背景

35歳にして本質的な「使命」に気付いた民族的マイノリティの「物語」

達海 猛 ルフィ をこよなく愛するカズマです。 Twitterを始めて約5ヶ月。この期間だけでも、様々な出会いと別れがありました。涙も流したし、逆に嬉しいことも沢山あった。「人間万事塞翁が馬」とは正にこの事かなと。

ところで、私はあくまで「3次元の住人」です。本記事をはじめとするnoteやTwitter等は、

・ミッションステートメント(使命)に基づき
・明確な目的とゴール(目標)に沿って

運用しています。コンセプトは、

・あなたの ラフ・メイカー
・あなたの GIANT KILLING サポーター

と設定しています。我ながら良いキャッチとネーミングだと(笑)。ただ、正直「分かりづらい」ですよね(笑)。敢えて抽象的にしている部分もあるのですが…(笑)。

そこで、初めてのnote記事として、Twitterでは紹介しきれていない「1人の人間」としての私を知って頂くべく、自己紹介がてら本記事を書き上げたいと思います。

「別にお前に興味ねえよ」と言う方は、この時点でご退室を。時間は誰にとっても平等であり、有限ですからね。どうか大切に。

少しでも興味をお持ち下さった方は、下記へと読み進めて頂けますと幸いです。ちなみにここからは「本記事のタイトル」通り「物語」として書き上げています。

長文になりますが、読み終えて下さった後には、【涙・感動・勇気・自信・自己承認・明日への活力・etc…】の類をお届けできると信じています。それでは物語の世界へようこそ。


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僕の名前はカズマ。生まれは日本海側の小さな港町。両親と5人の兄弟姉妹のド真中(次男)として育った。父は高卒のブルーカラー、母は飲食店のパート、決して金銭的には恵まれた家庭ではなかった。


でも、笑顔の絶えない(たまにはケンカも…笑)極めて幸せな家庭に育ったと思っているし、「教育者」としての両親を心から尊敬している。大人になった我々兄弟姉妹は、家族LINEを作り、全員が毎日の様にぼやく程、それはそれは仲が良い。

それが両親の願いでもあるし、両親の願い通りに関係性を保てていると、誰もが自負している。

僕は「民族的マイノリティ」だ。でもいわゆる母国語は日本語である。英語は話せるようになった。少しだけフランス語とスペイン語、そして所謂「本国」の言葉も話せるようになった。

ルーツはそう、日本海を跨いだ大陸にある。

僕の話をする前に兄弟姉妹の話をしたい。

・看護師として最難関の資格を持ち、生死の現場で命を削る管理職の長女
・建築・土木の世界ではトップの資格を持ち日本のインフラを支える長男
・あらゆる辛酸を舐め尽した上で遅咲きの向日葵の如く医師となった三男
・強豪として全国に名を馳せる高校のサッカー部でトレーナーを務める四男

そして…未だに「うだつ」の上がらない次男の俺…

心理学者のアドラーは、兄弟姉妹構成における性格の特徴を分類している。僕はド真ん中、つまり「中間子」である、下記は極めて該当する。

中間子は親の愛を独占したことがないため競争的、攻撃的で、すねた人になりがちだ。「自分の人生は自分で切り拓かなくてはならない」と思う傾向にある。 by アルフレッド・アドラー

ちなみに、僕以外の兄弟姉妹は全員「帰化」をしている。極めて全うに、税金を納め、年金を払い、世の為人の為になくてはならない存在として活躍している。

一方の俺は……まだまだ何もできていない。不肖の息子だ。そんな風に思っている。

そんな自分をいつも情けない、惨めだ、生きている価値なんてあるのか…親孝行って何なんだろうか…両親の幸せって何なんだろうか…そんな風に考えていた。今もその傾向は100%抜けきらない。

でも、そんな僕を、両親はもちろん、兄弟姉妹はいつも暖かく「承認」してくれた。決して否定することなく、かといって同情する訳でもなく、極めてニュートラルに、僕という「存在」を認めてくれた。今もそうだ。

そんな家族に囲まれた僕は、本当に幸せだと思う。と同時に、いわゆる「故郷に錦を飾る」事に、僕は「勝手に」拘っている。なぜなら、自分自身を「不肖の息子」だと思っているから。

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親の年収と子供の教育水準や学歴は相関するという統計的データがある。その観点からすると、当時の両親の年収は併せて最大約500万…統計的なデータからすると、極めて「異例」だと思う。三男曰く、

「我が家はウルトラCをかました」との事らしい。

僕の言葉で言えば、

「GIANT KILLING(番狂わせ)を起こした」になるだろうか

兄弟姉妹の全員が進学を果たした。旧帝大・医学部…もう一度言うが、両親の年収は500万(幸い持ち家だった)。今の年齢になって分かるが、この収入で5人を進学させるなんて不可能。

そう、だから教育ローンを借りた。奨学金も借りた。「社会」に出た人間から、家計を助ける、兄弟姉妹の進学を援助する。そんな文化の基、我々兄弟姉妹は育った。

両親はいつも

「借金を背負わせることが申し訳ない…」

と言っていた。

そんな事は構わない。借金をしてでも、我々兄弟に所謂「学」を身に付けさせたい。そう思った両親の「背景」を思うと、俺は涙が止まらない。


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両親は戦後すぐの生まれだ。国籍が理由であらゆる「冷遇」を受けてきた。だが、両親は過去の事を一切語らない。いつもニコニコと、毎日を真剣に生きている。

帰省の際、父とお酒を酌み交わす。そんな折に僕は過去の事について質問する。すると、「そういえばこんなことあったな~笑」と、冗談交じりで笑いながら話す。

両親から、これまで一度も、自分の出自や生い立ちに対する

・恨み
・辛み
・妬み
・嫉み

を俺は聴いた事がない。極めて愚直に真摯に自分の人生と向き合っている。

そんな両親(主には父親)の格言は、今の俺の思想信条・人生哲学の、極めて重要な指針にもなっている。

・「言い訳」だけは絶対にするな
・「思い遣り」の心は絶対に忘れるな
・困った人間がいれば、必ず手を差し伸べてやれ
・人は人、自分は自分、比較をするな
・お前だけの「定規」で物事を判断するな
・兄弟姉妹はとにかく、何があっても支え合え
・etc…

「社会背景的」

に、どれだけ辛酸を舐めてきたのか、どれだけ辛い思いをしてきたのか、どれだけ遣り切れない想いを抱えながら生きてきたのか…そんな事をつい想像してしまう。

父の学業成績は抜群だった。近所のおばちゃん達は、「なぜ大学進学をしないのか?」と不思議がった。でもしょうがない。金銭的に自分の夢を諦めるしかなかったからだ。

両親の気持ちに感情移入してみる。こんなに理不尽極まりないことはない就職も国籍が理由で平然と断られる。それが当たり前の時代だった。

きっと、両親は時代を恨んだこともあるだろう。
自分の出自を恨んだこともあるだろう。

「なんで俺は…私は…」

両親の気持ちを思うと、遣り切れない気持ちになる。だが、決して腐らず、諦めず、我々兄弟姉妹に、決して恩着せがましくない形で、良い意味で、夢を託してくれた。

そんな両親の事を想うと、俺はいつも涙がでる…今もこうして文章を書きながら、涙が止まらない…。

そんな両親に対して、俺はどんな親孝行ができるのか、いつも考える。

・不肖の息子なのではないか
・両親にとって「幸せ」とは何なのだろうか
・子育てに命を費やした両親の人生は本当に幸せだったのだろうか
・後何回、両親と会えるだろうか
・何を以って親孝行と言えるのだろうか
・その為に俺ができる事は何なのか

考えだせば止まらない。
思考は当然深くなる。結論はでない。

でも、もしかするとそれで良いのかもしれない。以前父に、「そう思ってくれるだけで、俺は幸せだ。」と言われた。それだけで涙が止まらなかった。浴びるほど酒を吞んだ。

そんな俺を良い意味でいなすように父は、「もっと吞め、それでいいんだ。」と言った。涙が止まらなかった。


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普段の日常を生きながらも、そんな思考が止まらない。極めて哲学的な問いが、己の頭を離れない。

だが、問い続けて約25年、ある日突然ふと気付きが降りてきた。


「俺は、俺自身を、許せていなかった…」
「自分で勝手に「十字架」を背負っていた…」


その「気付き」があった日、さめざめと泣いた。懺悔した。何に懺悔したのかはわからない。でも、涙と嗚咽が止まらなかった。

そうか、両親は、俺がこうして苦しんでいること自体に心を痛めている。だったら俺は、俺の人生を謳歌する。それが一番の親孝行だ。

そんな風に考えるようになった。
その事を父に話すと、

「当たり前。お前の言う通りだ。お前が心身共に健康で生きてくれていること、それが何よりの親孝行だ。気付くの遅いぞ、バカたれ笑。」

そう返事が返ってきた。俺は心の中で、「泣かすなよ…」と思いながら、強がってその電話を切った。晴れ晴れとした気持ちが広がった。



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その出来事はあまりに衝撃的な、晴天の霹靂のような出来事だった。その出来事がきっかけで、俺の中の

「ミッションステートメント=使命」

がいよいよ固まった。漫然と思い描いていたものが言語化され、己の五臓六腑に落とし込まれた。染み渡った。もう、俺は迷わない。


関わる人達が、自らを肯定し、自らで人生を切り拓いていく、その為の支援を生涯に渡りし続け、その波及効果を伝番させる」


その為に、俺は自分の命を使う。
生涯に渡って、実践し続ける。

自分の出自を知り、

「アイデンティティの拡散」

から苦節約25年。この「余りに深淵な気付き」が、俺を駆り立てる。


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現実世界は元より、TwitterをはじめとしたSNS上では

・誰もが自分の「居場所」を探している
・満たされない「承認欲求」と闘っている
・その背景には抑圧され、鬱積された自我がある
・その中で誰もが日々、懸命に生きている

往々にして、そのように感じる。
もちろん自分自身にも当てはまる。

だからこそ俺は、

・あなたの ラフ・メイカー
・あなたの GIANT KILLING サポーター

というコンセプトの元、関わる人達の幸せを願う。でも、願うだけではない。苦楽を共にし、あなたと「伴走」する。


『子どもが親の支えなしに自転車に乗れるまでのプロセスを支援する』


例えるならば、上述の通りだ。
そして、「自立」した人達が、後輩世代の人間が同じ苦しみに迷った際、手を差し伸べる。支援の手綱を繋いでいく。そうすれば、複利的に世の中は良くなってゆく。

僕は、世界がそうなることを信じています。

その為に俺は、己の命を使います。

自身の「ミッションステートメント=使命」に基づき。


おわり

2019/04/26 更新

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