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心はどんどん強くなる①

色んなことを経験して、乗り越えて…まぁ、きちんと乗り越えられなかった事もあるけれど、それでもその1つ1つが今の自分を作っていると思うのだ。
まずお伝えしたいのは、元々、私の心臓は強めに生まれてきたのだという事。そうでなければ、きっと自らの命を絶ってたかも?という出来事も何度かあったと思う。
持って生まれた性格が恵まれていた事に感謝したところだ。
なので、私が出来たんだから「頑張れば出来る」なんて言う気はさらさらない。真面目で優しい人ほど心が壊れてしまうものだと思っているし。

それでは・・・

幼少期

そこそこの毒親だと書いた私の両親だが。
一応、父は女である私には直接的な暴力は振るわなかった。2つ上の兄は階段から落とされたりしていたのを覚えている。私に対しては思い通りにならないと、手当たり次第に私のものを壊された。
そして母は父に怯えているから、何も出来ずにオロオロしているだけだった。
小学校低学年くらいまで私は「おし」ではないかと言われていた。若い人には分からない言葉かもしれないが、人見知りを超えた人見知り?とでもいうのだろうか。特定の数名を除いて誰とも口をきかない子どもだった。
たまにしゃべったかと思うと、やりたくない遊びをやらせようとする先生に「いや!」という一言。
「楽しいよ、一緒にやろう」という先生に
「わたしは楽しくないからやらない」と言い返す幼稚園児。

少し自慢になってしまうが、IQは平均よりかなり良かったので、3歳くらいから自分で絵本を読み、5歳くらいの時には小3~4年生くらいが読む本を自力で読んでいた。
そんな園児なので、考え方が子どもらしくなかったのは覚えている。
ちなみに兄は私以上にIQが高いので、高校に入るまで自分が他より自頭が良いと知らなかったし、知ったところで上には上がいる事を自覚している。

園児とは思えない考え方をしていたとはいえ、自分の世界は狭い幼稚園児。がある。とにかく人のことを悪くしか言わない母で、母が「良い人」と言うのはごく限られた人だった。
思い返せば私が口をきく数少ない大人は母が「良い人」と言っていた人だけ。
もし母が社交的で他人を良く言う人だったら、もう少し話したのではないかと思っている。

父はとにかく見栄っ張りで、家と外での態度が全く違う。
第三者が居るとめちゃくちゃ愛想が良く、冗談など言って社交的な人間だった。
だから我が子は「世間体のいい良い子」でないとダメなのだ。
そして5歳で難しい本を読んでいる私は「自慢の娘」であり、世間に自慢できる子どもだったのだと思う。
逆にその頃の兄はいじめられては泣いて帰宅する子どもだったので、父には「香月と違ってお前は・・・」と否定され続けていた。
兄を見ていた私の頭には「泣かない・弱音を吐かない・親に迷惑をかけない子」が「良い子」なのだと刷り込まれた。










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