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これからの時代の生き方・働き方

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教員を退職して、地方移住して、我が子の不登校に向き合って、起業して、教育の活動をして、実際にこれまでの生き方・働き方をアップデートする行動をしながら見えてきたものを書いています。
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2024年2月の記事一覧

教員を辞めてよかったなと思ったこと。

教員を辞めてよかったなと思ったことの一つに、 世の中を広く見られるようになったことがあります。 特に、教員として欠如していたなと思うのは、 経済学的視点。 経済学のけの字も学んでないので 全然違うかもしれないのですが、、 何をやるにも、必ずコストがかかる。 これは「お金」という狭い意味ではなく お金、時間、労力、手間、思考、精神的なものまで 必ず何かと引き換えにしながら動いていきます。 公務員は、要望に応えるのが仕事みたいなところがあって だから、これは先生の業務なの

心揺さぶられてわかった、自分の幸せの基準。

昨日の夜から、今朝にかけて、 何度も「泣いた」。 グッとくることが多すぎて。 一つ目、昨日の夜、アニメ「PLUTO」を観て。 二つ目、今朝、息子と話してて。 三つ目、髭男「チェスボード」を聴いて。 PLUTO(プルートウ)は、 人工知能ロボットと人間が共生する世界の話なんですが、 ネタバレになっていたらすみません、 ほぼ人間に近いけれどプログラムされたロボットたちがいて 夫婦だったり親子だったりするんだけど 旦那さんロボットが死んでしまい 気丈に振る舞う奥さん

はみ出すことを恐れない

背中押されました。 教育研究家の妹尾昌俊さんの記事。 佐賀県庁職員の円城寺雄介さんの著書『県庁そろそろクビですか?「はみだし公務員の挑戦」』(小学館) を話題にしてのブログ。 以下引用です。 ここからは私の話。 はみ出したい自分もいる。 でも悪目立ちはしたくない。 教員を辞めてから、その葛藤をずっと繰り返してる気がします。 でも、はみ出すことが目的なんじゃない。 その先にあるより良い未来、社会のために 手段としてはみ出すってことなんですよね。 公務員魂(と言って

社会にインパクトをもたらすための表現活動。

教育のイベントのことで走り回ってる 今日この頃。 県の教育委員会、 また県の教職員組合の後援もとれて 着々と進んでいます。 先日は市の教育委員会さんにうかがい 全校の先生方にチラシを届ける段取りをつけてきました。 あーほんとにやるんだな、って 実感。 以前、こんな記事も書きました。 たまたま私は元教員で、不登校の親で、 そんな経歴から、教育の活動が始まりました。 最初は自分サイズで 自分の気持ちがおもむくままに 無理しないことを大前提にやっていて そしたらいろん

大人も子どもも、凸凹を活かしていこう!

昨日、元教員で現在はフリースクールを経営する方と インスタライブをしました。 いろんな話が出たけども、 そこでお互いにそうだよねーってなったのは、 大人も子どももみんな凸凹だよね ってところ。 個性とか、その人らしさとか、 そういうところが伸びていくこと そういうところを活かして役に立っていくことが その人にとっても、社会にとってもいい。 つまり、元々の凸凹を活かすのがいい。 だって、元々持ってるものだもんね。 それが個性であり才能の源だもんね。 今はすんなりそ

「しんどい」は敵?味方?

しんどい! そして、 おもしろい! 今、大きなことにチャレンジしています。 これまで、個人で、教育についてのアレコレ 対話したり学んだりする会をしてきたけれど、 今回は、なんと、 県の教育委員会の後援もとってしまうような 大きなイベントをやることに。 当日までまだあと3週間あるけど、 ここまでの経験を通してめちゃくちゃいろんなことを学んだ。 というか「味わった」。 それを考えると、 実におもしろい! って思ったわけです。 俯瞰して眺めると、「おもしろい」んだけど

見た目じゃわからない。自分の心の中心にあるもの。

先日は、時間に追われ、やることに追われ、 ついに息子に言いたくないことを言ってしまった・・・ という記事を書きました。 仕事も精一杯やれることはやりたい。 自分の役割を果たして 社会に貢献する自分でありたい。 けど、我が子を大切にしたい。 その本当に大事にしたいことを大事にできる自分でもありたい。 その狭間で揺れ動くのって 自分らしさも、その子らしさも、みんならしさも大切にしたいからなんですよね。 こう書くと、我ながら、「なんて尊いんだ」なんて思ってしまった。笑 イラ

忙しすぎて、つい息子に言ってしまった・・・

3月に向けて、見事にいろんなことが重なって、 だいぶアタフタしています💦 昨日の夜は 急遽イベントチラシを修正する必要が出てきて 夕飯食べながらLINEして 食べ終わってPCに向かって たまたまインスタLIVEの日付が間違ってるのに気づいて 訂正の画像作って、すぐさま投稿して PTAのLINEも入ってきて返信して そしてチラシの修正かけて 送って… 大変だったけど、そこまではいい 自分で今やると決めてやってるから だけど、 そうやって焦りの気持ちで動いていると あれ

唯一無二って面倒だ。

自分らしさ  自分の心地よさ を大事にしていこうって風潮?ありますよね。 ありますよね、って私はそれを言ってる側の人間でもあります。 しかも、発信して、講座とかして、声を大にして伝えてます。 そんな私は、 自分の「自分らしさ」「心地よさ」がよくわからない それを掴むのがとっても苦手でした。 だからこそ、伝えてる、大事なんだと訴えてる。 だいぶ解像度は上がってきたけど いまだに、あれ?ってなる。 それを当たり前にできる人だったら そんなの息を吸うようにできるよねって

「認められたい」が出てきたら

みなさんは、「認められたい」って気持ち ありますか? 私はまぁまぁ強い方で。 教員時代は周りの先生たち、 出産してからはママ友、 起業してからは同じく起業してる人、 の活躍している姿や堂々と持論を語ってる姿を見ると、 うらやましくもあり、 私も何かで認められたい、という気持ちをもっていました。 (もっていましたというか、今でもゼロではない) 道徳の指導担当に任命された時、 えっ、この私が指導するんですか?という自信がない気持ち半分 私も専門をもって活躍できるかもし

時間がない!がなくなってきた

先週、今週と子どもたちが風邪っぴきで 病院に連れて行ったり お休みしたり早退したり 家にいることも多いので 話しかけられたり やろうと思っていたことが なかなか進まない〜 という時間のやりくりが大変で 悶々としていました。 進まない焦りみたいなものも一瞬感じるのですが 手帳に向かって時間整理をすると 焦りが消えます。 結局、焦りが生まれるのは、 時間 より やること が多くなるから。 多くなるというか、 頭の中での見積もりで「多く感じて」しまう このままじゃやば

大人の「良かれと思って」は子どもを幸せにするのか?

昨日は校則をなくした西郷先生の講演会へ。 今日は「子どものウェルビーイング」のオンラインフォーラムに参加。 どちらも今の自分のど真ん中にくるお話で、 メモが止まらなかった。 時間がなくてまとめられず残念だけど、 簡単にいうと、 子どもが幸せであるかどうか が何より、何より優先されてほしいということ。 勉強ができる、できない 話が聞ける、聞けない 忘れ物がある、ない ルールを守れる、守れない 教員も親も どうしてもわかりやすいそれらのことで 子どもに声をかけてしま

忙しくなると、「私って雑用係なの?家政婦なの?」思考におちいる。

教員時代も、個人起業してからも、 忙しくなるとよくおちいるんですが、 私って、雑用係なの?家政婦なの? みたいな感覚。 1歳3歳のときなんか、 仕事して、家事育児して、それだけでもう本当に時間がない! キャパも200%でやってる感じで すごく苦しかった。 一生懸命やってる。必要だと思うからやってる。 けど、 誰のため、何のためにやってるの? こんな人生にしたかったんだっけ? すべてがいやになる時が来るんですよね。汗 このイライラ、モヤモヤした感じ、大きらいで