2022年 東北・北海道 旅の記録(東北-復路 編) 26日目 最終日
5.16(月) 会津若松 飯盛山、さざえ堂、鶴ヶ城
今日はさざえ堂見たさに会津に来ました。
そろそろここ会津若松を最後に、自宅に向かいますので、ここが最後の旅の地です。
そして最終日となる今日の最初は、さざえ堂が飯盛山にあるので、ついでで申し訳ないのですが、白虎隊も見てきたいと思います。
まずは、無料の市営飯盛山観光客専用駐車場にとめました。
飯盛山に登るのに動く坂道という名のエスカレーターと、階段がありました。動く坂道は有料で、こんなものがあるのは登るのが大変のか⁉️と思いましたが、係の人と話したところ大丈夫そうなので階段で登って行きました。
津軽の町を見下ろすいい景色です。
先に進むと白虎隊の墓がありました。
そこから奥には自刀の跡も。
城が囲まれて、城下町が燃えているのを見て自決したそうですが、私からすると、これが何故有名になっているのかわかりませんでした。それよりも生にこだわり、最後まで戦う方を選択して欲しかったなと思いました。現代人だからでしょうか…
ではいよいよ本日のメインイベントである「さざえ堂」です。
拝観料400円を払ってはいります。
一番高いところまで登って来ました。
このさざえ堂の内部は螺旋状になっていて、登りのルートと下りのルートは別になっているという面白い作りになっています。これは元々中で人がぶつからずに一方向に進むだけでお参りができるようにと作られたとのことです。
降りていきます。
あっというまに降りて来ちゃいました。
なかなか微妙な角度です。
複雑な構造物でした。
こんな設計するのも大変な建築物をよく建てたなっと感嘆してしまいました。
さざえ堂を出て車に向かう途中にあった洞穴です。猪苗代湖から水を引くために作られたそうですが、31kmにも及ぶ用水路とこの150mの洞穴。機械のない時代にこの工事は凄いですね。
かなかな凄い水量がありました。
車を別の駐車場に移動して、鶴ヶ城(若松城)に向かって歩いていると各所に野口英世の看板が出てました。会津若松に野口英世が所縁があったんですね。知りませんでした。
鶴ヶ城に到着です。立派なお堀と石垣です。
立派な天守閣が見えてきました。
古そうな石垣の上に天守閣を再現していました。
武者走りというもので、上がる階段と降りる階段を分けて、ぶつからないように工夫をしていたそうです。
いよいよ天守閣に入ります。
石垣の中から入るんですね。犬山城と同じスタイルです。
入ってすぐは塩の貯蔵庫になっています。これも犬山城と一緒です。お城の基本スタイルなんでしょううか?
ここからは撮影禁止のため写真がありません。
戊申戦争ボロボロになって取り壊されたんですね。
大河ドラマの「八重の桜」を思い出しながら読んでいました。
ここまでが天守閣でなのですが、何も写真が無く寂しいですが次に進みます。
ここも公開されていたので見学しました。
外から見たところです。この中を先ほど見てきました。
ここから見ると、石垣の組み方の違いがはっきりと分かり、年代の違いを感じることができました。
庭?に出ると広々して気持ちがいいです。ここに多くの御殿が建てられていたんでしょうね。
次は茶室の見学です。
まずはここで待つそうです。
時間が来るとこの門をくぐり、
ここで亭主の迎えを待って、
亭主に導かれてここを通って、手を洗って口をすすぎ、
ようやく茶室に到着です。
こんなにも茶室に辿り着くだけなのに、いろんな手順を踏まないと他取り付けないということを初めて知りました。
鶴ヶ城を出て、昼ごはんを食べて家に向かいます。
煮込みソースカツ丼がローカルフードらしいので、探してたどり着きました。
ウスターソース味のカツ丼のようでした。ウスターソースは好きなので、なかなか美味しいと思いました。
車に戻る途中に通りかかった場所ですが、野口英世が火傷した手の手術を受けた病院だそうです。そしてここの2階で書生として勉強に励んだ場所とのことです。
会津若松を出て一路自宅へ向かいます。
天気予報を見ると太平洋岸は雨の予報のため、日本海岸を通ることにしました。
途中で親知らずで休憩。遅くて何も空いてなくて残念でしたが、奇麗な夕日が楽しめました。
自宅に帰り着いたところ、トリップメーターは6057km!!
よく走ってくれました。
そして各地を回って買い集めた?お土産の山。
これを少しづつ楽しんで、旅の余韻に浸っていきます。
1ヶ月弱の長い車旅でしたが、気候が良かったために車中泊でもゆっくり寝ることができたので、疲れを全く感じることなく旅を終えることができました。
またこれに味をしてめ、家族に感謝しながら次の旅を考えていきたいと思います。