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曖昧さと中間のデザイン

どうもこんにちは。
私は、メーカーに勤め。インハウスデザインをしています。
「言っていることがわかりにくい」とよく言われるので、長々しますが、日々考えていることを記録していくことで
お客様のため、誰かのため、デザインのため、になればと思います。

タイトルについて

「曖昧さと中間のデザイン」というタイトルを付けてみました。
最近、自身の仕事がデザイン戦略やマーケティングと俯瞰視することが増えユーザー観察をしていたりする中で、「人間の曖昧さ」「中間にこぼれ落ちてしまうもの」の重要さと儚さがなんだか気にかかることが増えました。
そんなことから、そのテーマについて少し書こうと思います。

「曖昧さ」について

企業に勤めていると、「エビデンスは?」「確実か?」という議論がよく巻き起こります。
ハードウェアはハードなので、確実性は重要な要素です。
それに対応するために、デザインというわかりにくいものを納得、共感を得るために定量化や再現性を出すことを試みの日々

ただ、そんなことをしながら
ユーザー観察をしていると、なんとも、毎度曖昧なことを言ったり発言に一貫性がないわけです。「でも、なんでこの人はこんなことを言うのだろう」と考えてみたり、実際に聞いてみると、過去の経験やその人独自の解釈や視点を共有してもらうことで、謎が解けた気分を味わうことができます。

昔いじめてきた奴の名前と同じ、と言うだけで印象が悪くなるとか。好きな人が好きなものだから、好きになろうとしたりする。
アンケートでは取りようのない、人ならではのことですよね。そんなことがアイデアのきっかけになったりもします。
大規模なアンケートでみんながわかる事、何も考えずに頷けるものは、大して新しくなく、誰かがやっています。

「中間にこぼれ落ちてしまうもの」について

ものづくりには多くの人が関わります。
それによって、一人では作り得ない精巧なものや、安定した品質、そして実際にお客様に届けることが実現できるわけです。

多くの人と仕事をするためには、
効率的に進めるために「細分化」が進みます。
「細分化」は認識しやすいことや、誰でもできることから起こります。
そして、暗黙的なこと、俗人的なことや目を背けたくなる事は、誰も手を差し伸べず「中間」にこぼれ落ちていきます。

ですが、
本質的なことや問題の根本的なことは
経験上「中間」に落ちていることが多い気がしています。
自分自身、「中間」に溢れるものを拾うことで、
成果を生むことが少なからずありました。

一般的にも、何か新しいことをやろうとしているときは、部門や役割を越えた「ワイガヤ」したり、複数の専門性を持つ「越境」がインパクトを生むことは関係が深いんだと思います。

曖昧さ・中間にこぼれ落ちるものを大切にしたい

誰が読んでいるのかなと思いつつ。

これまで書いたことは
第三者からすると、重要では無かったり理解不可能なものも多くあります。
なので、怒られたり無視されたり、理解してもらうのだけでも一苦労やめたくなります。
でも、曖昧なことや、中間にあるもの、一見目を背けたくなる物は、そこに、新しい物事のきっかけや、本質が隠れていると思う。

誰も耳を傾けてくれなくても
自分の気づきは、自分しか気づけないことなので、
理論立てたり、調べてみたり、大事に温めて育てていると自分が忘れた時くらいに、目の端に飛び込んできたりしますので、勿体無いので捨てないでください。

そんなこんなで、久々に書いてみました。
日々デザインで大事にしていることを考えと、気持ちの整理のために

書き溜めていきたい。

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