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新座市を歩く①~平林寺で紅葉狩り①

埼玉県新座市に行ってきました。
今回は紅葉狩りの名所・『平林寺』へ。
『知恵伊豆』こと松平信綱、信綱が興した大河内松平家の菩提寺でもあります。

※紅葉の写真は別記事にまとめます。


概要

平林寺のはじまり
金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。
 
寺院名の由来
「金鳳山」と名付けられた山号は、かつて石室禅師が元(げん)に渡って修行した、金陵(きんりょう)の鳳台山保寧寺(ほうたいさんほねいじ)に由来しています。また寺号は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から「平林寺」とされました。

平林寺ホームページより

MAP


境内の写真

松平信綱夫妻の墓

こちらが信綱公の墓です


総門


山門


仏殿


戴渓堂


半僧坊


弁天堂


島原の乱戦死者の墓


増田長盛の墓

増田長盛は豊臣政権時の『五奉行』のひとりで
太閤検地や工業分野で活躍しました。

関ヶ原の戦いでは西軍に与しましたが
合戦には参加せず所領没収で助命。
その後、大坂夏の陣で息子の盛次が豊臣方に転じたことで
責任取らされ自刃しました。


安松金右衛門の墓

安松金右衛門は、玉川上水・野火止用水開削で知られる
武州川越藩の代官(のち郡代)です。

『算術の達人』と称され
玉川兄弟が苦戦していた開削計画の設計見直しをして、玉川上水の通水を実現。
野火止用水に関しては自ら陣頭指揮を執り、通水を実現させました。


野火止塚


業平塚


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