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好きなものしかつくれない

ふと思ったことのメモ、雑談です。結論はタイトルの通りですので、見てだいたいの内容を察した方は以降を読む必要はありません。


筆者はADHDで自意識過剰なものですぐ軽率に趣味の創作をしたくなりまして、その流れでたまーに「小説書きたいな」とか思う時があります。本読んでる時よりはゲームしてる時だとか、あと読んだことはないけどいわゆる「なろう小説」の話題をしてる時とかです。西洋風・ゲーム風ファンタジーの安直なものを作るお遊びをしたいって言えばいいのかな。

で、いざ手を動かしてみると、意外と書けないんですね。登場人物が何かをしに行って帰るというイメージはあっても具体的にそれが何か決められないとか、ファンタジーにも世界がある以上はその世界の細かい決め事が要るけど思いつかないとか、細部を描写するにあたって情報を調べるのがネット検索でさえめんどいとか、そういう理由で早々に心折れちゃう。飽きる。書きたいという漠然とした欲求はあっても、具体的にこれを書きたいという情熱がないので必然そうなります。

エタるというスラングは一応知ってますが、ああなる気持ちがよくわかります。ただ書きたいだけじゃダメで、何を/なぜ書きたいかという動機づけとそれに対する執念がないと、ほんの数千字でさえ到底完成させられるもんじゃない。書きたいことってそういえば何もないんです、考えてみたら。

情熱がない根本の原因は、おそらく単純に読書量が少ないからです。人文系の専攻とは思えないほど少ない。これは多分障害起因で、本を開いても2分で集中が途切れるし、興味あるジャンルの幅が狭いし、あと子供の頃は特に他人の心情を推し量るのが苦手だし(今もそうですけど)、読書向きな体質はしてないみたいです。ジャンルでいうと学術書や実用書のほうがまだ読めます。今なんて育児中だからっていうのもあるけど、一ヶ月に3冊読めてたらいい方じゃない……? その代わりスプラ3を毎日やってます、いやそれはいいとして。

日付変わって昨日、大江健三郎逝去のニュースが流れてきましたけど、恥ずかしいことに一冊も読んでないですからね。さすがに大江は基礎教養だというくらいの認識はあるから、確定申告が終わったら書店の追悼コーナーに行って有名作を買おうとは思ってます。文芸ジャンルにそのくらいの興味しかないんです。これはもうねえ……個人的な好みの問題だから、なかなかねえ……。


ここまでが話の半分です。作れないものはわかった、では次に作れるものはどうかという話。

私は好きなものはだいたい自作したくなるみたいで、例えば10年前にボードゲームを遊び始めて7年前に同人作品を作り始めてから、約30作発表してます。作り込みの質や発表形態はいろいろですが、ともかく形にしてルールや製品を他人に手渡して、それが愛好家の間では少しだけ遊ばれているので、このジャンルは幸い好きなようです。新作出すとBGGのページを誰かが作ってくれてるのが、ありがたいと言いますか身が引き締まると言いますか。

学生時代からやってる合唱も、歌唱力はともかく歴だけは長いものですからアカペラ編曲をいくつか作って団の演奏会に乗せたりして、それはやっぱり10~20年にわたる経験があって合唱が好きだからできることです。好きで多くの作品に触れて、大まかなテンプレが体に入ってるから作れる。好きなもののことはよく知ってるし、知ってるからこそお作法がわかる。ゲームもアカペラ編曲もオリジナリティはないし上手くもありませんけど、趣味として楽しむ分には問題ないレベルです。これはあくまで自分の場合です、筆者の場合だけ。


で、最後に話が飛ぶんですけど、作りたいもの、表現したいものが具体的になくても形にできることはあると思うんです。それは悪いことじゃなくて、単にイベントに出てみたいとか、制作者どうしコミュニケートするのが楽しくて創作してるとか、趣味なんだからどんな動機で活動したって問題ないし、表現のクオリティが高ければそれでいい、いや高くなくたっていい。

ただ、そこにクオリティの限界はあるよな、とも思う。

情熱がないものを面白く作ってる事例は、少なくとも自分は見たことがない。もっとも大槻ケンヂのように音楽は表現の手段だという人はいるので、やや狭義では対象自体が好きでなくとも表現ができるとは言えますけど。

でも、ゲームならゲームが大好きで情熱もあって仕事が激務でもないのに形にならない、ってことは絶対ないんです(仕事が連日深夜帰りとかだといくら好きでも無理ですけど)。だから自分にはまとまった小説は今のところ書けないし、他人のあまり楽しめない作品に遭遇したとき、この作った人は本当にこのジャンル好きなのかな、既存の作品にどれだけ触れてるのかなって思ったりはどうしてもします。

マニアックに大量の知識を持つことが一概に良いわけじゃないけど、好きなものは広くあるいは深く追求して沢山インプットする、それがあってこそのアウトプットです。いいものを作りたければ、結局本心から情熱をもてるものを探して、その情熱を掘り下げて分析するのが遠回りでも最良だと思います。私はそうです。ここで自分の動機を自分で騙すとしんどくて、創作活動で嫌なことや面倒なことの壁を超えにくい。だから、自分は心底それが好きなのかということは、折に触れて自問したいと思っています。

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