軸を壊さないために

高踏的(上から目線)に聞こえることを承知で書くけど、経験上、下手な演奏だけをずっと聴いてると耳はどうしても悪くなる。昔とある合唱のイベントに知り合いが出演するので行って、暇だからと朝から多くの団体を一日中聴いてたら、それなりに確かな自分の絶対音感がすっかり狂ってしまって戻るのに一週間かかった。出演団体の7~8割くらいは音程がぶら下がったり上ずったりそもそも無かったりするから、自分の耳のほうがそちらに寄っていってしまう。基準線が下がる。

いい演奏を聴くだけで耳がよくなるわけじゃないけど、いい演奏がどういうものかは知ってないと到達点をセットできない。現状の自分に不釣り合いな理想でも、理想がないよりはずっとましだ。自分が昔聴いた団体に理想や目標がないという意味じゃなくて、あくまでリスナーとして自分が受容する立場での話だ。その人たちのプロセスや努力、演奏する姿には敬意を表する、だけど自分がその演奏をどう聴くかは敬意とは切り離すべきだ。そうしないと耳が壊れる。もちろん正直な感想をいつも述べる必要もなくて、敬意のほうだけを正直に言えばことは穏当に済む。

合唱祭に行くと同ブロック内でピアレビューをする機会もあり、10数年前はそれが必須だったりした。最近参加してないから今どうかは知らない。もっと昔はいわゆる頭でっかちな素人講評が多くて苦慮したのだろうね、レビューにあたって「良い点を書いてください」と運営から全体に向けて注意があったりした。気持ちはわかる。そりゃ俺だって訳わかんない人から「貴兄たちには大事なsomethingが欠けている」とか言われたら何言ってんだってなりますよ。ええ実際書かれましたハイ。なんでsomethingが英語なんだ。

でも、そういう「よかった探し」って、内輪受けの褒め合いとすごく距離近くない? たとえ明確にそう意識しなくても、真面目に褒めようとすればするほど、自分の基準をそちら側に寄せていくことにならない? という危うさはいつも感じる。だから相手に届ける講評用紙の感想なんて無理に書かなくていいと思う。じゃあアマチュアが演奏する意味とはってなるんだけど、それは歌い手個々に目的がある、それだけのことで、連盟のイベントも自前の演奏会もそのお膳立てにすぎない。合唱祭の目的なんて「場を提供する」だけでいいのであって、そこにリスナーの積極的な参与を求めるのはやや過剰だと自分は思う。

余談だけど、他人から見えるインターネット上に感想を書くとき、演奏者の立場によって書き方を使い分けることを個人的には意識している。ごく普通のアマチュアの団で友人が出てるから聴きに行ったなら、その友人の演奏スタンスに応じて良かった点や感じたことを嘘のないように伝えるし、プロと同じ観点で判断したりしない。プロだったり、セミプロっぽいスタンスを感じたりした場合はより正直に感想を書くし、よくないと思ったら酷評だってする。だってそれでまとまったお金を得てるんだから。一番ひどかったのは20数年前に東混がゲスト指揮者を呼んで演奏したとき、製本した楽譜が曲の最中に折れたのをテナーの歌い手が「バサッ」とでかい音立てて直した瞬間で、音量がpであれやるとか一生許さねえぞ俺は

リスナーとして、受容する側として、良いことも悪いことも含めて批評をする権利が我々にはあるわけで、そうしなくては批評=批判の健全さが担保されない。いやそこまで大上段に言わなくても、少なくとも俺は良い演奏や良いプロダクトに触れて自分の感性を作りたいし、そうでないものを無理して褒める必要性は感じない。

読者の皆さんは既におわかりのとおり、これは最初からボードゲームの話をしてて、俺はドイツゲームが好きだしユーロゲームもだいたい好きだからドイツ/ユーロを中心に遊んでいたい。国内の同人ゲームはいわば合唱祭やコンクールの演奏であって、同じイベントに出展する人は同好の士だし時には仲間にもなれるけど、それが目標かと言われると違う。そこを目指すと、洋楽を聴かずに邦楽だけを聴いて作るJポップみたいになる。それを楽しいと感じて国内同人の文脈で作品を作ったり遊んだりするのは個人の趣味嗜好だし自由だけど、自分のやりたいこと、趣味嗜好はそこにはない。同人サークルどうしで交流するのも、それが切磋琢磨でなく褒め合いになると自分の基準線が下がる危惧があって、自分はあまりやらない。

じゃあお前の歌はそんなに上手いのか、それブーメランじゃんって言われると、いや下手だけどそういう話じゃないんですよ、ってなる。「ユーロゲーム作りたくて、こういう努力をしたけど力不足でこれだけしか作れませんでした」と「ユーロゲームにそもそも興味がありません」とでは全然違うという話をしてるし、下手であっても目標は正確に見据えたうえで正しくアプローチする必要があって、好きでないものへの批評・感想を「お前は作れないだろ、歌えないだろ」という理屈で封じるのはただの詭弁だ、という話をしてる。俺はいい演奏が聴きたいんだよ! 面白いドイツ/ユーロが遊びたいんだよ! 批評や分析を的確にできなくて、なんで自分の成果物がよくなる道理がある!

そんなわけで、うちの楽譜棚には昔からルネサンス曲が沢山入ってるし、ゲーム棚は最近どんどん古典寄りになってきてる。柔軟さと軸の確かさとのバランスをいつも意識していたい。

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