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酒について

二十代、三十代はとにかく酒を飲んでいた。それでも泥酔する事は殆どなく、いつもほろ酔い程度。でも週4〜5日は必ずお気に入りのバーに出向いて飲んでいた。とにかく酒が楽しかった。
ところが、四十代になるとパタリと酒を飲まなくなった。別に禁酒した訳ではなく、単に飲みたいと思わなくなった事が大きい。
理由は解らないが、まあ一生分の酒を既に飲んでしまったのかもしれないと勝手に思うようにしている。今は年に数回食事の際に飲む程度である。それもグラスに1〜2杯程度。この変化は本当自分でも不思議に思う。

私の父は大酒飲みで、結局酒で命を落とした。母はあまり飲まないが、それでも酒には強い。姉は父に似て大酒飲みである。電車で爆睡して乗り過ごしたなど数えたらキリがない(海外生活経験者として、電車で泥酔して寝るとかありえない)。
私が過去飲酒が好きな時期でも泥酔するような飲み方をしなかったのは、父による所が大きい。子供の頃から大学で東京に出てくるまでの間、何度父が小便を漏らした床を掃除した事か。母が一時期家にいない時期があって、その間私がいつも泥酔した父の面倒を見ていた。ちなみにその時姉は既に大学生となって東京に住んでいた。父のおかげで進学もできたのだから感謝しているが、やはり泥酔が原因の下の世話は嫌だった。とにかく父の件で酔っ払いがトラウマになってしまった。

今でも泥酔した人は苦手だ。日本では泥酔が大目に見られる傾向があるが、あくまでも個人的な見解だが、本当見苦しいと思う。路上で吐いたりされるのも汚いしね。誰が掃除すると思ってるんだよ、吐いたお前が掃除しろと言いたい。

社会人になって最初に同期の連中と飲みに行った時の事、その中の一人が泥酔してしまった。社会人にもなって一気飲みして騒いでいた結果である。彼は意識を失うまでは行かなかったが、フラフラな状態。私はタクシー拾って彼の家に送り届けようとしたら、周りから大顰蹙を買ってしまった。皆彼に寄り添い、電車で彼の家まで送り届けるという。理解できなかった。
「タクシーでよくない?何で週末の人混みの渋谷からわざわざ電車を乗り継いで送るの?」
それを言ってさらに顰蹙を買ってしまった。
その時、私は自分が同期の中で、変わり者なんだと解った。ただ私はどうしてもわざわざ面倒な状況を選んで、彼の面倒を見なければいけないのか全く理解できなかった。何も意識を失っている人間を放置しようとした訳ではない。グテングテンに酔っ払った男を電車でなくタクシーを使って送ろうとしただけである。
まあそんな事があってからは同期の飲み会とやらには一切参加しなくなった。同期の連中にしてみたら私のような薄情な男がいなくて清清するだろうし、私も酔っ払いの面倒を見なくて済んだので、両者にとって良かったのだと思う。

話が酒から人間関係の愚痴になってしまったので、話を酒に戻す。
酔っ払うのは嫌いだが、酒そのものはやはり旨いと思うし、料理に合わせて飲むのは好きだ。
酒と料理の相性は色々とあるが、世間一般の常識にこだわる必要はないと思う。これは完全に個人の好みの問題。
昔、大量の越前蟹を手に入れて、友人とたらふく食べていた時、その勢いで、大事にしまっておいたシャトー・ラトゥールを飲んでしまった事がある。その話を知人にしたら「肉料理じゃないのか?もったいない!」と言われたが、その時はこの組み合わせが、本当にうまかった。今でも良い思い出なのだから結果的には正解だったのだと思う。

近年『若者の酒離れ』が度々報道される。この表現はあまり好きではないが、実際若年層の飲酒量は確実に減っているのでこの表現は間違っていない。これは国内に限った事ではなく、海外でも同じ傾向のようである。明確な理由は解らない。ただ余暇の時間の過ごし方は皆それぞれ違う。今は選択肢が多い時代だ。酒以外に楽しい時間を過ごせる選択肢はごまんとある。とは言っても酒を飲まなくなったからと言って、酒の文化が廃れた訳ではないと思う。本当に美味い酒は今後も生産されるだろうし、消費されていくのは間違いない。

酒の飲み方は自由。どう飲もうが、食事を何に合わせようが、そんなのは好きにしたら良い。散々酔っ払いが嫌いだと書いたが、別に泥酔するのも自由。とにかく酒は他人にとやかく言われて飲むのではなく、好きなように飲みたい。


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