私が福島に行く理由① 初めてのゴーストタウン

私は現在、原発と福島の関係をテーマに作品を作っています。
私が福島にはじめて行ったのは2013年の夏頃でした。

当時世間では反原発運動が盛んで、ネット上ではもちろん私の住んでいた九州の福岡でも反原発デモや集会が行われていました。
反原発の人たちの中でもとりわけ当時放射脳と揶揄されるくらい偏った考えの人達はひとしきりに「福島の人たちの気持ちがわからないのかー」と叫び、一方で福島の野菜や果物を汚染されていると毛嫌いし、中には「九州の野菜もすでに汚染されているんですよー」と大声で叫ぶ人たちもいました。
九州でのそういった熱は福岡だけにとどまらず、熊本でも反原発パレードという形で行われ、時にはマクロビとかスピリチュアルとかが大好きなヒッピー崩れみたいな人たちも混ざりもうなにがなんだかよくわからない感じになっていました。
そしてそうやって加熱している人たちを見て「まぁ、現実的に考えて原発ないと電気使えないじゃないっすかww 福島の人たちも事実電気使ってたわけだしwww」みたいな感じでちょっと遠くから斜に構えている人もいました。
私はそういう空気感にもううんざりしていました。
誰も一次情報に触れていないのに、「当事者」の名を使って自分たちの主張をする構図が嫌だったのです。
当時は私は20代前半。あんな大人にはなりたくないなと思いました。
そして、そういう思いが徐々に「福島に行きたい」という原動力に変わり始めました。

私は福島に行く決意をしました。まず本屋で福島の地図を買いました。当時まだスマホはそこまで普及しておらず、途中で携帯の電池がなくなってもいけないので(なにせ福島がどういう状況かもわからないから)、アナログな地図に頼ることにしました。
事前にネットで福島の様子を調べました。
ですが、ほとんどがデマでした。
例えば福島は進撃の巨人みたいに壁に囲まれているとか、奇形の動物が歩いているとか、町には自衛隊しかいないとかそういう類の情報しかありませんでした(もちろんそれは全部ウソです)。
私はYou Tubeで福島を旅している人の動画を見つけ、なんとか広野町というところまでは電車で行けることを知りました。
私は空間線量を測れるガイガーカウンターを買いました(当時ヨドバシカメラで投げ売りされてた)。
そして、博多から福島までの線量を計測しながら移動しました。
ちなみに当時は東京から明らかに空間線量が高くなっていました(もちろん人が住めるレベルですが)。

福島県のいわき駅についた私は唖然としました。
「あれ、普通に町じゃん。(人いるし)」
と思いました。
それもそのはず、いわき市は都市としての機能は保っており、むしろ原発事故の影響で避難してきている人たちを受け入れている町だったのです。
ですが、ネットの誤情報しか知らない私は「どこにも進撃の巨人の壁ないじゃん」と本気で驚いていました。
私はいわき市で一泊して計画を練ることにしました。
電車で行けるのは広野町まで。
だったら、久之浜、広野町を見て回って後は徒歩でできる限り移動しようと思いました。
当時Twitterには久之浜botとか広野町botというアカウントがありました。
これらは(おそらく人力で動かしている)各町の情報を発信するbotでした。
町の様子や町のローカルなイベント情報を発信してくれていました。また、その町に関するツイートをするとそれをbotがリツイートしてくれたのです。
例えば私が「明日は久之浜を見て回ります」とツイートすると、久之浜botがそれをリツイートしてくれました。
つまり情報収集と情報発信の両方ができるありがたいbotだったのです。
この時私はまだ知らなかったのですが、このbotがリツイートした私のツイートを見て一部の人たちで話題になっていたらしいです。
「どうやら九州から福島に来た人がいるみたいだぞ」
「え、なに? ボランティア?」
「いや、なんかただたんに見に来たらしい」
このようなやりとりをしていた内の一人が私に直接コンタクトを取ってきました。
「あのー、よかったら福島を案内しましょうか?」
私はびっくりしました。
まさかこんな連絡が来ると思ってなかったからです。
しかし相手は知らない相手。顔だってわかりません。さすがに怖いです。
ですが案内してくれるなんてこの上ないチャンス。
私は考えた末、会ってみることにしました。

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