見出し画像

アメリカの黒人差別暴動に想う

メディアでも度々流れてくるタイトルの話題、気にならない人間は気にならないのかもしれない。俺は俺で、ニュースを見て「差別は良くない!」みたいな安直な話をするつもりもない。

ただ、ニュースを見ていると色々な想いが心を駆け巡る。なぜなら俺は、日本における「民族的マイノリティ」だからだ。

もう約1年半前に書いたこの記事の通り、日本において俺は「民族的マイノリティ」だ。本籍は日本海をまたいだ半島にある。いわゆる在日3世だ。

構造的には黒人が差別を受けている環境とよく似ている。そんな気がする。でもだからといって、俺は日本社会を恨むでも忌み嫌うでもない。事実としての「差別」はあったとしてもだ。

自分が受けてきた差別を大げさに表現するつもりもないし、同情を買いたい訳でもない。だが、この出来事に対して何かしら思わずにはいられない。

父方の祖父母は明治生まれの人間だ。1910年の日韓併合を機に、何かを求めてか日本列島に来たらしい。生活の基盤を求めてだろう。生きていく術を求めてのことだろう。父親もそう言っていた。

言葉も通じない、識字能力もない、そんな状態でよくもまあ「家」という資産を築いたもんだとは思う。必死に生きてきたんだろうな。時には当時の「違法」となる事にも一時は手を染めたらしい。

「火垂るの墓」にて、衰弱した妹のために窃盗を働く兄の姿が目に浮かぶ。

その両親の元で育った父親。父親は戦後すぐの昭和22年の生まれだ。当然のように「差別全盛」の時代を生き抜いてきた。

「よつ」という言葉がある。社会的ステータスを持たない人間が付く職業の総称だ。もれなく父親もその職に就いた。ブルーカラーとして働く両親の元で俺は育った。

社会学における「社会移動」という言葉を知っているだろうか。端的に言えば「ヒエラルキーの上昇」を意味する。

昔は父親に冗談で、「医者か弁護士になれ(笑)」と言われたのを覚えている。その言葉を真に受けて医者になったのが弟だ。たいしたもんだ。俺には無理だ、医者なんて。

祖父母から受け継いだ「教育方針」もあったのだろう、両親の教育方針は功を奏した。俺の言葉で言えば「GIANT KILLING」を起こした。弟の言葉で言えば我が家は「ウルトラC」をかました、そうだ。

自身を含めた5人の兄弟姉妹は、「今」を逞しく生きている。

両親は過去のことを自ら語ることはない。俺が気になるから話をほじくり返す、父親が酔っ払ったことをいいことに。その際に初めて、笑い交じりの「過去の逸話」が繰り出される。

俺はその「逸話」が好きなんだ。

決して過去を否定するでもなく、自らを「悲劇のヒーロー」に仕立て上げるでもなく、淡々と笑いながら話してくれるその姿が好きなんだ。

「どういう神経で生きてきたのか?」

そう思うほどに両親は「あっけらかん」としている。自分の出自を含めて、自分の人生を極めて全うに「引き受けて」いる。言い訳や泣き言なぞ聴いたことがない。もし仮に聴いていたとしたら今の俺はない。そう言い切れる。


ーーーーーーー

報道されるアメリカでのデモや暴動、ある日、たまたま目に飛び込んできたこんなツイートに心を打たれた。

また、このツイートにも心を打たれた。

どちらの黒人も極めて知的態度に優れる、そして同時に「痛み」を知る人間だ。歴史は繰り返す、差別はなくならない。だが、その厳しい現実を直視している。その上で織りなされる「言葉」。「心」を打たない訳がない。


ーーーーーーー

「なぜ、戦争はなくならないのか?」

人間の極めて深い「業」と「性」ゆえだ。歴史はそれを証明している。その「事実」を、「己」も含めて、そうした人間である事を心の底から認めることができた時、事態は好転するのではないだろうか。

他者に向けられた怒りは、何も産み出さない。「破壊」しかもたらさない。そうした復讐の連鎖が、連綿と続いている訳だ。


誰が終えるよ、この悲劇を。
誰が止めるよ、この連鎖を。


「差別」ってのは実に身近な存在だ。誰でも「差別」し得る可能性を孕んでいる。「共同体」の切り取り方次第で、いくらでも「加害者」になる。

「それでいいのだろうか?」

俺の自問自答はやまない。かといって「社会運動」を起こすでもない。自らの「影響の輪」の範囲において、その波及効果を高めたい。

一人ひとりの「自覚」が世界を変えるんじゃなかろうか。

その世界観を創るべく俺は生きています。大げさでもなんでもない。誰かが鼻で笑おうと構わない。自らの出自を含め見えてきた「使命」に沿って俺は生きている。辿り着くまでの「葛藤」はもちろんあったけれど。


もっともっと、広い世界を見ようぜ。

なあ、お前さんよ。


おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?