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親から引き継いだ価値観に縛られてしまっていた私。本当の自分を生きることはできるのか?

どんな家庭で育ったかって、結構大きいですよね。

先日、親戚のお家に行きました。
兄の奥さんのご実家。

我が子も、おじちゃん、おばちゃん大好きで、時々遊びに行かせてもらっているし、畑をされてるのでお野菜をよくいただきます。

そして、先日はお年玉をいただきました。

それを私の母が知って、お礼に行かないとってことで、改めて伺ったんですね。


お年玉。
いただいたら、必ず返す。

これが私が育った家庭の当たり前です。

昭和の時代は、だいたいそうなのかな?


それは、お年玉に限らず、
入学のお祝い、七五三のお祝い、
また、子どもに限らず、
自分の誕生日や何かいただき物をした時も、

『お返ししなくちゃ』

って意識がどうしても働いてしまう。


でも、ふと、
それって何かに操られている感があるなぁと感じて、
立ち止まって考えてみた。


お返ししないといけない。
しないといけないの?
しないとどうなるの?

「できてない親」「ちゃんとしていない人」
「あの人、もらったのにお礼も何もないんだね」

そう思われることへの怖れ。


私の母も、母が育った時代も、
きっと家柄とか、自分たちの家族の立ち位置とか、
そういうのを気にしないと生きていけない時代だった。

これは推測の域でしかないですが、
それが母に染みついて、私にも受け継がれてる。
私はそれに無意識に縛られてるところがある。


でも、考えてみれば、今の時代にはそぐわない。
そもそもお年玉だって、あってもいいしなくたっていい。

私と夫は、誕生日やクリスマスを特別と思ってなくて、
何もしない夫婦なんですが、
子どもたちが祝うことを望んでるから子どもが喜ぶようにやってる、
そんな家庭です。


やるもやらぬも、自分たちが好きなように選択する

それが私たちらしい生き方考え方。


だから、本当だったら、

お年玉をいただいて、
我が子のことを思っていてくれて嬉しい。
ありがたいなぁ。
だから、感謝の気持ちを表したい。
お礼をしたい。

この感情の順路を辿って、自分が本当にしたくてお礼をする。
ってやりたかった!

そこには自分の純粋な想いしかない。
何かを怖れてるとか、何かを回避したいとか、保守したいとか、
そういうのは、ない。


要らぬ価値観がしみ込んでるのは、本当にいや。
意識しないところで、何かに縛られたり囚われたり、
自分の真っ直ぐな選択ではなくなってしまう。

客観的に「自分はこれに縛られてるな」って、
わかってたとしても、
こわいんですよね。それに反する選択をとることって。

頭ではわかっていても、体が反応してしまう、というか。
染みついてるわけだから。


でもね、そこまでわかってるから、
こわくても、選んでいくしかない。

それが自分の人生をつくっていくことだって、わかってきた。


何かに縛られ、囚われ、その狭い中だけで生きていくのは
私の性に合わない。

純粋に、自分の想いで、自分を大切にして、
本当に望んでいるものを選び取っていきたい。

そして、もっともっと広い世界で自分らしく
生き生き伸び伸び自分を表現していきたい。


だから、私は、

自分が何に囚われてしまっているのか、
本当は何を望んでいるのか、
本当は何をどうしたいのか、

自分で自分を一番理解して、
その道に進む手伝いをしてあげたい。

自分の一番の理解者で、一番のサポーターでありたい。

てなことで、自己理解、自己実現を生業にしてるのです。


最初に戻ると、

どんな家庭で育ったかは大きい。


だけど、

これからどんな人生を歩むかは、自分で選べる。


それを信じて実践してる毎日なのです。


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