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マルチバース時代における「都市の磁力」

新型コロナウイルス(COVID-19)が日本で流行し、最初の緊急事態宣言が出された直後、2020年4月にこちらのテキストを公開しました。

アフターコロナを期待して書かれたこちらのテキストから2年弱、様々な変化が起こりました。「都市とVR」という視点から言えば、東京都渋谷区国土交通省など、公共セクターでもデジタルツインのビジョンや座組が整備されたり、FacebookがMetaに改名し「メタバース」という言葉がバズワードになったり、対策が徹底されたうえでリアルのイベントや展覧会が徐々に再開されつつも、オンラインとのハイブリッドで開催されたり。

そこで今回はこれらの変化を踏まえ、より詳細な「都市とVR」の未来の考察として、マルチバース時代における「都市の磁力」をテーマに論を展開してみたいと思います。ここで、マルチバースは「複数のメタバースプラットフォームや都市、国家を含む文化経済圏が共存共栄する社会」と定義します。

前提として私は、個人が生活する文化経済圏を自由に選択できるマルチバースを支持・切望します。そしてそんなマルチバースにおいて、私自身は都市の要素を多く含む文化経済圏を選択するであろうことも明言しておきます。一方で、純粋なメタバースの文化にも関心があり、程よい距離感で交流ができるような未来が来たら、幸せだと思っています。このテキストでは、そう思い至った理由について説明することを通して、「都市とVR」の未来に向けた議論活性化を目指します。

現実/情報空間を横断した「空間間競争」の時代へ

インターネットの成熟と経済のグローバリゼーションによって、世界は都市間競争の時代を迎えています。情報は瞬時に世界を駆け巡り、それによってヒト・モノ・カネもかつてない速度で流動します。これらが総合的に魅力的な環境の都市に集中し、集中することによってその環境がより改善されます。一方で、選ばれない都市にはあらゆるヒト・モノ・カネが届かず、それによって環境投資も減り、どんどん衰退していってしまう。したがって各都市は、死力を上げて他の都市に負けないような政策を打ち出したり、実質環境を整えたりする。言い換えれば「都市の磁力」を磨く。ここまでが現在までの現実空間の話です。

今後、情報空間のテクノロジーが更に発展することを見込むと、その競争相手として「メタバース」が名乗りを上げる可能性があると言えます。視聴覚的には現実に近いクオリティで空間を形成する「メタバース」において、文化・経済・法律等の社会的な仕組みが整備されたとき、ある都市に流れるはずだったヒト・カネが、あるメタバースプラットフォームに流れる、ということは容易に想像されます。週100時間をVRChatに費やす人が現れたり、旧Facebookが自ら年間1兆円の投資を宣言したり。モノの議論は複雑化するので省略しますが、少しずつその兆候が見え始めています。

コンテンツビジネスにおいて、可処分時間の取り合いの時代であることは何度も言及されていますが、同じことが現実/情報空間においても言えます。睡眠を除く人類の総生活時間のうちメタバースで過ごす時間の割合は、テクノロジーの発展とともに緩やかに上昇していくでしょう。この割合が一定に達した時、世界は都市間競争の時代から現実/情報空間を横断した「空間間競争」の時代へとパラダイムシフトを迎えることになります。そのときの社会を適切に形容する言葉として「マルチバース」を用います。

競争の時代に備えて - MetaとNiantic

では、現実/情報空間を横断した「空間間競争」の時代、マルチバースの時代において、具体的にどんな競争が引き起こされるのか。また、メタバースと都市、両者の特性を理解し、うまく棲み分けるためにはどんな考察が必要なのか。

ここでは、この領域で世界を牽引する2社、MetaとNianticを挙げます。両者のメタバースへのビジョンは下記の通り、相反すると言えます。

メタバースとは、物理的な世界ではできないことも実現が可能になる、相互に接続されたデジタル空間です。メタバースの特長として重要なのは「ソーシャルプレゼンス」、つまり、実際に世界のどこにいようとも他の人と一緒にいるような感覚、を得ることができることです。そして、このビジョンに基づき、新しいカンパニーブランド「Meta」を発表しました。メタバースは、Metaにとってワクワクする新たな一章であり、その実現に貢献できることを嬉しく思っています。
私たちは、テクノロジーを使って拡張現実の「現実」に寄り添うことができると信じています。私たち自身を含めたすべての人々が立ち上がり、外を歩き、周囲の人々や世界とつながることを奨励します。これは、人間が生まれながらにして行っていることであり、200 万年に及ぶ人類の進化の結果であり、その結果、私たちを最も幸せにしてくれることだと信じるからです。テクノロジーは、人間の基本的な経験をより良くするために使われるべきであり、それらに取って代わるものではありません。

最も重要な差分は、Metaが作る世界では「実際に世界のどこにいようとも他の人と一緒にいるような感覚を得る」ことができ、Nianticの作る世界では「すべての人々が立ち上がり、外を歩き、周囲の人々や世界とつながる」ことができるという点です。この対立構造を抽象化すれば、メタバースと都市でも同様のことが言えると考えられます。メタバースを使えば、身体がどこにあってもあらゆる人(アバター)と繋がることができる。都市を使えば、体を動かし特定の人物と実際に会える。現実的には両者が共存し、ユーザーは目的に応じて使い分けるということになるのは間違いないのですが、可処分時間の奪い合いという競争が起こることは予期されます。

日本では、ClusterとStylyの2つのメタバースプラットフォームが分かりやすいかと思います。

VRというのはそもそもまったく新しい世界で住むという生活スタイルだから。世の中の人で、この世界がすばらしいって思いながら朝起きる人はメチャクチャ少ないじゃないですか(笑)。1パーセントもいないはずです。世の中のほとんどの人たちは、この世の中がけっこうひどいものである、汚い言葉で言うとクソであると思いながら人生を過ごしていて、土地柄だったり、肉体だったり、自分たちが捨てられなかった物質にひもづいて、ひどい言い方をすると、地獄を形成している。自分の今の生活がひどいものだと思いながら生活している人たちにとっては、そういうバーチャル上に形成された世界とは救いになる。
私たちはメタバースを、「『テクノロジーで拡張された知覚』によって認識可能になった新たな世界」であると捉えています。人間が認識している世界は、知覚や経験を通じた主観的なものです。この知覚をテクノロジーによって拡張することにより、これまで認識できなかった世界を知覚可能にしたものがメタバースの本質だと考えています。よって私たちが目指すのは、都市というリアルな空間においても、VRで表現される仮想空間においても、「人間中心のリアルな自分を起点としたメタバース」であり、それを「リアルメタバース」と定義しています。

最初に宣言した通り、また前回の記事でも記述した通り、私は都市の圧倒的な情報量、偶発性、再現不可能性を愛しており、NianticやStylyサイドの主張のほうがしっくりきます。一方で、目指すべき社会はメタバースと都市の共存共栄だとも思っています。

コスト重視のメタバースと贅沢体験の都市でつくるマルチバースビジョン

共存共栄のポイントはシンプルに「コスト」だと考えられます。この「コスト」には必要になるヒト・モノ・カネだけでなく、地球環境負荷、精神的負担なども含まれます。メタバースでは、ヒト・モノの移動が伴わないため、環境負荷も低く、基本的にコストが低い。一方で都市では、ヒト・モノを動かすための環境負荷もかかるため、コストはメタバースに比べると高くなります。Zoomならとりあえず話を聞いてみるか...という状況があるように、メタバース上でのコミュニケーションのほうが精神的に負担が軽い場合もあります。

しかし私たちには、どれだけコストをかけてでも実現したい体験があります。絶対に成功させなければならない客先交渉、出産の立ち合い、連勤明けのサウナ、何気ない恋人との日々の会話...

ある未来においてこれらは全て、メタバースでも実現可能な体験かもしれません。それでも、自ら身体を動かすなどのコストを支払ってでも、大切な人や新しい風景に出会いたいと思ってしまうことが、人生には何度もあるはず。マルチバース時代において、相応のコストを支払って得られるこれらの体験は「贅沢」と部類されることになるでしょう。そのとき都市は、これらの「贅沢」な体験のプラットフォームになる。

私は、人類はこの「贅沢」な体験を諦めるべきではないと思うのです。社会全体の総コストを減らしていくためのツールとしてメタバースを使いながら、個人が「ここだ」と思う状況で切り札的に都市に繰り出す。これが現時点で描けるメタバースと都市の共存共栄、マルチバースビジョンです。

これからの「都市の磁力」は、脳に直接働く

これらの展開を踏まえ、最後に本題である、マルチバース時代における「都市の磁力」について述べます。

都市の総合的な競争力を測る指標は、国際経営開発研究所が作成する「世界競争力年鑑」や、森記念財団が作成する「世界の都市総合力ランキング」など、いくつか存在します。メタバースが競合する未来においては、これらの定量的な指標に加えて、人間の脳が、あるメタバース/都市に対してどんな知覚を引き起こすのかという、より個人的・感性的・本質的な要素が重要になってくると考えます。

THE SIMPLEST OF SLUMBERS」と題された2021年10月28日の睡眠と脳に関するScience誌の特集記事には、ワシントン大学の神経科学者であるポール・ショーの言葉として次のような一文があります。

I think we didn’t evolve sleep, we evolved wakefulness

脳のない生物にも睡眠行動が観測されたことを受けての発言ですが、では私たちはなんのために「覚醒を進化」させたのか。

「脳を移動させるため」というのは、その答えになり得ると考えます。なぜなら、多様で大量の情報を脳が学習するほど、人間全体の種としての生存確率を高めることになるからです。「ヒューマンセンサー」という言葉がありますが、まさにひとりの人間は人類のセンサー(目や耳、鼻など多様な感覚器官を行使する)として世界から情報を得て、自身の脳で学習しながらも他者に伝達し、種全体で共有(時には規範化)する。私たちは本能的に、脳を移動させるために覚醒時の感覚器官や脚部などの身体を進化させてきたのかもしれません。環境に適応する(脳で学習した情報から予測モデルを構築する)と同時に、学んだ環境モデルを維持しようと世界に能動的に働きかけることで、環境と情報論的な均衡を保つこのような原理的なはたらきを、自由エネルギー原理と呼びます。まだ発展途上の理論ですが、人間が都市をつくる本質が潜んでいる理論である気がしています。

そう考えると、マルチバース時代においては、本能的に脳を移動させたくなる都市を目指すべきと結論付けることができます。言い換えれば「本能的に脳を移動させたくなる度」が都市の磁力の本質的な指標になるということ。私の脳は恐らく、圧倒的な情報量に溢れ、偶発性再現不可能性に満ちた都市に移動していくのだと思います。

本能的に脳を移動させたくなる都市に必要な建築、施設、サービス

人はみな、それぞれに異なる記憶や経験、身体や情動を持っています。七十億人七十億色のすべての脳のことを考えた都市デザインは恐らく不可能です。都市は当然、ステークホルダーや地域主体の権利に基づいた都市計画の枠組みの中で、地道につくって育てていくほかありません。そんな中で、どのような建築や施設、サービスが必要になるのか。

「答えは風のなか」と言いたいところですが、ある都市や建築、施設に対する個人の「本能的に脳を移動させたくなる度」を、その都市や建築、施設の計画や運営にフィードバックできるサービスをインストールするべきだとは思います。ノーバート・ウィーナーの「サイバネティクス」で生命と機械が繋がったように、脳と都市を繋ぐには、その間になんらかの強烈なフィードバック構造が必要なはず。BCI(Brain City Interface)のような直接的なインターフェースでなくとも、その間にある人間の身体を使って、うまく生活に根差したサービスで解決できないか。そうすれば、各都市(場合によってはメタバースを含む)に惹きつけられるべき人が正しい磁力によって引き付けられるだろう。

まとめ

メタバースと都市の比較から、マルチバース時代における「都市の磁力」について考察しました。都市間競争の時代にメタバースが登場したことによって、現実/情報空間を横断した「空間間競争」の時代へとパラダイムシフトを迎えます。今後は、本能的に脳を移動させたくなる都市を目指すための指標やサービスが必要になってくると考えました。

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