話をご存じない方は、宜しければリンクにてご覧ください。
「彼女の死」が僕にくれた「プレゼント」~この「物語」はノン・フィクションです~①

それでは「物語」の続きへようこそ。

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彼女と初めて一緒に行ったライブは、彼らBUMP OF CHICKENのライブだった。2003年10月。なんばhatch2デイズ。「ユグドラシル」というアルバムのツアーだった。

・オンリーロンリーグローリー
・ギルド
・embrace
・sailing day
・同じドアをくぐれたら
・車輪の唄
・スノースマイル
・fire sigh
・ロストマン

など、このアルバムにも物語性の高い至極の楽曲が納められている。

当時のチケット代は確か3500円。今の代金の1/2以下だった。当時貧乏学生だった僕でも、昼飯代を節約すれば何とかなった。

チケットは彼女に預けてあり、彼女の自宅に保管してあった。待ちに待った当日。初日のチケット確認箇所で思わぬトラブルが発生。なんと彼女が初日と2日目のチケットを間違えて持参していた。途方に暮れた僕は、神頼みで1人の友人にヘルプを出した。幸い電話が繋がった。「なんばhatchまで来てほしい。」

彼は千里中央にいたが自前のバイクで来てくれた。彼のバイクの後ろに跨り彼女の家へ。正しいチケットを持ち急いでなんばhatchへ。

幸いにも2曲目の「天体観測」の途中で僕らは会場に入ることができた。いい思い出だ。彼には本当に感謝している。

僕が好きな事もあり、他のアーティストのライブにも良く行った。ASIAN KUNG-FU GENERATION、レミオロメン、その他諸々…。

ライブだけではなく、僕らは好きな映画や本の話もした。初めて2人で観に行った映画は「ジョゼと虎と魚たち」だった。

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授業での討論テーマに沿って、良く生きる為には僕は音楽が欠かせないと主張した。思春期の僕を大きく支えてくれたのはそう、BUMPだったからだ。嵐の松潤も好きだと公言した「Stage of the ground」の歌詞を引用した。

飛ぼうとしたって 羽根なんか無いって
知ってしまった 夏の日
古い夢を一つ 犠牲にして
大地に立っているって 気付いた日

未来永劫に 届きはしない
あの月も あの星も
届かない場所にあるから
自分の位置が よく解る

飛べない君は 歩いていこう
絶望と出会えたら 手をつなごう
哀しい夜を越えて 笑おうとするなら
唄ってやるよ ルララ

迷いながら 間違いながら
歩いていく その姿が正しいんだ
君が立つ地面は ホラ
360度 全て 道なんだ
Stage of the ground

孤独の果てに 立ち止まる時は
水筒のフタを 開ければ
出会いと別れを重ねた
自分の顔が ちゃんと写る

すれ違う 誰かが 落としていった
涙を数える その度に
「優しくなりたい」と願う
君は 誰よりも
優しい人 ルララ

その足に 託された
幾つもの祈りのカケラ達と
叫んでやれ 絞った声で
ここまで来たんだよって 胸張って
Stage of the ground

躓いた小石を 集めて歩けたら
君の眼は必ず 再び光るだろう

那由多に広がる宇宙 その中心は小さな君

君をかばって 散った夢は
夜空の応援席で 見てる
強さを求められる君が 弱くても
唄ってくれるよ ルララ

あの月も あの星も
全て君の為の 舞台照明
叫んでやれ 絞った声で
そこに君が居るって事

迷った日も 間違った日も
ライトは君を照らしていたんだ
君が立つ 地面は ホラ
365日いつだって
Stage of the ground

授業に参加しているメンバーが一定の賛同をくれた。彼女もその一人だった。この授業を通じて、僕たちはお互いに「良く生きる」ということに対しての共通認識を持つようになった。彼女の「背景」その時は分からなかったが、きっと彼女なりの「葛藤」があったのだろう。

生まれてきたことに 意味があるのさ
一秒も無駄にしちゃいけないよ
嵐が来ようが雨が降ろうが いつでも全力で
空を見上げて 笑い飛ばしてやる

(中略)

あぁ 僕はいつも 精一杯 唄を歌う
あぁ 僕はいつも 力強く 生きているよ
あぁ 僕の前に 暗闇が 立ち込めても
あぁ 僕はいつも 精一杯 唄を歌う

 「ガラスのブルース」  BUMP OF CHICKEN

本当に意味があるのだろうか? そんなことを考えながら、それでもなお、生きていくしかない、良く生きたい、そう願うのは人間の本能だろう。心理学者のマズローも人間の5段階欲求説を説いている。きっと、彼女はこのような問いを常に持っていたのだと、彼女が亡くなり改めて考えるようになった。

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僕が民族的マイノリティであることは導入としての記事で書いた。(35歳にして本質的な「使命」に気付いた民族的マイノリティの「物語」

もちろん、彼女にもその話は伝えた。恐る恐る話す僕を彼女は笑顔で受け入れてくれた。自分にとっての引け目(当時は少なくともそう感じていた)をこれだけすんなりと受け入れてくれる経験はあまりなかった。僕は彼女に感謝した。そして、自分の理想を声高らかに彼女に語った。変わらず彼女は笑顔でとことん僕の話に付き合ってくれた。

学生時代、僕はフリーターの如くアルバイトに勤しんでいた。週6でのバイト。基本は夕方からだが、一時は早朝からのバイトも掛け持ちした。当時はまだ自分で儲ける事を考えるような頭もない。ひたすら時給で稼いだ。学費と生活費を自分自身で捻出する為に。

その姿に彼女は影響を受けてくれたようだった。自分自身の出自を卑下することなく、言い訳することもなく、前向きに生きる(と当時の彼女には映っていたのだろう)僕に対して、彼女は好意を示してくれた。

僕らはいつの間にか惹かれあった。「付き合う」というイニシエーションもないまま、気がつけば二人で時間を過ごしていた。彼女の事が好きだと心から思った。彼女もきっと同じように思っていてくれたのだろう。

彼女は一人暮らしだったが、僕は当時寮住まいだった。面倒なことに寮には門限があった。ギリギリまでバイトをしていた僕は門限に間に合わないことも多々あり、彼女の家によく泊めてもらっていた。遅い夕飯を、いつも彼女は準備してくれていた。寝ずに待ってくれていた。一緒に寝て、朝ご飯を食べ、そのまま一緒に通学した事も何度もあった。正に青春だった…。

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利手の影響もあり、申し訳ないですが、今日の「物語」はここまで。

お訪ねします この辺りでついさっき
涙の落ちる音が聴こえた気がして
駆け付けたんだけど誰の涙かな
そういや君はずいぶん赤い目をしてるね
ええと、うん
そうだ いくつかの「物語」「プレゼント」してあげる
ちゃんと読んでおく事 いいね
それじゃ また後で

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ここまで読んでくださった方々に心より御礼を申し上げます。

※第3話以降「物語」が急展開します。どうぞご期待を。

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