タイトルなし

>ある人物の人格を完全にパソコンにデータとして取り込み、
それに外部から接触した時に反応を、データとして可視化する、


これは行動主義的、あるいは機能主義的なアプローチの一つです。
素材が何であれ、人間の意識と同じ機能を果たすならば、それは意識だ、
というのが機能主義です。
ただ、機能面だけを基準に意識が捉えきれるか、という問題が残ります。
特に問題とされるのが、個々人の意識に現れる独特の質感(これをクオリアと呼びます)
は科学的なアプローチでは説明できないのではないか、ということです。
ネーゲル(哲学者)が提起した「コウモリであるとはどのようなことか」
という有名な問いがあります。これは、科学がどんなに進歩しても(コウモリの神経や
知覚システムなどを詳細に知ることができたとしても)、コウモリがどのような意識経験を
しているかは我々には理解できないだろう、ということです。コウモリでなくとも、
他人がどんな意識経験を持っているかは、客観的に捉えることが不可能に思えます。
もちろん、科学が進歩すれば、意識だって解明できると考える人々もいます。

頂いたお金は、制作費として大切に使わせて頂きます。 いつも支えてくださり、本当にありがとうございます。